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《櫻井ジャーナル》

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2022.08.30
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 ロシア軍は9月1日から7日にかけて東部地区で5万人以上が参加して軍事演習「ボストーク2022」を陸上だけでなく、オホーツクや日本海の沿岸地域でも実施するという。

 この演習に中国が陸、海、空軍を派遣するほか、インド、アルメニア、ベラルーシ、カザフスタン、キルギスタン、タジキスタンといったSCO(上海合作組織)やCSTO(集団安全保障条約機構)の加盟国のほか、アゼルバイジャン、アルジェリア、ラオス、ニカラグア、シリアも参加する。

 演習中、ウラジオストクでロシアのウラジミル・プーチン大統領と中国の習近平国家主席が会食するともいう。ロシアと中国が同盟関係にあることを世界に示す意味も演習にはあるようだ。

 アメリカはジョー・バイデンが大統領に就任した直後からロシアや中国に対する経済戦争を強め、軍事的な挑発も開始した。「ルビコン」を渡った、つまり回帰不能点を超えたのである。それでもロシア政府は話し合いで問題を解決しようと試みていたが、徒労に終わった。

 リチャード・ニクソンがウォーターゲート事件で失脚した後、ジェラルド・フォード政権でデタント(緊張緩和)派は粛清され、ネオコンなど好戦派が台頭してくる。

 1991年12月にソ連が消滅、ネオコンを含む人びとはアメリカが「唯一の超大国」になったと考え、他国に気兼ねすることなく世界制覇に向かって進もうとする。そしてネオコンが支配していた国防総省では1992年2月、DPG(国防計画指針)草案として侵略戦争の基本プランを作成した。

 その時の国防長官はディック・チェイニーだが、プラン作成で中心的な役割を果たしたのは国防次官だったポール・ウォルフォウィッツだ。そこで、このプランは「ウォルフォウィッツ・ドクトリン」とも呼ばれている。

 世界制覇を実現するため、服わぬ国や体制を倒すだけでなく、潜在的なライバルを潰すとしている。その潜在的ライバルには旧ソ連圏だけでなく、西ヨーロッパ、東アジア、南西アジアが想定されている。エネルギー資源の支配も重要視されている。(The New York Times, March 8, 1992)

 このプランを危険だと考える人は政府の内部にもいた。例えばジョージ・H・W・ブッシュ大統領、ブレント・スコウクロフト国家安全保障補佐官、ジェームズ・ベーカー国務長官たちだが、ブッシュ政権は1期で終わる。

 彼らにとって日本も潜在的なライバルだが、それ以上に危険視していた相手は中国。その中国を倒す手先として日本は考えられていた。そこでアメリカの戦争マシーンに取り込もうとするのだが、細川護煕政権は国連中心主義を捨てず、1994年4月に倒された。

 そして1995年2月、グリーンとクローニンがカート・キャンベルを経由して国防次官補だったジョセフ・ナイに接触、ナイが「東アジア戦略報告(ナイ・レポート)」を発表する。10万人規模の駐留アメリカ軍を維持するだけでなく、在日米軍基地の機能を強化、その使用制限は緩和/撤廃されることが謳われていた。日本をアメリカの戦争マシーンに組み込もうというわけだ。

 1996年4月に橋本龍太郎首相とウォルター・モンデール駐日大使は沖縄県宜野湾市にある普天間基地の返還合意を発表、同県名護市辺野古に新基地を建設することになる。この計画に関係なく、アメリカは日本を自分たちの戦争マシーンとして扱い始めている。

 ナイ・レポートは日本が戦争への道を歩み始める出発点になるが、それを後押しするかのような出来事が立て続けに引き起こされた。例えば1994年6月に長野県松本市で神経ガスのサリンがまかれ(松本サリン事件)、95年3月20日には帝都高速度交通営団(後に東京メトロへ改名)の車両内でサリンが散布され(地下鉄サリン事件)、95年3月30日に國松孝次警察庁長官が狙撃されている。國松長官は手術中、危険な状態に陥ったと言われている。

 そして1995年8月27日付けのスターズ・アンド・ストライプ紙は85年8月12日に墜落した日本航空123便に関する記事を掲載した。この旅客機が墜ちる前、大島上空を飛行していたアメリカ軍の輸送機C130の乗組員だったマイケル・アントヌッチの証言に基づく記事で、自衛隊の責任を示唆している。

 その記事によると、JAL123の異常に気づいたC130のクルーは横田基地の管制から許可を受けた上で日航機へ接近を図り、墜落地点を19時20分に特定、報告している。運輸省に捜索本部が設置されたのはそれから25分後の19時45分であり、捜索を始めた時点で日本政府は日航機の墜落現場を正確に把握していたことになる。

 報告を受けて厚木基地からアメリカ海兵隊の救援チームがUH1ヘリコプター(ヒューイ)で現地に向かい、20時50分には現地へ到着、隊員を地上に降ろそうとするのだが、このときに基地から全員がすぐに引き上げるように命令されたという。日本の救援機が現地に急行しているので大丈夫だということだった。

 航空機が21時20分に現れたこと確認したうえで輸送機はその場を離れるが、その航空機が自衛隊機だったかどうかは確認されていない。少なくとも、この航空機は救援活動を行わなかった。日本の捜索隊が実際に墜落現場に到着したのは翌日の8時半になってからだ。

 基地へ戻ったアントヌッチたちにアメリカ軍の上層部は墜落に関する話をしないように命令したが、墜落から10年後にアメリカ軍の準機関紙はその話を掲載した。軍の上層部が許可したということだ。何らかの事情で箝口令が解除されたのだろう。目的があるはずだ。

 日本をアメリカの戦争マシーンへ引き込んだネオコンは2001年9月11日の出来事を経て影響力を強める。その出来事とは、いうまでもなくニューヨークの世界貿易センターとバージニア州アーリントンの国防総省本部庁舎(ペンタゴン)に対する攻撃だ。

 その年の1月にアメリカ大統領に就任していたジョージ・W・ブッシュはネオコン系シンクタンクのPNACが2000年に発表した「アメリカ国防の再構築」に基づいて政策を決めるが、その報告書はウォルフォウィッツ・ドクトリンに基づいて作成されている。

 すでにアメリカはビル・クリントン政権時代にユーゴスラビアを破壊して世界制覇戦争を始めていたが、9月11日の出来事はそれを加速させる。

 ところが、ここで計算違いが生じる。欧米の巨大資本が属国化したロシアが曲がりなりみも自立したのだ。その中心にはウラジミル・プーチンがいた。それ以降、欧米の支配層はロシアを屈服させようとするが、成功していない。

 そうした中、ロシアの隣国ウクライナでは2004年の大統領選挙で欧米と一線を画そうと考えていたビクトル・ヤヌコビッチが勝利、それを潰すためにアメリカ政府は「不正」を宣伝して抗議活動を引き起こして配下のビクトル・ユシチェンコを大統領に据える。いわゆる「オレンジ革命」だ。

 しかし、ユシチェンコの新自由主義的な政策は西側の巨大資本へ富を流出させ、そうした勢力の手先になっていたウクライナ人を儲けさせ、その一方で大多数の庶民を貧困化させた。そこで有権者はユシチェンコを2010年の選挙で拒否、ヤヌコビッチを大統領にする。この人物を容認できないバラク・オバマ政権のネオコンはネオ・ナチを使ったクーデターを実行、ヤヌコビッチ政権を倒した。

 ヤヌコビッチの支持基盤、つまりロシア語系住民が多く、ロシア文化に親しんでいるウクライナの東部や南部の住民はクーデターを拒否、東部のドンバスではそれ以降、戦争が続いている。

 このクーデターにはEUとロシアを分断するという目的もあった。両地域は天然ガスのパイプラインで結びつきを強めていたのだが、そのパイプラインの多くはウクライナを通過していた。ウクライナを抑えることでEUからエネルギー資源の供給源を経ち、ロシアからマーケットを奪おうとしたのだ。

 ところが、ロシアはエネルギー資源の安定した供給源を探していた中国に目をつけ、両国は接近する。アメリカという共通の敵に対抗するため、軍事的な関係も強めている。この関係が強まっていることを「ボストーク2022」は世界に示すことになるだろう。

 すでにアメリカ/NATOは中露と戦争状態にあり、日本人が自覚しているかどうかに関係なく、アメリカの戦争マシーンに組み込まれた日本もその戦争に参加している。日本のマスコミが「戦時プロパガンダ」を展開しているのは必然だろう。






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最終更新日  2022.08.30 14:59:31



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