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《櫻井ジャーナル》

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2023.02.11
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 ロシア軍はドンバスで攻勢を強めているようだ。ソレダルを陥落させた後、バフムート(アルチョモフスク)の制圧をめざしていたが、ウクライナ軍の何旅団かはウグレダル、クレミナの防衛ラインを強化するためにバフムートから撤退していると伝えられている。

 そのバフムートにいるウクライナ兵は自分たちが化学兵器でロシア兵を攻撃していると宣伝している。少し前には捕虜にしたロシア兵を射殺する様子をインターネット上にアップロードしていたが、彼らはこうしたことを悪いと思っていないようだ。化学兵器を使っているとウクライナ兵が自慢する映像は1月から見られるようになり、2月に入っても複数の投稿がある(例えば​ココ​や​ココ​や​ココ​)のだが、西側の有力メディアは勿論、OPCW(化学兵器禁止機関)も反応していない。

 化学兵器の問題はシリアでもあった。アメリカのバラク・オバマ政権は2011年春、リビアやシリアに対する侵略戦争を始めた。この時、戦闘員として使われたのがアル・カイダ系武装集団だ。このプロジェクトは2010年8月にオバマ大統領が出したPSD-11から始まる。これはムスリム同胞団を主力とする体制転覆プロジェクトだ。

 このプロジェクトは「アラブの春」という形になって現れ、チュニジアやエジプトで政権転覆、そして2011年2月にはリビア、3月にはシリアで戦争が勃発したのだ。その主力はムスリム同胞団だった。

 なお、ウクライナの大統領選挙が行われ、東部や南部を支持基盤とするビクトル・ヤヌコビッチ大統領が当選したのも2010年のことだ。ヤヌコビッチ政権を倒すためにクーデターが計画され、ネオ・ナチが手先として利用された。2013年11月からクーデターは始動、翌年の2月にヤヌコビッチ政権打倒に成功している。

 オバマ大統領は国務長官にロッキード・マーチンの代理人と呼ばれていたヒラリー・クリントンを据える。彼女の側近中の側近と言われていたヒューマ・アベディンはムスリム同胞団と密接な関係にあった。

 オバマ政権は情報機関や特殊部隊を投入するだけでなく、アル・カイダ系武装集団の地上軍とNATOの航空兵力を連携させ、リビアのムアンマル・アル・カダフィ体制は2011年10月に倒す。カダフィの惨殺にも成功したが、シリア乗っ取りには失敗する。

 カダフィ体制が倒された直後、ベンガジの裁判所にアル・カイダの旗が掲げられたのは必然だと言えるだろう。もしアル・カイダの象徴的な存在だったオサマ・ビン・ラディンが生きていると面倒なことになった可能性がるが、オバマ大統領は2011年5月、オサマ・ビン・ラディンを殺害したと発表している。

 2012年にオバマ政権はアル・カイダ系武装集団や兵器をシリアへ集中させ、支援も強化した。それを危険だと考えたアメリカ軍の情報機関DIAは2012年8月、この問題に関する報告書をホワイトハウスへ提出している。

 その報告書はシリアで政府軍と戦っている武装勢力がサラフィ主義者(ワッハーブ派、タクフィール主義者)やムスリム同胞団だと指摘、戦闘集団の名称としてアル・ヌスラを挙げている。そのアル・ヌスラはAQI、つまりイラクのアル・カイダと実態は同じだともDIAは説明している。アル・ヌスラにしろAQIにしろ、その主力はサラフィ主義者やムスリム同胞団である。

 また、そうした​オバマ政権の政策はシリアの東部(ハサカやデリゾール)にサラフィ主義者の支配地域を作ることになるともDIAは警告​していた。その警告は2014年にダーイッシュ(IS、ISIS、ISIL、イスラム国などとも表記)という形で現実になった。その当時、DIA局長を務めていたマイケル・フリンは2014年8月に解任されている。

 オバマ政権がシリアでの政権転覆に力をいれていた2012年12月、クリントン国務長官はシリアのバシャール・アル・アサド大統領が化学兵器を使う可能性があると主張する。

 そして2013年1月29日、イギリスのデイリー・メール紙は、オバマ政権がシリアで化学兵器を使ってその責任をアサド政権に押しつける作戦をオバマ大統領が許可したという記述があるとする記事を載せた。イギリスの軍事関連企業ブリタム防衛の社内電子メールにそうした記述があるというのだ。(同紙のサイトからこの記事はすぐに削除された)

 それから間もない2013年3月にアレッポで爆発があり、26名が死亡した。そのときに化学兵器が使われたという話が流れ、シリア政府は侵略軍であるジハード傭兵が使用したとして国際的な調査を要請するが、イギリス、フランス、イスラエル、そしてアメリカは政府軍が使ったという宣伝を展開した。

 しかし、​攻撃されたのがシリア政府軍の検問所であり、死亡したのはシリア軍の兵士だということをイスラエルのハーレツ紙が指摘​、​国連独立調査委員会メンバーのカーラ・デル・ポンテも反政府軍が化学兵器を使用した疑いは濃厚だと発言​している。

 2013年8月、シリアの体制を転覆させようとしていた勢力はダマスカスの近くで化学兵器を使い、シリア政府に責任を押し付けようとしたのだが、攻撃の直後にロシアのビタリー・チュルキン国連大使は反シリア政府軍が支配しているドーマから2発のミサイルが発射され、ゴータに着弾したと国連で説明した。

 ​一部のメディアが化学兵器とサウジアラビアを結びつける記事を掲載​し、現地を調査したキリスト教の聖職者マザー・アグネス・マリアムは西側の主張に疑問を投げかけている。

 12月になると​シーモア・ハーシュもロンドン・リビュー・オブ・ブックスでこの問題に関する記事を発表​、反政府軍はサリンの製造能力を持ち、実際に使った可能性があるとしている。また、​国連の元兵器査察官のリチャード・ロイドとマサチューセッツ工科大学のセオドール・ポストル教授も化学兵器をシリア政府軍が発射したとするアメリカ政府の主張を否定する報告書を公表​している。ミサイルの性能を考えると、科学的に成り立たないという。

 またトルコの国会議員エレン・エルデムらは捜査記録などに基づき、トルコ政府の責任を追及している。化学兵器の材料になる物質はトルコからシリアへ運び込まれ、そこでダーイッシュが調合して使ったというのだ。

 2018年4月にも化学兵器話が宣伝される。アメリカをはじめとする西側の政府や有力メディアは政府軍がドゥーマで4月7日に化学兵器を使用したと主張したのだ。この時点でシリア政府はロシア政府のアドバイスに従い、保有していたすべての化学兵器を廃棄していた。

 ​OPCWが2018年に設置したIIT(調査身元確認チーム)は2020年4月8日、シリア空軍が17年3月に化学兵器を使用したとする報告書を証拠抜きに公表した​。その情報源はアル・カイダ系武装集団のジャイシュ・アル・イスラムや、その医療部隊でイギリスの情報機関と関係が深いとも言われるSCD(シリア市民防衛/通称、白いヘルメット)だ。

 しかし、2019年5月にはIITの報告書の内容と対立するOPCWの内部文書が明るみに出ている。OPCWで専門家の中心的な存在で、​調査チームのリーダーだったイラン・ヘンダーソン名義の文書​。化学物質が入っていた筒状の物体は航空機から投下されたのではなく、人の手で地面に置かれていたことを証拠は示していると指摘しているというのだ。この報告をIITは隠したと言えるだろう。

 OPCWの調査チームが現地入りする直前、2018年4月14日にアメリカ軍はイギリス軍やフランス軍と共同で100機以上の巡航ミサイルを地中海、紅海、ペルシャ湾からシリアに向けて発射した。ロシア国防省によると、このうち7割は無力化されているが、短距離用防空システムのパーンツィリ-S1が効果的だったという。

 アメリカはその1年前にもシリアを巡航ミサイルで攻撃している。地中海に配備されていたアメリカ海軍の2駆逐艦、ポーターとロスが巡航ミサイル(トマホーク)59機をシリアのシャイラット空軍基地に向けて発射したのだが、この時は6割が無力化されている。

 アメリカ政府の捏造だったシリアにおける化学兵器の話を西側の有力メディアは大きく取り上げ、そのプロパガンダにOPCWも協力した。それに対し、ウクライナのケースでは西側の有力メディアもOPCWも沈黙しているわけだ。







最終更新日  2023.02.11 00:00:08



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