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情報公開法で入手した文書を分析した結果、「COVID-19(2019年-コロナウイルス感染症)ワクチン」による深刻な副作用は、バラク・オバマ政権の時代(2009年1月から17年1月)にアメリカの国防総省が始めた作戦の結果だと指摘されている。 文書を入手したチームの中心人物は医薬品業界において25年にわたって研究開発に携わってきたサーシャ・ラティポワ。一緒に仕事した企業にはファイザー、ジョンソン&ジョンソン、アストラゼネカも含まれているのだという。 本ブログでは繰り返し書いてきたが、ロシア軍は昨年2月24日から始めた軍事作戦の過程でウクライナ側の重要文書の回収、その中には生物化学兵器の研究開発に関する2万以上の文書が含まれている。それらを分析し、目撃者や研究参加者へインタビューしているという。 アメリカの生物兵器に関する調査を指揮しているイゴール・キリロフ中将の発表によると、ウクライナの研究施設ではロシアやウクライナを含む地域を移動する鳥を利用して病原体を広める研究をしていたほか、2019年からウクライナ兵を被験者としてHIV(ヒト免疫不全ウイルス)の感染実験が行われ、覚醒剤やモルヒネなどの薬物も使われていたようだ。 こうした文書が回収される前からロシア政府はアメリカ国防総省がウクライナで生物兵器の研究を進めていると批判していた。2013年には同省がハリコフ周辺にレベル3のバイオ研究施設を作ろうとしていると訴えるリーフレットがまかれている。 実際にこの施設は建設され、このほかドニプロ、ミコライフ、リビフ、ウジホロド、テルノポリ、ビンニツヤ、キエフにも同種の施設がある。これはウクライナのアメリカ大使館も認めていた。その研究員は外交特権で守られていたともいう。昨年2月の攻撃でロシア軍はこうした施設を破壊、文書を回収したわけだ。 第2次世界大戦が終わった直後、アメリカ軍はドイツや日本から生物化学兵器に関する機密情報を入手、その研究員を雇い入れている。 日本ではそうした兵器を開発するため、中国大陸で生体実験を行っていた。そのために「関東軍防疫部(731部隊)」や「関東軍軍馬防疫廠(100部隊)」のほか、「南方軍9420部隊」、「北支那方面軍1855部隊」、「南支那派遣軍8604部隊」が編成されている。こうした部隊を動かしていたのが軍医学校で、東京帝国大学医学部や京都帝国大学医学部と協力関係にあった。 中でも有名な「731部隊」は当初、加茂部隊や東郷部隊とも呼ばれていた。この部隊の隊長を1936年から42年、そして45年3月から敗戦まで務めたのは石井四郎中将、1942年から45年2月までは北野政次少将である。 日本の敗北が不可避になると石井たちは日本へ逃げ帰り、1946年にはアメリカ軍の対諜報部隊CICの尋問を受けていることになるが、これは厳しいものではなかった。その過程で石井はGHQ/SCAPの情報部門G2の部長を務めていたチャールズ・ウィロビー少将と親しくなる。 日本側の資料や研究員はアメリカにおける生物化学兵器の研究開発で中心的な存在であるキャンプ・デトリック(55年からフォート・デトリックに格上げされた)へ運ばれた。日本とアメリカは生物化学兵器の研究開発で手を組んだわけだ。 1950年に朝鮮戦争が始まるとアメリカ軍は輸血体制を増強しなければならなくなり、「日本ブラッドバンク」が設立された。この会社の顧問に元731部隊長の北野が就任している。後に社名は「ミドリ十字」へ変更され、「薬害エイズ」を引き起こすことになった。 また、第731部隊を含む日本の生物化学兵器人脈は戦後、「伝染病対策」の中枢を形成することになる。その拠点として1947年には国立予防衛生研究所(予研)が創設され、97年には国立感染症研究所(感染研)に改名された。日本の「COVID-19対策」で中心的な役割を果たしている。 アメリカでは2001年9月11日にニューヨークの世界貿易センターやバージニア州アーリントンの国防総省本部庁舎(ペンタゴン)が攻撃され、その衝撃を利用して国内が収容所化され、国外では侵略戦争を本格化させた。 その出来事が引き起こされる3カ月前、天然痘を生物兵器とする攻撃をアメリカは受けたという想定で軍事訓練「ダーク・ウィンター」がアメリカのアンドリュース米空軍基地で実施されたが、その訓練にジョンズ・ホプキンズ健康安全保障センターが参加している。そのほか、CSIS(戦略国際問題研究所)、国土安全保障ANSER研究所、MIPT(国立テロリズム防止オクラホマシティ記念研究所)が重要な役割を果たした。 2005年9月になると、CIAは中国や東南アジアのような地域でパンデミックが起こるという想定に基づく報告書を作成、2010年5月にはロックフェラー財団とGBN(グローバル・ビジネス・ネットワーク)が「技術の未来と国際的発展のためのシナリオ」を発表する。 アメリカの国防総省やCIAはジョージ・W・ブッシュ政権に時代に生物兵器の攻撃を想定した軍事訓練を始めているが、免疫を不全にすする研究は遅くとも1969年に始めている可能性が高い。 1969年9月、国防総省国防研究技術局の副局長だったドナルド・マッカーサーはアメリカ下院の歳出委員会でこの問題に触れている。「著名な生物学者」の話として、人工的に作られた生物学的な因子、自然には存在せず、自然免疫を獲得できない因子を生産することが5年から10年以内に生産できる可能性があると証言している。免疫力や治療で対応できない病原体を作り出せると見通しているようだ。実際、その証言から約10年後にエイズが出現した。 1970年代に入ると、世界では伝染病で死亡する人が少なくなっていた。医薬品業界にとって好ましくない状況であり、監督官庁、例えばアメリカのNIH(国立衛生研究所)、その下部機関であるNIAID(国立アレルギー感染症研究所)、CDC(疾病予防管理センター)は存在意義が問われるような状態になる。そうした中、エイズが登場してきた。昨年12月までアメリカにおける伝染病対策を指揮したアンソニー・ファウチがNIAIDの所長に就任したのは1984年11月のことである。
最終更新日
2023.02.04 16:33:54
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