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ウォロディミル・ゼレンスキー大統領を警護している兵士のひとりが来ている服にヘルメットを被った骸骨の描かれたパッチをつけていたと話題になっている。言うまでもなくナチスを連想させるからだが、2014年2月のクーデターはネオ・ナチが主体になって実行されたのであり、クーデター後の体制はナチズムの影響を受けているわけで、不思議ではない。
ナチスへウォール街やシティ、つまり米英の金融資本から資金が流れていたことは以前から指摘され、1933年から34年にかけての時期にはウォール街の大物がフランクリン・ルーズベルト政権を倒すためにクーデターを計画していた。必要な資金はJPモルガンやデュポンなどの巨大企業、またアンドリュー・メロンやロックフェラーの周辺を含む富豪から出ていた。 JPモルガンがクーデターの司令官として考えていたのは陸軍参謀長だったダグラス・マッカーサーだが、軍を動かすためには人望のあるスメドリー・バトラー退役少将を抱き込むしかないということになり、話を持ちかけている。 バトラーは信頼していたフィラデルフィア・レコードの編集者トム・オニールに相談、オニールはポール・コムリー・フレンチを確認のために派遣する。そのフレンチはウォール街の住人たちを取材、コミュニストから国を守るためにファシスト政権をアメリカに樹立させる必要があるという話を引き出した。(Jules Archer, “The Plot to Seize the White House,” Skyhorse, 2007) バトラーは情報を聞き出した上でその内容を議会で証言、クーデター計画を潰し、1935年にJ・エドガー・フーバーに接触してウォール街の計画を説明するのだが、捜査は断られている。(Peter Dale Scott, “The American Deep State,” Rowman & Littlefield, 2015) 計画が発覚した後、名指しされた人びとは誤解だと弁解したが、非米活動特別委員会はクーデター計画の存在を否定できなかった。それにもかかわらず、法的な処分は勿論、これ以上の調査は行われず、メディアもこの事件を追及していない。インターネットが普及してから一般にも知られ始めたが、その前はメディアだけでなく学者たちもこの問題に触れたがらなかった。 クーデター未遂後も米英の金融資本とナチスとの関係は切れず、1942年冬に東部戦線でドイツ軍の主力がソ連軍に壊滅させられると、SS(ナチ親衛隊)は特使をOSS(戦略事務局)のアレン・ダレスの下へ派遣、フランクリン大統領には無断で善後策を協議している。 その後、アメリカの軍や情報機関はナチスの幹部や協力者を逃走させたり、保護したり、雇用していく。それらにはラットライン、ブラッドストーン作戦、ペーパークリップ作戦などという暗号名が付けられた。保護されたナチスの高官や協力者だけでなく、その後継者も育成、ソ連が消滅した後には送り返している。 アメリカの支配層が「ブラッドストーン作戦」を始めた1948年に作成されたNSC20では、「結果として戦争を起こし、ソ連政府を打倒する」という方針が示されていた。(クリストファー・シンプソン著、松尾弌訳『冷戦に憑かれた亡者たち』時事通信社、1994年) ウクライナではステパン・バンデラを信奉するOUN-Bの戦闘員は1943年春にUPA(ウクライナ反乱軍)として活動し始め、その年の11月には「反ボルシェビキ戦線」を設立した。この組織は1946年4月にABN(反ボルシェビキ国家連合)と呼ばれるようになり、バンデラの側近だったヤロスラフ・ステツコが指揮するようになった。 東アジアで1954年に設立されたAPACL(アジア人民反共連盟、後にアジア太平洋反共連盟に改名)とABNは1966年に合体してWACL(世界反共連盟。1991年にWLFD/世界自由民主主義連盟へ名称変更)になるが、この組織はCIAと緊密な関係にあった。(Scott Anderson & Jon Lee Anderson, “Inside the League”, Dodd, Mead & Company, 1986) その一方、OUN-Bの人脈はKUN(ウクライナ・ナショナリスト会議)を組織、スラワ・ステツコが指導者になる。この人物はヤロスラフ・ステツコの妻。1986年に死亡したヤロスラフを引き継いたスラワはOUN-Bの指導者になり、2003年に死ぬまでKUNを率いていた。その間、1991年に彼女は西ドイツからウクライナへ帰国している。 KUNの指導者グループに所属していたひとりにワシル・イワニシンなるドロボビチ教育大学の教授がいたが、その教え子のひとりがドミトロ・ヤロシュ。イワニシンが2007年に死亡すると、ヤロシュが後継者になるが、このタイミングでヤロシュはNATOの秘密部隊ネットワークに参加したと言われている。 ナチスに率いられたドイツ軍がソ連へ攻め込んだ際、東ヨーロッパにはナチスに協力した反ロシア派は少なくない。OUN-Bもその中に含まれていた。その後継者が1991年以降、出身国へ戻り、アメリカの手先として活動している。 そうした人脈に支えられ、ウクライナを破壊しているゼレンスキー大統領は「大イスラエル」を建設したいと発言している。イスラエルはイギリスの長期戦略に基づき、サウジアラビアと同じように建設された。現在ではアメリカと連携し、中東から北アフリカを支配する体制を築こうとしている。そのためにイラクを潰してイランとシリアを分断、それぞれを破壊しようとしていた。イスラエルの兵士はウクライナでも戦闘に参加していると伝えられている。 そのイギリスの長期戦略に基づいて日本では明治維新が仕掛けられ、琉球併合、台湾派兵、江華島事件を経て韓国を併合、そして満州国を建設した。アメリカやイギリスの支配層から見ると満州国はソ連を侵略する拠点であり、現在、ロシアを侵略するためにウクライナをNATOに組み込もうとしている戦略に通じる。 日本は現在でも米英金融資本の支配下にあり、与那国島、奄美大島、宮古島、石垣島に中距離ミサイルを配備して中国の工業地帯を攻撃できる態勢を整えようとしている。さらに韓国の済州島もミサイルの発射基地になるだろう。これらの場所は中国の攻撃目標になるということでもある。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2022.09.20 11:49:34
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