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ロシアの経済活動はSCO(上海協力機構/上海合作組織)やBRICSを中心に展開されているが、そのほかEurAsES(ユーラシア経済共同体)もある。EurAsESの域内で行われるエネルギー開発などの投資プロジェクトへ融資するため、EDB(ユーラシア開発銀行)が2006年に創設された。 この銀行のメンバー国はロシアのほか、カザフスタン、ベラルーシ、タジキスタン、キルギスタン、アルメニア。EDBの経営主体である理事会の理事長を務めていたのはロシアのアントン・シルアノフ財務大臣だが、4月15日に彼はEDBロシア代表の職を解かれたのだが、これはロシアのアメリカ離れが次のステージへ移動しはじめたことを示しているのかもしれない。 シルアノフの解任は国際情勢、つまりアメリカを中心とする一極集中勢力とロシアや中国を中心とする多極化勢力の対立激化が影響しているからだという。 シルアノフはドミトリー・メドベージェフやエリヴィラ・ナビウリナ中央銀行総裁と同じように、米英金融資本と結びついていると見られてきた。メドベージェフは西側の勢力から離れ始めているとも言われているが、ロシアの金融経済を担当しているシルアノフとナビウリナは今でも西側の「第五列」と見なされている。 1991年12月のソ連消滅で中心的な役割を果たし、ソ連消滅後に議会を戦車に砲撃させて実権を握ったボリス・エリツィンの周辺には米英金融資本に操られていた腐敗勢力が存在していた。 クレムリンに巣食う腐敗勢力の中心にいたのはエリツィンの娘であるタチアナ。アルコールに溺れた生活を送り、心臓病を抱えていた父親に代わり、政府を動かしていた。ボリスは1996年にタチアナを個人的な顧問に据えている。 2000年にプーチンから解雇された彼女はその翌年、エリツィンの側近で広報担当だったバレンチン・ユマシェフと結婚している。ユマシェフの娘であるポリナ・ユマシェバと結婚したオレグ・デリパスカはロシアのアルミニウム産業に君臨するイスラエル系オリガルヒで、ナット・ロスチャイルドから「アドバス」を受ける一方、ロスチャイルド系の情報会社ディリジェンスの助けで世界銀行から融資を受け、政治面でも西側との関係を強めていたものの、プーチンとの対決は避けた。 エリツィン時代のロシアで経済政策を動かしていたアナトリー・チュバイスはタチアナの利権仲間で、HIID(国際開発ハーバード研究所)と連携、この研究所はCIAの工作資金を流していたUSAIDからカネを得ていた。エリツィンは1992年11月、チュバイスを経済政策の中心に据えている。(Natylie Baldwin & Kermit Heartsong, “Ukraine,” Next Revelation Press, 2015) 昨年2月、ロシアがウクライナに対してミサイル攻撃を始めると、ウラジミル・プーチン露大統領の無給顧問を務めていたユマシェフは辞任し、気候問題特使を務めていたチュバイスが辞任して国外へ脱出した。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2023.04.16 13:20:33
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