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《櫻井ジャーナル》

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2022.12.16
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 ​ニューヨーク・タイムズ、ガーディアン、シュピーゲル、ル・モンド、エル・パイスは11月18日、ジョー・バイデン政権に対する公開書簡を発表​し、ウィキリークスのジュリアン・アッサンジに対する起訴を取り下げるように呼びかけた。有力メディアによる言論弾圧への批判が強まる中、「ダメージ・コントロール」を行っているつもりかもしれない。

 この5メディアは12年前の2010年11月18日にウィキリークスと共同で、アメリカの大使館や領事館から国務省へ送られた通信文を発表している。いわゆる「ケーブルゲート」だ。

 その年の4月5日には、アメリカ軍のAH-64アパッチ・ヘリコプターが2007年7月に非武装の一団を銃撃して十数名を殺害する場面を公開。犠牲者の中にはロイターの特派員2名が含まれていた。日本のマスコミは無視、ヘリコプターの乗組員の交信内容から「誤射」だとしていた政党機関紙もあった。

 その映像を含むイラクでの戦争に関する情報を提供したのはアメリカ軍のブラドレー・マニング(現在はチェルシー・マニングと名乗っている)特技兵。公開から間もなく逮捕された。スウェーデンの検察当局は2010年11月にアッサンジに対する逮捕令状を発行している。

 アメリカは「大量破壊兵器」をイラクが保有、今にもアメリカを攻撃しようとしているかのように宣伝、先制攻撃を実行したが、これは作り話だった。戦争を始めるために偽情報を宣伝したひとりが国務長官を勤めていたコリン・パウエル。彼が書いたメモによると、​2002年3月28日にイギリスのトニー・ブレア首相はパウエルに対し、アメリカの軍事行動に加わると書き送っている​。

 ブレアーが書簡を送った時点でブッシュ・ジュニア政権は戦争を始め用としていたが、大義がなく作戦が無謀だとして統合参謀本部が抵抗、実現できないでいた。そうした中、2002年9月にブレア政権は「イラク大量破壊兵器、イギリス政府の評価」というタイトルの報告書を作成、メディアにリークされた。いわゆる「9月文書」だ。サン紙は「破滅から45分のイギリス人」というセンセーショナルなタイトルの記事を掲載しているが、勿論これは嘘だ。

 この報告書をパウエル国務長官は絶賛したが、大学院生の論文を無断引用した代物だということが判明している。別に執筆者がいるとも噂されているが、信頼できるものではなかった。その文書をイギリス政府はイラクの脅威を強調するため改竄する。

 イラクに対する侵略戦争が始まって2カ月後の2003年5月29日、BBCのアンドリュー・ギリガン記者はラジオ番組で「9月文書」を取り上げ、これは粉飾されていると語る。サンデー・オン・メール紙で彼はアラステアー・キャンベル首席補佐官が情報機関の反対を押し切って「45分話」を挿入したと主張した。

 BBCの記者は事実を話したのだが、それをブレア政権は許さない。ギリガンが「45分話」を語った直後、デイビッド・ケリーが情報源だということをブレア政権は突き止める。ケリーは国防省で生物兵器防衛部門の責任者を務める専門家で、イギリスの情報機関から尋問を受けることになった。

 ケリーはイラクの大量破壊兵器がないとブレア首相に説明していたのだが、ブレアは偽情報で世論を戦争へと誘導しようとしていた。それに恐怖したケリーはギリガンに事実を伝えたのだ。

 ケリーは7月15日に外務特別委員会へ呼び出され、17日に変死する。公式発表では手首の傷からの大量出血や鎮痛剤の注入が原因で、自殺だとされているが、手首の傷は小さく、死に至るほど出血したとは考えにくい。

 ケリーは古傷のため右手でブリーフケースを持ったりドアを開けたりすることができなかった。右肘に障害があったのだ。ケリーは折りたたみ式のナイフを携帯していたが、右手の問題で刃を研ぐことが困難で、その切れ味は悪かった。(Miles Goslett, “An Inconvenient Death,” Head of Zeus, 2018)

 救急救命士のバネッサ・ハントによると、ケリーの左の手首には乾いた血がこびりついているだけで傷は見えなかったという。ハントの同僚であるデイビッド・バートレットはケリーの服についていた血痕のジーンズの膝についていた直径4分の1インチ(6ミリメートル)程度のものだけだったと証言している。(前掲書)

 しかも手首を切ったとされるナイフから指紋が検出されていない。死体の横には錠剤が入った瓶が転がっていたのだが、その瓶からもケリーの指紋は検出されていない。

 また、最初に発見されたときには木によりかかっていたとされているが、救急救命士と救急隊員は仰向けになっていたと証言、ふたりの救急関係者が現場へ到着したとき、ふたりの警官だけでなく「第3の男」がいたとも語っている。

 アメリカやイギリスの政府に都合の悪い事実を記者に伝えたケリーは死亡、事実を国民に伝えたBBCの記者はブレア政権から激しく攻撃されて執行役員会会長とBBC会長は辞任に追い込まれた。ギリガンもBBCを離れざるをえなくなる。なお、2004年10月に「45分話」が嘘だということを外務大臣だったジャック・ストローは認めた。

 米英両政府は「大量破壊兵器」の保有という偽情報を流してイラクを攻撃したが、ネオコンは1980年代にイラク攻撃を計画している。イラクのサダム・フセイン体制を倒して親イスラエル体制を樹立、イランとシリアを分断してそれぞれを破壊するというのだ。

 国防次官だったネオコンのポール・ウォルフォウィッツは1991年1月に湾岸戦争の経験からアメリカが軍事力を行使してもソ連軍は出てこないと考えるようになり、ウェズリー・クラーク元NATO欧州連合軍最高司令官によると、ウォルフォウィッツはイラク、シリア、イランを殲滅すると1991年に語っていた。(​3月​、​10月​)

 ウォルフォウィッツは2001年1月にジョージ・W・ブッシュが大統領に就任すると同時に国防副長官へ就任、その年の9月11日にニューヨークの世界貿易センターとバージニア州アーリントンの国防総省本部庁舎(ペンタゴン)が攻撃される。クラークによると、それから10日ほど後にドナルド・ラムズフェルド国防長官の周辺ではイラク、シリア、イランの3カ国だけでなく、レバノン、リビア、ソマリア、スーダンも攻撃対象国リストに加えられていた。そして2003年3月にアメリカ主導軍はイラクを先制攻撃する。

 ジョーンズ・ホプキンス大学とアル・ムスタンシリヤ大学の共同研究によると、イラクでの戦争では2003年の開戦から06年7月までに約65万人が殺されたとされ(Gilbert Burnham, Riyadh Lafta, Shannaon Doocy, Les Roberts, “Mortality after the 2003 invasion of Iraq”, The Lancet, October 11, 2006)、​イギリスのORBは2007年夏までに94万6000名から112万人​、​NGOのジャスト・フォーリン・ポリシーは133万9000人余りが殺されたとしている​。

 第2次世界大戦後、アメリカの情報機関はメディアをコントロールするために「モッキンバード」と呼ばれるプロジェクトを始めた。指揮していたのはアレン・ダレス、フランク・ウィズナー、リチャード・ヘルムズ、そしてフィリップ・グラハムだ。(Deborah Davis, “Katharine The Great”, Sheridan Square Press, 1979)

 ダレスとウィズナーはウォール街の弁護士、このふたりとヘルムズはCIAの幹部で、フィリップ・グラハムは第2次世界大戦中にアメリカ陸軍の情報部に所属、中国で国民党を支援する活動に従事、戦後はワシントン・ポスト紙の社主を務めた。ヘルムズの母方の祖父ゲイツ・ホワイト・マクガラーは国際決済銀行の初代頭取だ。

 グラハムはジョン・F・ケネディ大統領の友人だったが、大統領が暗殺される3カ月前に急死、妻のキャサリーンが社主を引き継いだ。そのキャサリーンの下でワシントン・ポスト紙は「ウォーターゲート事件」を暴く。

 その取材で中心的な役割を果たしたカール・バーンスタインは1977年に同紙を辞め、「CIAとメディア」というタイトルの記事を書き、その中でCIAが有力メディアへ食い込んでいる実態を明らかにした。

(Carl Bernstein, “CIA and the Media”, Rolling Stone, October 20, 1977)

 その記事によると、1977年までの20年間にCIAの任務を秘密裏に実行していたジャーナリストは400名以上に達し、50年から66年にかけてニューヨーク・タイムズ紙は少なくとも10名の工作員に架空の肩書きを提供したという。ニューズウィーク誌の編集者だったマルコム・ミュアは、責任ある立場にある全記者と緊密な関係をCIAは維持していたと思うと述べたとしている。

 1970年代の半ば、CIAが有力メディアを情報操作のために使っていることはフランク・チャーチ上院議員を委員長とする情報活動に関する政府の工作を調べる特別委員会でも明らかにされた。ただ、CIAからの圧力で記者、編集者、発行人、あるいは放送局の重役から事情を聞いていない。巨大資本/情報機関によるメディア支配は1970年代の後半から強まり続けている。

 CIAのメディア支配はアメリカ国内に留まらず、例えば、フランクフルター・アルゲマイネ・ツァイトゥング紙の編集者だったウド・ウルフコテは2014年2月、ドイツにおけるCIAとメディアとの関係をテーマにした本を出版、その中で​多くの国のジャーナリストがCIAに買収されていて、そうした工作が危険な状況を作り出していると告発​している。

 ウルフコテによると、CIAに買収されたジャーナリストは人びとがロシアに敵意を持つように誘導するプロパガンダを展開し、ロシアとの戦争へと導いて引き返すことのできないところまで来ていると彼は警鐘を鳴らしていた。実際、そうした事態になっている。

 そうした中、登場したのがウィキリークス。その創設者であるジュリアン・アッサンジは2012年8月からロンドンにあるエクアドル大使館に閉じ込められる形になり、19年4月11日に同大使館でロンドン警視庁の捜査官に逮捕され、イギリス版グアンタナモ刑務所と言われているベルマーシュ刑務所に入れられた。

 一時期、ウィキリークスと有力メディアが手を組んでいるように見えたこともあるが、オバマ政権になってメディアへの締め付けが強まったようで、アッサンジに対する攻撃、つまり言論弾圧に参加するようになった。

 イギリスのウェストミンスター治安判事裁判所は4月20日、内部告発を支援する活動を続けてきたウィキリークスのジュリアン・アッサンジをアメリカへ引き渡すように命じ、プリティ・パテル内務大臣は6月17日、ジュリアン・アッサンジのアメリカ移送を認める文書に署名した。

 戦争犯罪を含むアメリカ支配層の権力犯罪を明らかにしたことが「スパイ行為」にあたるとして、オーストラリア人のアッサンジを処罰するとアメリカ政府は主張、それをイギリスの裁判所が容認したわけで、アメリカへ引き渡された場合、アッサンジには懲役175年が言い渡される可能性がある。






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最終更新日  2022.12.16 00:00:10



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