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《櫻井ジャーナル》

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2022.12.14
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 ウクライナの戦乱はイギリスやアメリカの支配者、つまり明治維新から現在に至るまで日本に強い影響力を及ぼしている勢力によって引き起こされた。

 彼らの長期戦略が始まったのはアヘン戦争の頃、中期的には1991年12月のソ連消滅、あるいは2001年9月11日の出来事、そして短期的には2013年11月から14年2月にかけてキエフで実行されたネオ・ナチのクーデターだ。クーデター後、ドンバスやクリミアを制圧するために戦力を増強するが、​そのための時間稼ぎがミンスク合意​だった。





 アメリカやイギリスの支配層がウクライナを征服しようとしている理由のベースには19世紀から続く世界制覇戦略がある。ユーラシア大陸の周辺部を支配して内陸を締め上げ、ロシアを征服しようとしているのだが、そのロシアの喉元にナイフを突きつけるためにウクライナを支配する必要がある。

 アメリカの支配層内でソ連/ロシアを征服しようという意思が最も強いのはネオコンだろう。そのネオコンは1991年12月にソ連が消滅した直後、世界制覇計画を「DPG(国防計画指針)草案」という形で作成した。

 当時の国防長官はディック・チェイニー、国防次官はポール・ウォルフォウィッツ。いずれもネオコンの中核グループに属している。ウォルフォウィッツが草案作成の中心だったことから1992年のDPGは「ウォルフォウィッツ・ドクトリン」とも呼ばれている。

 ネオコンは手始めに旧ソ連圏への侵略を始めようとするが、ビル・クリントン政権は動かず、動かないクリントン大統領はスキャンダルで攻撃された。クリントン政権が戦争へ舵を切るのは1997年1月に国務長官がクリストファー・ウォーレンからマデリーン・オルブライトへ交代してからである。オルブライトはヒラリー・クリントンと親しく、ズビグネフ・ブレジンスキーの教え子。師弟とも好戦的である。

 ソ連時代からアメリカ政府にはソ連やロシアを強く敵視する人物がいる。例えばポーランド生まれのズビグネフ・ブレジンスキー、チェコスロバキア生まれのマデリーン・オルブライト、父方の祖父母がウクライナからの移民であるビクトリア・ヌランド、父方の祖父がウクライナ出身のアントニー・ブリンケンなどだ。

 1998年4月にアメリカ上院はNATOの拡大を承認、99年3月にNATOはユーゴスラビアを先制攻撃した。軍事侵略だ。その際、スロボダン・ミロシェヴィッチ大統領の自宅を破壊しただけでなく、中国大使館も爆撃しているが、状況から考えて誤爆ではない。

 ネオコンが主導権を握っているとは言えるだろうが、ウォーレンのような人物もいた。つまりネオコンが好き勝手にできる状態だとは言えなかった。その状態を大きく変える出来事が起こるのは2001年9月11日のことである。

 その日、ニューヨークの世界貿易センター(WTC)とバージニア州アーリントンの国防総省本部庁舎(ペンタゴン)が攻撃され、ジョージ・W・ブッシュ大統領は詳しい調査が行われる前にオサマ・ビン・ラディンが率いる「アル・カイダ」の犯行だと断定、ビン・ラディンを匿っているとしてアフガニスタンを攻撃した。

 攻撃直後にオサマ・ビン・ラディンは9月11日の攻撃に自分たちは関与していないと主張、9月16日にはカタールのテレビ局、アル・ジャジーラに送った声明の中で、やはり自分たちが実行したのではないとしているが、西側では問題にされなかった。

 ブッシュは大統領に就任して以来、ネオコンの戦略通りに中国脅威論を叫んだが、彼の財布とも呼ばれていたエンロンの破綻が不可避という不安も抱えていた。その不安も2001年9月11日に消える。この日、航空機が激突したツインタワーだけでなく、攻撃を受けていない7号館も爆破解体のように崩壊、そこに保管されていた金塊、エンロンや国防総省の使途不明金に関する捜査資料は消えてしまったのだ。

 ブッシュは2000年の選挙で大統領に選ばれたのだが、ネオコンに担がれていた。この選挙では正体不明の「選挙監視員」による投票妨害が報告され、バタフライ型投票用紙などが原因になった混乱があった。実際の投票数と出口調査の結果が違うとも指摘された。不正選挙だったと言われているのは、そうした出来事のためだ。

 しかし、選挙の前にも疑惑を招く出来事があった。2000年の選挙は共和党のブッシュと民主党のアル・ゴアが争ったが、その前年には出馬を否定していたジョン・F・ケネディ・ジュニア、つまりJFKの息子が有権者から最も支持されていた。そのケネディ・ジュニアが飛行機事故で死亡したのだ。

 もしケネディ・ジュニアが立候補した場合、民主党と共和党以外の候補者が大統領になる可能性もあったが、彼は1999年7月16日に不可解な飛行機事故で死亡している。ケネディが乗っていたパイパー・サラトガが墜落、本人だけでなく妻のキャロラインや義理の姉にあたるローレン・ベッセッテが死亡したのだ。

 もし彼が大統領に選ばれたなら、2大政党という事実上の1党独裁体制が揺らぎ、巨大資本にとって不都合な政策が打ち出されたかもしれないが、それ以上に重要だったのはケネディ大統領の暗殺に関する情報が公開されてしまう可能性。これは支配階級にとって悪夢以外の何物でもないはずだ。

 本人の操縦技術に問題があったとは考えられず、しかも飛行位置から考えてパイパー機は自動操縦で飛んでいた可能性が高い。この飛行機は緊急時に位置を通報するELTが搭載されていたが、墜落現場の特定までに5日間を要した。時間がかかりすぎている。しかも搭載されていたボイス・レコーダーには何も記録されていないという。

 2000年の選挙には政治姿勢がネオコンと正反対のメル・カーナハン元ミズーリ州知事も立候補していたが、その年の10月16日にやはり飛行機事故で死亡している。対立候補はブッシュ政権で司法長官を務めたジョン・アシュクロフトだが、選挙ではカーナハンの妻が当選した。

 ミズリー州では1976年の選挙前でも民主党の上院議員候補が飛行機事故で死んでいる。ジェリー・リットンだ。その結果、当選したのが共和党のジョン・ダンフォースだった。

 2002年の中間選挙ではミネソタ州選出の上院議員、ポール・ウェルストンがやはり飛行機事故で死んでいる。ウェルストンもブッシュ政権と対立する考え方の人物で、イラク攻撃にも反対した可能性が高い。この当時の民主党には戦争に反対する議員がいた。

 ウェルストンの場合、悪天候が原因だったと報道されているが、彼が乗っていた航空機の飛行高度では5マイル(約8キロメートル)先まで見えたと言われ、しかも防氷装置がついていた。

 2001年9月11日の出来事で主導権を握ったネオコンは侵略戦争を始めるが、統合参謀本部との対立で正規軍を使った侵略は止め、アル・カイダ系武装集団やネオ・ナチなどを傭兵として使い始めた。ウクライナでのクーデターはその一環だ。バラク・オバマはジョージ・W・ブッシュから本質的には「チェンジ」していない。

 歴史的にアメリカやイギリスの私的権力はドイツを潜在的なライバルとして警戒、ロシアとドイツを戦わせて共倒れにしようとしてきたと言えるだろう。

 ところがドイツとロシアは天然ガスの取り引きで関係を強めていた。その天然ガスを運ぶパイプラインがウクライナを通過している。ウクライナを支配できれば、ロシアからドイツへの天然ガス輸送をコントロールできるわけだ。

 ドイツとロシアはウクライナを迂回するパイプラインも建設した。バルト海経由の「ノード・ストリーム」と「ノード・ストリーム2」だ。このふたつのパイプラインが9月26日に爆破された。

 ガスの圧力低下をガスプロムが異常アラームで知った1分後、イギリスの首相だったリズ・トラスはiPhoneでアメリカのアントニー・ブリンケン国務長官へ「やった」というテキストのメッセージを送っている。トラスは10月25日に突如辞任、10月29日にロシア国防省はノード・ストリームを破壊したのはイギリス海軍だと発表した。

 アメリカ、イギリス、NATOなどはウクライナにロシアと戦わせようとしてきた。本ブログでも繰り返し書いているように、そうした西側に操られたキエフ政権は無謀な玉砕攻撃を実行、多くの男性が戦死している。富裕層は国外で優雅な生活を楽しんでいるようだが、庶民は厳しい状況だ。45歳以上の男性が最前線へ送り込まれているということは、それだけ若者が死んでいるということだろう。

 ウクライナ軍/親衛隊の敗北が決定的になっていた4月5日、ウクライナのウォロディミル・ゼレンスキー大統領は自分たちが大きなイスラエルになると宣言している。「イスラエルになる」という意味が明確でないが、「ユダヤ人の国」と解釈することもできる。





 そうした国を作るためには、パレスチナでそうだったように、ウクライナを「空き地」にする必要があるだろう。豊かな空き地がなければ移住させることができない。

 キエフでのクーデターでビクトル・ヤヌコビッチ政権が倒された翌月の2014年3月16日、​ヨーロッパ系ユダヤ人のアシュケナージは黒海やカスピ海の北側にあったハザールにいた人びと​であり、ウクライナへ帰還させるという話があるとする記事がイスラエルの新聞、タイムズ・オブ・イスラエル紙に掲載された。









 現在、同紙の編集部はこの記事に反ユダヤ主義者への皮肉だとする注釈をつけているが、記事の中にそうしたことを感じさせる部分は見当たらない。

 しかも2014年9月9日にネイチャー誌で発表された論文では、アシュケナージ系ユダヤ人のゲノムを分析、ユダヤ人以外のヨーロッパ人と比較してアシュケナージ系ユダヤ人に固有の遺伝子マーカーを特定、​600から800年前にヨーロッパに住んでいた約350名の人びとから別れ、また中世のアシュケナージはヨーロッパ系と中東系が民族的に混じり合っている​としている。​この論文をタイムズ・オブ・イスラエル紙は2014年9月10日に紹介​している。この研究者によると、アシュケナージ系ユダヤ人の遺伝的類似性は非常に強く、彼らは比較的小さな集団の中で婚姻を繰り返していたようである。これは3月16日の記事と符合する。

 アシュケナージが黒海やカスピ海の北側の地域から移動したというだけなら歴史的な知識に過ぎない。この研究を肯定するにしろ、否定するにしろ、政治的、あるいは宗教的に使う人びとによって歪められる。













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最終更新日  2022.12.14 11:13:59



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