2022.05.01

8年前の5月2日に反クーデター派住民が虐殺されたオデッサで当局が外出禁止令

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 黒海に面したウクライナの港湾都市、オデッサの当局は5月1日22時から3日5時まで外出を禁止すると発表した。オデッサを含むウクライナの東部や南部はロシア語を話す住民が多く、ビクトル・ヤヌコビッチの地盤だった。

 ヤヌコビッチはアメリカの私的権力に嫌われている人物。2004年に実施されたウクライナ大統領選挙では新自由主義者のビクトル・ユシチェンコを破って勝利するが、ユシチェンコ陣営は「不正選挙」だと主張、2004年から05年にかけてデモや政府施設への包囲などで新政権を揺さぶった。西側もこの行動を支援し、ユシチェンコが大統領の座を奪うことに成功した。いわゆる「オレンジ革命」だ。

 ユシチェンコの新自由主義的な政策によって西側の私的権力やその手先は利益を得たが、大多数の人びとは貧困化、2010年の大統領選挙でもヤヌコビッチが勝利する。アメリカのバラク・オバマ政権はネオ・ナチを利用してクーデターを仕組み、2014年2月にヤヌコビッチを排除することに成功。ヤヌコビッチの地盤である東部や南部の住民はクーデターに反発するが、その中にはオデッサも含まれていた。

 キエフにおけるネオ・ナチによる残虐行為を知ったクリミアの住民は3月16日の住民投票を経てロシアと統合する道を選ぶ。それに対し、4月12日にCIA長官だったジョン・ブレナンがキエフを極秘訪問、22日には副大統領のジョー・バイデンもキエフを訪れた。バイデンの訪問に会わせるようにしてクーデター政権はオデッサでの工作を話し合ったと伝えられている。

 そして​5月2日、ウクライナ軍が制圧していたオデッサでは反クーデター派の住民が虐殺される​。その日、オデッサではサッカーの支配が予定されていたため、サッカーのフーリガンが集まっていた。そのフーリガンをネオ・ナチの右派セクターが挑発して反クーデター派の住民が集まっていた広場へ誘導する。女性や子どもを含む住民は労働組合会館へと「避難」させられ、その中で右派セクターは住民を虐殺したのだ。

 労働組合会館では48名が殺されたとされているが、これは地上階で確認された死体の数にすぎない。地下室で惨殺された人を加えると120名から130名になると現地では言われていた。

 会館の中で住民は撲殺されたり射殺され、その後で放火している。上の階へ逃げた人びとを焼き殺すことも目的だったようだ。屋上へ出るドアはロックされ、逃げ出すことはできなかった。屋上には右派セクターであることを示す腕章をした集団がいたので、この集団が反クーデター派の住民を殺すためにロックしたとみられている。この時、会館の外で撮影された少なからぬ映像が存在、内部の無残な様子も撮影されて公開されていたが、すでに削除されたようだ。

 2018年にロシアへ亡命したSBUの将校、バシリー・プロゾロフによると、​SBUには「死の部隊」が存在、暗殺、誘拐、拷問を実行している​。そのターゲットのひとりはルガンスクのクーデター政権が支配している地域の市長で、ロシア話し合いでの解決を目指していたボロディミル・ストルク。3月1日に誘拐され、拷問された上で胸を撃たれて死亡した。

 3月5日にはロシアと交渉しているチームのひとり、デニス・キリーエフがキエフの路上で治安機関SBUの隊員に射殺され、3月7日には殺されたゴストメルのユーリ・プライリプコ市長の死体が発見されている。ウクライナでは11名の市長が行方不明だともいう。

 ゼレンスキー政権は3月後半、ロシア語系住民を支持基盤とする11の政党を禁止。そうした政党のひとつを率いるビクトル・メドヴェドチュクは昨年から軟禁状態だったが、今年4月に逮捕され、手錠をかけた姿を撮影した写真が公開された。ウクライナ側はメドヴェドチュクとウクライナ兵との交換を求めている。

 ウクライナの南部にある​ミコライフ州のビタリー・キム知事は4月21日、「ウクライナ24テレビ」の番組で「全ての裏切り者を処刑する」と語った​。そうした処刑を実行するための秘密部隊を編成、すでに作戦を遂行しているともいう。キムにとって「裏切り者」とはウォロディミル・ゼレンスキーの政策に同意しない人びとだ。

 ゼレンスキー政権はネオ・ナチ、つまりCIAのコントロール下にあるとみられている。CIAがベトナムやラテン・アメリカで展開した住民虐殺作戦をウクライナでも実行しているようだが、これは住民の間でゼレンスキー政権に対する反発が強まっていることを暗示している。オデッサで住民がネオ・ナチに虐殺された5月2日に人びとの怒りが爆発することをオデッサの当局は恐れているのだろう。






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最終更新日  2022.05.01 17:55:07