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コンドルの系譜 ~インカの魂の物語~

第三話 反乱前夜(4)

梢の月

【 第三話 反乱前夜(4) 】

さて、ここで再び、話をトゥパク・アマルの反乱計画に戻そう。

首府リマでの、あのモスコーソ司祭との目通りによって、この植民地の圧政は単に代官レベルの非道によるものではなく、この国の統治機構の頂点に立つ者たちの意図もが絡むものであることを、もはやトゥパク・アマルは明確に認識せざるを得なかった。

トゥパク・アマルの訴えを副王に口添えするとのモスコーソ司祭の口約束も、所詮はあの場凌ぎのものにすぎなかった。

敵は単に末端の代官だけではない。

真の敵は、もっとこの国の中枢にいる絶対的権力者たちなのだ。

それは受け入れたくない現実だった。

そして、それは、トゥパク・アマルに最後の手段の選択を突きつけてくる現実でもあった。

いよいよその計画を実行せざるを得ない局面に、刻々と近づいていたのだった。

だが…――と、トゥパク・アマルは心の奥で呟いた。

最後に、あと一つ、やっておかねばならぬことがある。

トゥパク・アマルは自らのこれまでの軌跡を振り返った。

これまで、幾多の人々に会い、直接交渉に踏み切ってきただろうか。

反乱軍に同盟者として加わってもらうためのインカ族の者たちは当然だが、スペイン側の重要人物とも会うべき人間とは会ってきた。

末端の代官はもちろん、植民地巡察官アレッチェ、そして、この国最高の司祭モスコーソにも会った。

トゥパク・アマルは、水を打ったように静まり返った自室で、目を閉じた。

じっと自らの心の声に耳を傾けてみる。

残される相手は…――それは、この植民地最高の権力者、副王ハウレギ、その人である。

しかし、さすがに副王との目通りなど、一介のインディオのカシーケ(領主)に許されようはずもなかった。

トゥパク・アマルは、目を見開いた。

そして、立ち上がった。

決意を秘めた表情で、書斎に向かう。

彼とて、いやでも多くの流血を免れぬ反乱行為など、真実は望んではいなかった。

尊い命を一つでも失うこと、奪うこと、そのようなことは、真の意味での彼の信念に合致することではなかったのである。

トゥパク・アマルは、机上の燭台に蝋燭を灯した。

蝋燭の炎が不安定に揺れる。

そのおぼつかない光が、トゥパク・アマルの瞳をも揺らした。

彼はペンを握った。

そして、自らの心の奥底から湧き起こる言葉を一つも漏らさず聴き取るかのように、全神経を集中させながら、紙にペンを走らせはじめた。

それは、まさしく副王ハウレギ宛ての嘆願書であった。

以下は、歴史上の資料として残る、真にトゥパク・アマル自身の手による嘆願書の引用(抜粋)である。

いかなる創作よりも、彼の渾身の思いが伝わってくるため、そのままここにご紹介したい。

寺院 紫霞

これは、1777年12月に副王ハウレギ宛てに提出された、トゥパク・アマル自身の手になる本物の嘆願書の内容である。

『寛大なる王陛下に謹んで申し上げます。

王陛下の御意図の中には、他でもなく、インカ族の者たちの妥当な扱いと保護の問題があるかと存じます。

ミタ(強制移住労働)に関して申しますならば、鉱山の採掘、貴金属の抽出にも増して重要なことは、王陛下の御慈悲が行われることであります。

わたしが申すまでもなく、もしインカ族の者が死に絶えてしまった暁には、もはや鉱山で働き、貴金属を抽出する者もなくなってしまいましょう。

そうなってしまえば、幾ばくかの貴金属の生産すら、もはやかなわぬこととなりましょう。

王陛下、あなた様はインカ族の民の窮状をご存知でしょうか。

鉱山での強制労働を言い渡されたインカ族の者たちは、二度と故郷へ戻らぬために、つまり、死ぬために、故郷の家を売り、家財を売って旅立っていくのであります。

インカ族の者たちは、故郷への思いも、これまで大切にしてきた家財その他への愛着も、可愛がってきた家畜たちへの情も、すべてを犠牲にして、強制労働を言い渡された鉱山へと向かうため、その僅かな旅費を捻出するために、それらを売り払い、旅立っていくのであります。

妻と共に、息子と共に、あるいはただ一人、インカ族の民は故郷を捨てて強制労働へと旅立って参ります。

そして、コルディエラ山脈の谷と高原の難路2百里の道を歩みはじめるのです。

鉱山へと向かう道中が過酷であるとすれば、強制労働の期間を終えた帰路の道は、疲労と貧困のために、さらに難儀であります。

もっとも、普通は、帰路につける前に、二度と帰れぬ死路に旅立っておりますので、帰路に苦しむこともないわけですが。

それほどの状況が、永きに渡り続いているのであります。

王陛下、このような状況がこれ以上続いてはなりますまい。

何卒、その高貴な御配慮と御慈悲の下さらんことを、伏してお願い申し上げます。』

この書面では、当初からトゥパク・アマル自身が最も心を痛めてきたことの一つ、あの鉱山でのミタ(強制移住労働)の改善が中心的に訴えられている。

すべてのことを一度に訴えることは、もはや望めなかったのだ。

せめて、最悪の部分から改善を求めていくしかなかった。

この嘆願書に対する副王の出方によって、最終手段に打って出る!

…――トゥパク・アマルは決意を秘めた、しかし、揺れる眼差しで、机上の不安定な蝋燭の光を見つめた。



トゥパク・アマルが副王宛ての嘆願書をしたため、首府リマへ持参する準備を整えていた頃、この物語のもう一人の要となる人物、そう、かのトゥパク・アマルの甥、アンドレスは16歳になっていた。

そして、その後、間もなくアンドレスはクスコの神学校を卒業し、そのまま故郷には戻らず、あのフリアン・アパサの元へと向かった。

アパサは、トゥパク・アマルらのいる「ペルー副王領」に隣接する「ラ・プラタ副王領」の豪族で、その勇猛ぶりを広く知れらた武人である。

もちろん、スペイン人の役人たちの目を逃れるために、彼もまたトゥパク・アマル同様、外面的には単なる豪商を装っていた。

かつて、反乱の同盟を結ぶため、トゥパク・アマルが彼の元を訪れた時のことをご記憶の読者もおられるかもしれない。

その時、トゥパク・アマルはアパサの武将としての腕を高く買い、自分の甥であるアンドレスの武術修行の師となることを依頼した。

その後も、トゥパク・アマルとアパサは、反乱計画を秘密裏に進めるために、役人の目を逃れて数回の会合を行い、徐々に互いの絆を深めていった。

アパサは清廉高潔なトゥパク・アマルとは性格がかなり異なり、良くも悪くも、豪放磊落で人間臭く打算的な人間であったが、その違いが陰陽のごとく、互いへの関心をいっそう惹きつけ合っていた。

最初はアンドレスの受け入れなど、まともに考えてはいなかったアパサだったが、トゥパク・アマルという人物を知るにつれ、そして、命を半ば捨てたその覚悟を知るにつれ、その甥なる若者を武将として一人前に育てる、ということの意味を次第に認識するようになっていた。

トゥパク・アマルにも息子はいるものの、まだ幼く、また、彼自身がかつて語ったように、息子ではスペインの役人の目にもつきやすいのは確かにその通りに違いなかった。

アパサの目から見ると、トゥパク・アマルは命をいつ落としても不思議ではないような、際どい綱渡りを続けているように見えてならなかった。

トゥパク・アマルは、この先どのようなことになるかわからぬ…――アパサの脳裏には、そんな不吉な予感が常にこびりついて拭えなかった。

そして、結局、アパサは、アンドレスを自分の元に引き受けることを承諾したのだった。



夏意

晩春の柔らかい午後の陽光の中、数名の護衛の者に伴われてアパサの館に到着したアンドレスを出迎えて、まだ20代半ばのアパサの妻バルトリーナは、すっかり舞い上がってしまった。

彼女はいかにもインカ族の女性らしい風貌で、年齢にしては既にやや恰幅のよい体型に、つぶらで明るい瞳をした、なかなか気丈そうな女性であった。

館に通すのも忘れて見惚れているバルトリーナに、アンドレスは「これからお世話になります。」と丁寧に礼をした。

まるで神話の中から出てきたような麗しくも凛々しい美男子の来訪に、「どっ、どうぞ中にお入りくださいませ!」と素っ頓狂な声を出し、バルトリーナは有頂天で夫の部屋に素っ飛んでいった。

「あんた!すっごいハンサムな若様ですよ!アンドレス様って!」

すっかり舞い上がっている妻の様子に、「おまえは人を外見で判断するのか。」と言いながら、アパサはジトッと恨めしげな眼差しを向けた。

「そんなこともないけど、でもね~!アンドレス様は、ちょっと尋常じゃないくらい、美しいお人なんだよ!」と、もともとテンションの高い妻のいっそうのハイテンションぶりに、アパサは辟易した様子で立ち上がった。

アパサ自身はと言えば、身長は中位で筋骨逞しく、その相貌も、その目は小さいながらも深く窪み、活動性と意志の強さが漲っていたし、まもなく30歳に手の届こうという割には若々しく、それなりに人目を惹く雰囲気をもっていた。

ただ、服装や髪型など外面的なことには全く頓着せず、豪族のくせに薄汚れた極めてシンプルな貫頭衣を着て、その上、妻がうるさく言わない限り、何日でも同じものを着ていた。

妻の異常な舞い上がりように、既にかなり旋毛(つむじ)を曲げながら、アパサは広間で待つアンドレスのところに出向いていった。

アンドレスはこれから師となるアパサとの対面に、大いなる期待と緊張で、その瞳を輝かせながら待っている。

一方、アパサはと言えば、そのアンドレスを一目見ると冷ややかに目を細めた。

(とんでもない、ぼんぼんが来たもんだ…。)

アパサの第一印象は、そんなところだったろうか。

「これからお世話になります!」

アンドレスは、師となる眼前の人物に対して、丁寧に深く頭を下げた。

実際、今回のアンドレスの来訪は、そう短期間の予定ではなかった。

トゥパク・アマルの反乱準備の進み具合にもよるが、反乱決行までの期間、ほぼ無期限でアンドレスを預かり、武将としての力をつけること、それがトゥパク・アマルとアパサとの間の言い交わしだったのだ。

もちろん、トゥパク・アマルからはそのアパサの労に報いるための、数々の珍重な品々が貢物として届けられていた。

アパサは返事のかわりに、「外に出ろ。お前の腕がどのくらいか知りたい。」と無愛想に呟いた。

いきなりの腕試しに若干とまどいの色を見せるアンドレスを再び冷ややかに一瞥し、アパサは「はやくしろ!」と冷たく言い放った。

すかさず、バルトリーナが鬼のような表情で割って入る。

「あんた!

アンドレス様はクスコからの長旅でお疲れなんだよ!!

いい加減におしよ!」

「うるせえ!!」

アパサは妻の態度にいっそうふてくされた表情をして、妻を乱暴にどけると、ドカドカと外に出ていってしまった。

アンドレスもすぐにその後を追う。

アパサは広大な館の裏にある広々とした空き地にアンドレスを連れていくと、少し離れた場所に仁王立ちで腕組みしたまま、無言で目の前の若僧をジロリと眺めた。

それから、空き地の一角にある倉庫にアンドレスを連れて行き、その中に入れさせた。

倉庫の中は武器庫のようになっており、様々な武具がギッシリと並んでいる。

オンダ(投石器)や戦斧はもちろん、棍棒、そして、どこから手に入れたのか、スペイン人しか持てぬはずのサーベルなどもあった。

しかし、さすがに銃などの火器は見当たらない。

それにしても、いずれの武具も、その大きさにしろ種類にしろ、実に多彩に取り揃えられており、アパサの外面的な粗雑な風貌からは想像できぬほど、整然と美しく並べられている。

しかも、どれも新品のように、よく手入れされているのだった。

それは、あたかも武器の「博物館」さながらであった。

アンドレスは、見事に手入れされ陳列されたその様子に、まだ全く読めぬこの師となる人物の人柄の一端を、微かに垣間見た気がした。

「好きな武器を選べ。」

アパサが感情の無い声で言う。

「はい!」と、いつもの堂々とした落ち着きを取り戻しつつある声でアンドレスは返事をして、それから、鋭い眼差しでそれぞれの武器を吟味するように見渡した。

アパサは、アンドレスの横顔をじっと観察している。

アンドレスはアパサの視線を感じながらも、意識を武具に集中し、一本のサーベルを慎重に選び取った。

「これにいたします。」

「サーベルが使えるのか?」

アパサが相変わらず情を交えぬ声で尋ねる。

「はい。

クスコの神学校で、競技の学科の中で学びました。」

「なるほどね…。」

アパサの声は相変わらず冷ややかだった。

そして、再び、二人は空き地の中央で向かい合った。

夕刻が近づき、空は茜色に染まりつつある。

ひっそりとしたこの集落では周囲に人の気配もなく、ただ空き地を取り囲むように植わっている新緑の木々が夕刻の涼やかな風にそよぐ音が聞こえるのみである。

「どこからでも、かかってこい。」

アパサは淡々とした声で言った。

「しかし…!」

サーベルを手にしたまま、アンドレスはとまどった。

アパサは武具を何も手にしていなかったのだ。

アンドレスは、これでもクスコの神学校では、そのサーベルの腕は学内でトップレベルだった。

というか、運動競技全般において、――唯一、かの親友ロレンソを除いては――他の学科同様に他者の追従を許さなかった。

しかも、今、長身のアンドレスからは、アパサを見下ろすような形になっている。

年齢を考慮しても、30歳にさしかかるアパサと、16歳という若さのアンドレスとでは、体力的な差も大きいはずである。

いくら猛将と謳われるこのアパサでも丸腰では、自分が本気でかかっていけばいかなる目に合わせてしまうかわからぬ、と、この時はまだアンドレスは思っていた。

「つべこべ考えずに、さっさと来い!!」

アパサが叱責するように、がなり立てる。

アンドレスは、サーベルの柄を握り締めた。

師を危険に晒さずに勝つにはどうしたらいい…?

アンドレスの瞳の色に迷いが生じている。

アパサはその色を見透かし、射抜くような険しい表情で、氷のように冷たく言った。

「己の力を過信するな。

お前の思案など、全く無用なこと。」

そして、不遜に笑う。

アンドレスは改めてサーベルを構え直した。

アパサは構えさえも、とろうとしない。

その目は不気味な笑みを湛えてさえいる。

アンドレスは唾を呑んだ。

足で地を踏みしめるが、何か、いつものような安定感を得られない。

アンドレスの額には既に汗が滲んでいた。

身構えたまま動かぬアンドレスを挑発するように、アパサはゆっくりと前に出て、その間合いを詰めてくる。

無構えのままジワリジワリと近づいてくるだけだというのに、しかも、特別な威圧感を発しているわけでもないのに、まるで全てを吸い込んでいくかのような不気味なオーラを発している。

風景 人影

アンドレスの横顔を一筋の汗が伝った。

彼は、にじりよってくる眼前の「師」を見据えた。

(この男には手加減不要!

いつものように切り込んでいくのみ!)

心の中でアンドレスは自らを奮い立たせるように叫んだが、既に、アパサの気に呑まれ、その地底から湧き出すようなモヤリとしたオーラの中に、すべての力を吸い取られていくような錯覚に襲われていた。

体が、動かない…――!?

アンドレスの額から、さらに油汗が流れた。

「どうした、はやく来いよ。」

アパサはさらに間合いを詰めながら、まるで侮蔑するかのような眼差しでアンドレスの方を眺めている。

アンドレスの鼓動が速くなる。

どう動こうとも、もはや全てアパサの読み筋にはまっている!…――アンドレスはそんな念に憑かれた。

しかし、このまま何もせずには終われぬ!とばかりに、アンドレスは、突如、矢のように鋭く切り込んだ。

それは、もはや素手の相手に向かう攻撃ではなかった。

しかし、アパサはあっさりと刃をかわし、「おまえ、目をつぶっているのか?」と、馬鹿にしたように鼻で笑った。

まだ殆ど動いていないというのに、アンドレスの息は既に上がっている。

再び身構えるアンドレスの前に、愚鈍にさえ見える動きで、アパサはさらに間合いを詰めてくる。

アンドレスの目が険しくなり、鋭い光を放った。

その目の色の変化に、アパサもこれまでとは少し違う色で見返して言った。

「そうだ。

来いっ!!」

その言葉が終わるか否かの瞬間に、アンドレスの放った剣は、確かに電光石火のように、宙に火花を散らすかのごとくの勢いでアパサの急所に襲いかかった。

その瞬間、アンドレスは、アパサがそこに止まったまま動かずにいるかのような錯覚に襲われた。

(しまった!!)と、瞬時にアンドレスは我に返った。

自らの理性の箍を外して、武器も持たぬ師に、真剣で襲いかかるとは…――!

が、アパサは、まるでスローモーションのように、ゆっくりとアンドレスの剣先を軽くかわすと、アンドレスの右手首をぐいと捕らえ、左手でサーベルの柄のあたりをトンッと叩いた。

すると、そのままアンドレスの手から、あっさりとサーベルが地にこぼれ落ちた。

辺りは水を打ったように静まり返った。

既に、茜色の空は、夜の群青色に変わりつつある。

一陣の渇いた冷たい風が、二人の間を吹きぬけていく。

肩で息をしながら呆然と地に落ちたサーベルを見下ろすアンドレスの額からは、玉のように汗が流れ落ちていた。

一方、アパサはいっこうに息も上がっておらず、汗一つかいてはいない。

アンドレスは混乱した頭で、アパサを見やった。

そのアパサは、非情なまでに冷ややかな視線で、アンドレスを見下ろしていた。

「スペイン人の神学校では、剣さばきの一つもまともに教えられていなかったようだな。

それもそうだろう。

スペイン人にしてみりゃ、インカの皇族に剣の技など覚えられては、己の首を絞めることになるだろうからな。」

そう言って、鼻で笑った。

アンドレスの耳がカッと紅潮する。

そのアパサの言葉は、アンドレスの腕がいかにひどいものであるかを露骨に皮肉ったものだった。

だが、冷静に考えれば、アパサの言葉にも、実際、一理あった。

しかし、常に類いまれな優秀さと言われ続け、学業面でも運動面でも、何事においてもトップを走ってきたアンドレスにとって、このような屈辱は、全くもって初めての体験だった。

半ば理性を失って、アンドレスは血走った目でアパサを睨んだ。

アパサは面白そうに、「ほお、やるなら相手になるぞ!」と、両手をバンバンッと叩いてわざとらしく挑発してくる。

「言わせておけば!!」

ついに、さすがのアンドレスも、箍が切れたように素手のままアパサに襲いかかった。

アンドレスに押し倒される形で、アパサはそのまま勢いよく仰向けに地にひっくり返った。

殴りかかってくるアンドレスの手首を捕えながら、アパサはニヤリと笑う。

「見かけよりは、力は、少しはあるようだな。」

しかし、その次の瞬間にはアンドレスの腕を引くと、あまりにもあっさりと十字に固めてしまった。

腕を十字に固められて、アンドレスは痛みに歯をくいしばったまま、しかし、決して降参の合図を発しない。

しまいにはアパサの方が呆れて、アンドレスの腕を放した。

「こんなところで腕を折られたら、世話をするこっちが厄介だ。」

アパサが吐き捨てるように言い終わるか否かという間に、再び、アンドレスが素手のまま飛びかかる。

そのまま、そんな取っ組み合いが幾度繰り返されただろうか。



気づくと、日はとっぷりと暮れている。

乾いたこの土地の、晩春の夜は冷え込みがはやい。

「寒くなってきやがった…。」

さすがに汗と泥まみれになったアパサは、草の上に座り込んだまま澄んだ星空を見上げて呟いた。

それから、自分の横ですっかり地面の上に伸びてしまっている若僧の方を見やった。

アンドレスは、汗と泥にまみれた肌に、ところどころ血を滲ませたまま、意識を失っている。

アパサはピュッと口笛を吹いて、闇の中から部下の者を数名呼び寄せた。

「この手のかかるお坊ちゃんを、館に運んでやってくれ。」

そして、自らも少々足をひきずりながら、館へと戻っていった。



それから2~3時間が過ぎた頃だろうか。

アパサの館の中に彼のために用意された一室で、ベッドの上に身を横たえたまま、アンドレスの意識はゆっくりと戻りつつあった。

意識が戻っても、目を閉じたまま、身動き一つせずに横になっていた。

実際、ひどく全身が痛んで、動く気にすらならなかった。

しかし、そんな身体的な痛みなど、心の痛みに比べれば些細なことだった。

何という過信…――!!

アンドレスは、自らの内側に築き上げてきたものが、すべて音を立てて崩れていくのを感じていた。

自分はこれまで一体、何をしてきたのだろうか。

まるで井の中の蛙だったのだ。

なんという愚かさ…!

アンドレスの閉じた瞼が微かに震えている。

その時、ふと近くに人の気配を感じた。

アンドレスはゆっくりと重い瞼を上げていく。

すっかり夜も深まった薄暗い室内を、数本の蝋燭の光が音も無く浮き立たせている。

彼は痛みのために首を回せず、目だけ動かして、ぼんやりとした視界をたどっていった。

ベッドから2~3メートル離れたドアの近くの椅子に、ひっそりと佇む人影が見える。

まだ霞んだ視界の中で、しかし、アンドレスは目をこらした。

その瞬間、彼は目を疑った。

長く編んだ黒髪を華奢な肩の前に垂らして、涼やかな瞳に優しい眼差しを宿し、息を詰めてこちらを見守る一人の少女の姿がそこにあった。

それは、コイユールの姿だった。

「コイユール…?!」

アンドレスは、かすれた声で呟いた。

すると、その人影はハッとして椅子から立ち上がると、ゆっくりと、慎重に近づいてきた。

アンドレスは痛みも忘れて、そちらを振り向き、釘付けられたようにその人を見た。

「気がつかれましたか、アンドレス様。」

安堵したように人影が言う。

はっきりとしてきた視界の中で、彼をそっと見下ろす少女は…それは、全く知らない人だった。

(こんなところに、コイユールがいるわけがないのに…。)

アンドレスは、心の中で寂しく苦笑した。

そして、改めて、目の前の少女に視線を向けた。

アンドレスは静かに話しかけた。

「介抱して…くださったのですか?」

先ほどアパサに何発も見舞われた拳のために、声が出にくくなっている。

少女は、息を詰めたまま、小さく頷いた。

自分よりも少し年下くらいの清楚な雰囲気のインカ族の少女で、控えめながらも、そこはかとなく漂う華やかな雰囲気がある。

その気配は、アンデスの地に原生する、小さく可憐な見かけにもかかわらず強い生命力を宿し、淡い桃色の優しい花を咲かせるアルストロメリア(インカのユリ)を思わせた。

確かに、雰囲気が、どこかコイユールに似ているのだ。

インカのユリ

少女は、恥ずかしそうに、少し伏し目がちなまま、アンドレスをそっと見た。

「お加減は、いかがですか?」

「あなたは?」

「私は、アパサ様の姪、アンヘリーナと申します。

叔父様から、アンドレス様のご滞在中のお世話をするようにと…。」

そして、静やかに頭を下げた。

「そうですか。

いや…まいったな。」

アンドレスは苦笑した。

「あの荒々しいアパサ殿に、あなたのような姪御さんがいらしたとは。」

それから「お世話になります。」と、首を動かしてアンドレスも丁寧に礼をはらった。

それだけの動きでも、首から肩、そして背骨の方まで激痛が走る。

「あなたの叔父上は、お強いですね。」

アンドレスは苦々しい思いを噛み締めつつも、一方で、いや、俺が弱すぎるのか…と、心の中で虚しく呟いた。

アンヘリーナと名乗ったその少女は、アンドレスの心の声を察するかのように、「叔父様は、武人としての腕だけは、このあたりでは右に出る者がないほどお強いのです。」と慰めるように答える。

そして、優しく微笑みながら、控えめな声で続けた。

「叔父様に武術を学ばれたら、きっとアンドレス様は叔父様を凌ぐような立派な武将になられますわ。」

アンドレスは自分の心を見透かされたような、どこか決まり悪い気持ちで、「そうだろうか…。」と感情の無い声で答えた。

月影の窓

「だって、アンドレス様の叔父上様のトゥパク・アマル様は、叔父様よりも、もっとお強いではありませぬか。」

アンドレスは、アンヘリーナに改めて視線を向けた。

「トゥパク・アマル様をご存知なのですか?」

「叔父様からお話を聞かせてもらっただけですけれど。」

「なんと聞いている?」

アンドレスはやや身を乗り出すように、うつむきがちな少女の顔を覗き込んだ。

「トゥパク・アマル様は、はじめて叔父様に会われた時、斧で果し合いをして、叔父様を負かしてしまったそうですわ。」

「トゥパク・アマル様が、アパサ殿を?!」

初耳だった。

トゥパク・アマルから、アパサの元で修行してくるようにとは言い渡されていたものの、詳しい経過は全く聞かされていなかったのだ。

思いに耽ったような目をしているアンドレスに、アンヘリーナは静かに礼をして「お食事をお持ちしますわ。」と言うと、淑やかな物腰で部屋を出ていった。

アンドレスは蝋燭の影が揺れる天井を見つめた。

トゥパク・アマル様は、あのアパサ殿に勝った…――。

アンドレスの胸が熱くなった。

彼の脳裏に、トゥパク・アマルの姿が甦る。

最後に会った時、トゥパク・アマルはアンドレスをまっすぐに見つめて言った。

『アパサ殿は、私が見込んだ、なかなかの優れた武将だ。

そなたは、いずれ我々の反乱軍を率いる将となる運命にある者。

その身に、そして、その心に、武人として相応しい技量をしかと身につけてくるのだよ。』

(トゥパク・アマル様…!)

アンドレスの天井を見つめる眼差しが鋭くなる。

その瞳には、再び強い光が甦りつつあった。



翌朝、東側の窓からまばゆい朝日が差し込む頃、アンドレスは目を開けた。

身を起こし、自分の体の様子を確かめる。

さすがに若いアンドレスは、一晩しっかりと休養をとったおかげで、体の痛みも体力もかなり回復しているようだった。

彼は勢いよくベッドから飛び出し、窓を開けて晩春の朝の風を吸い込んだ。

そして、昨日は全くそんな余裕もなかったが、今は、与えれた部屋をゆっくりと見回すことができた。

巨大な丸太を何本も組み合わせて造られた壁は堅固で重厚な雰囲気があり、部屋に置かれたベッド、机、本棚などの家具も、いずれも素朴な木造りながらも、どっしりとした重量感と格調高さを感じさせるものばかりだった。

本棚の前に行ってみると、そこには戦術の書物がぎっしりと並んでいる。

二階にあるその部屋は明るい陽光がふんだんに差込み、窓からは乾いたこの土地に所々林立する瑞々しい緑の木々が広々と見渡せる。

多分、この館でも、特別に良い部屋に違いなかった。

自分が大切な客人として礼をもって扱われていることを、アンドレスはこの時、はじめて認識した。

この土地の有力な豪族でもあるアパサの館は、シカシカの集落の郊外にあり、広々とした敷地を有している。

隣接する他の館までの距離も遥かに遠く、この館から臨む荒涼としつつも雄大な風景からは、このシカシカの集落が、実は商業の盛んな賑わいある町であることを忘れさせる。

アンドレスは、早朝の爽やかな風を再び胸いっぱいに吸い込んだ。

シカシカの朝陽

ちなみに、アンドレスにとって修行の場となるこのシカシカの集落は、かの有名なティティカカ湖近隣の地にあり、トゥパク・アマルらが住む「ペルー副王領」に隣接する「ラ・プラタ副王領」の、4026メートルという高所にある。

同名のシカシカ郡の首府であり、南はペルーとの国境のデサグワデーロ、南東はオルーロ、パリア、東はコチャバンバ、北西はラ・パスの諸郡と接している。

北から北東にかけて、東コルディエラ山脈に臨む方面は農産物がよくでき、果物、特に、葡萄、コカ、タバコ、木材の産地として知られる。

酸素の薄い高地に住まうインカ族にとって、その鋭気を高めてくれるコカは当時から人々に愛用されており、シカシカはその産出のおかげで比較的裕福な地域であった。

そして、アパサもまた、表面上はコカや服地を商う豪商を装っていた。

かのトゥパク・アマルが商隊を組んで多数のラバを従えて旅をしていたことが、嫌疑の目を逃れて反乱を組織するのに役立ったのと同様に、このアパサも商人であったことは、その反乱準備をスペインの役人の注意を引かずに進める上で大いに役立っていた。

アンドレスは身だしなみを整え、部屋を出て階下へと向かった。

既にアパサは起きていて、広間のテーブルで朝食をとっている。

「おはようございます。」

アンドレスの挨拶に、アパサは黒っぽい麦芽の塊のようなパンを豪快にかじりながら、ちらりと目を上げた。

「おはよう。」

アパサも挨拶を返し、「座れ。」と、テーブルの向かいにアンドレスを座らせた。

「アンドレス様、おはようございます。」

ニコニコとアパサの妻バルトリーナが挨拶をしながら、新鮮な果物がふんだんに盛られた朝食を運んできてアンドレスの前に並べた。

アンドレスもバルトリーナに挨拶を返す。

アパサはチチャ酒を片手に、アンドレスに「食え。」と勧め、それから、「お前、これからどうする?」と問う。

アンドレスはその問いの意味をにわかには掴みかね、朝から酒を呑んでいる眼前の男の顔を見た。

アパサは酒をあおった。

「ここを出て、故郷へ戻るか?」

アンドレスは不審そうに目を細めた。

「どういう意味です?」

「いやなに、身の程を知ったかと思ってね。」

アパサは、わざとらしくニヤリと笑う。

アンドレスはやっと立て直そうとしている気持ちをまた突き崩そうとしている目の前の男に、険しい眼差しを向けた。

「アパサ殿。

俺は、武人としての技量を身につける覚悟でここに参りました。

まだ何もしていないうちに、逃げ帰る気はありません!」

それは、まるで自分自身に言い聞かせ、叱咤するような口調だった。

アパサは両手を軽く上げて、おどけたような降参のポーズをとって、「まあ、そう堅苦しく考えるな。」と、ニンマリ笑う。

「おまえ、そのクソまじめなところは、トゥパク・アマルにそっくりだな。」

アンドレスは、アパサがトゥパク・アマルを呼び捨てにしたことに、怒りというより、唖然として、それから、「そっくり…?」という言葉を小さく反芻した。

アパサは再び酒をあおり、そのままカップを勢いよくテーブルに置いた。

そして、まじめな顔になってアンドレスの目を見据えた。

アンドレスも、アパサの目を挑むような険しい瞳で見返した。

アンドレスのその瞳は怖いほどに純粋で、吸い込まれそうなまでに澄んでいる。

アパサは、アンドレスの目を無言で見据え続ける。

アパサの心の奥まで貫くかのごとくの真剣な眼差しで、しかし、深く瞳で礼を払い、アンドレスは言った。

「アパサ殿。

どうか、今後もご指導を、よろしくお願いいたします。」

アンドレスの声は深く、低く響き、その決意の色がはっきりと見てとれた。

アパサはアンドレスの瞳を見据えたまま、しかし、微かにその目を細めた。

確かに、この若僧、トゥパク・アマルに、どこか似ている…――その内側にあるものが…。

「どんなことでもするか?」

おもむろに、アパサは言った。

しかし、その声は、今までの皮相で茶化したものとは明らかに異なっている。

「はい。

どのようなことでも!」

アンドレスは、きっぱりと答えた。

アパサはアンドレスの目をまだ見据えたまま、再びカップを握りチチャ酒をすすった。

「おまえをどうするか、決めるのは俺だ。

おまえの出来次第で、いつでもお帰りいただく。」

アパサの目はまじめだった。

しかし、その返事は、とりあえずアンドレスを受け入れる内容には違いなかった。

「はい!!

ありがとうございます!」

アンドレスは若者らしい元気な返事を返して、アパサの前で初めて笑顔を見せた。

その笑顔には、周囲の空気を一変させてしまうような、あの湧き立つ華やかさがあった。



朝食をすませると、アパサは早速、アンドレスを館の隅にある納屋へと連れていった。

そして、中に入ると、一組のバケツと雑巾を取り出した。

「ほれ。」と、アンドレスの前にそれを突き出す。

アンドレスは訳のわからぬまま、それらを受け取った。

「俺は、お前のお相手ばかりしていられるほど、いい身分じゃあないんだ。

家業の商売も、はっきり言って繁盛していて、十分に忙しい。

だから、基本的には、自分で、自分を鍛えろ。」

「それは、わかりますが…。」

しかし、そのことと、これらバケツと雑巾が、一体どうつながるのか。

そんなアンドレスの様子に、アパサは苛々しながら「お前は頭も悪いのか!」と、相変わらずひどく口も悪い。

「これから、毎朝、館の床をそれで拭け。」

アンドレスは耳を疑った。

そんな様子にはお構いなしに、アパサはさっさと一人で館の方に戻りはじめる。

バケツを手にしたまま、アンドレスは急ぎアパサの後を追う。

「これは、どういう意味でしょうか?」

アパサは例の冷ややかな眼差しで一瞥し、「それくらい、自分で考えろ。おまえ、さっき、何でもすると言ったろう。」と、感情の無い声で答えた。

それから、「よおく、雑巾は絞って拭くんだぞ!」と、妙に力をこめて念を押し、それから、さっさと館の一角にある仕事場へと消えてしまった。

仰天したのは、アパサの妻バルトリーナだった。

ふっと家業の手を休めて顔を上げると、あの『トゥパク・アマル様、ならず、インカ皇帝様の甥であるアンドレス様』が、自分たちの館の床を雑巾で磨いているではないか。

目を見張っていたのは、バルトリーナだけではなかった。

アンドレスのおつきの護衛官たちは当然だし、アパサの部下たちさえも、『皇帝陛下からおあずかりした若様』が館の床を雑巾で拭いている姿に顔を青くした。

アンドレスの護衛官たちなどは、昨日の無謀な挑み合いから、既にアパサへの不信感を募らせていたため、この期に及んでは、もうすっかり気色ばんで、客人と商談にいそしむアパサの方をはっきりと睨みつけていた。

バルトリーナは、アンドレスの方に素っ飛んでいった。

「アンドレス様、どうか、このようなことはお止めくださいませ!!」

真っ青な顔をしているアパサの妻の方に顔を上げたアンドレスの表情は、むしろ落ち着いたものだった。

「拭き方は、こんな感じでいいですか?」

逆に質問されて、バルトリーナは言葉も失って、「はあ。」と気の抜けた声を漏らした。

「ご案じなきよう。

アパサ殿のお考えなれば、きっと意味のあることなのです。」

放心しているバルトリーナにそう言って笑みを返すと、アンドレスは再び、その生まれてはじめての雑巾がけに意識を集中させた。

『よおく、雑巾は絞って拭くんだぞ!』

アパサの言葉通り、彼は念入りに雑巾を絞った。

絞りながら、考えた。

何か意味があるはず…そうアンドレスは信じようとしていた。

というか、そうでも思わねばやっていられなかったのだ。

自分のプライドのギリギリのところをアパサは非常に巧みに刺激してくる、そのこともアンドレスは既に察知していた。

呑まれてなるものか!!

アンドレスは、再び、ギュウウッと水を含んだ雑巾を両手で力強く絞った。

彼の指の間から、汚れを含んだ水が、バケツの中にザーッと勢いよく流れ落ちていった。

アンドレスが一通り館の雑巾がけを終わった頃、アパサは見計らっていたように商用を抜けて彼の前に現れた。

そして、美しく磨き上げられた床を見渡しながら、「よしよし、綺麗になったな。」と、意外にも満足そうに頷いた。

「よく絞って拭いたか?」

「はい。」

アンドレスはしっかりと返事をした。

アパサは「よし。」と言ってから、「明日は、今日の倍の力をこめて、今日の倍位の回数は雑巾を絞って拭け。」と付け加えた。

アンドレスは、もはやその理由などは聞かず、「はい。」と、ただ返事を返した。

答えは、自分でみつけるものなのだ。



それから、アパサは、恐らく本当に仕事が忙しいはずだったが、商用の客人のいない隙を見て、アンドレスを昨日と同じ館の裏手の空き地に連れていった。

そして、昨日と同様、例の武器庫にアンドレスを連れていくと、今日はアパサ自ら武器を吟味して、一本の厳(いか)つい棍棒を抜き取った。

それは1メートル数十センチは優にある、長めの鉄製の棍棒だった。

見るからに危険な鈍器という印象で、先端の打突部には、棘付きの球体(星球)が1個ついている。

アパサは武器庫の奥の引き出しから、さらに星球を2個取り出し、その棍棒の先端にしっかりと取り付けた。

そして、その棍棒の全体的な長さや重さを暫し慎重に吟味した後、まるで捧げ持つかのようにして、それをアンドレスの前に差し出した。

アンドレスも両手で恭しく、その厳しい棍棒を受け取った。

ズシリとした重さが腕に伝わる。

少なく見積もっても、4キロ程度の重量はありそうだ。

それから、二人は再び武器庫を出た。

快晴

そして、空き地の中央で対峙するように、立った。

再び勝負をするつもりだろうか?

棍棒を握るアンドレスの指に、無意識に力がこもる。

「サーベルは、この後、ここでは決して使うな!」

最初に口火を切ったのは、アパサの方だった。

「あんな軽い物を持っていたら、筋力がつかないばかりか、衰えるぞ。」

なるほど、それでこの重々しい棍棒を使えと…アンドレスは、納得した。

「これからは、その棍棒をサーベルだと思え。」

アンドレスは頷き、改めて、アパサに与えられた棍棒を見下ろす。

サーベルは、長さとしてはほぼこの棍棒と同じ位だが、重さはといえば、せいぜい重いものでも2キロ半…、それに比べれば、この手にあるものは随分重い「サーベル」だった。

だが、アパサの意図についていくのみ。

アンドレスは、がっちりと、その重厚な鈍器を握り締めた。

「なぜ、おまえが弱いのか、わかるか?

アンドレス。」

アパサが初めて自分の名を呼んだことを、アンドレスは聞き逃さなかった。

アパサはアンドレスの答えも待たずに、「基本が全くなっていないからだ。」と、あの冷ややかな声で続ける。

そして、「武器を置け。」と指示して、アンドレスの1メートル程前に立った。

「まず、立ち方からだ。

構えるつもりで立ってみろ。」

アパサの言葉に素早く応じたアンドレスの立ち姿を、アパサは厳しい目でじっと観察する。

実際、アンドレスの場合、体型的なバランスはかなり良い。

きちんと、左右の足に等分の力も入っている。

アパサは頷き、「どうしたら、もっとバランスを高められると思う?」とおもむろに質問を投げてきた。

「重心を低めることでは?」というアンドレスの答えを、手で振り払うようにして、「そんな抽象的な答えではない。」と制してから、息を深く吸い込んだ。

「『気』を下に落とすのだ。

いいか、息を深く吸う、それを丹田にスッと溜める。」

アンドレスはアパサの指示のまま、実際にやってみる。

確かに、重心、というか、自分の中心が、すっと体の中央におさまる感覚がする。

アパサは再び頷いた。

「そうだ!

そして、地面をしっかりと足裏でとらえる。」

それから、「どうだ?地中からのエネルギーが伝わってくるのが感じられるだろう。」と、輝くような力の漲る眼差しでアンドレスの顔を覗きこんだ。

アンドレスは、これまでとは違うアパサの表情に、力強く頷いた。

武将としての自信に溢れた声で、アパサが続ける。

「そうだ!

そして、そのエネルギーを攻撃のパワーに転化するのだ!!」

切れ味のよい刃物のような鋭利な眼差しで、再びアパサがアンドレスを見る。

「次!

構えだ。」

アパサの指示に従い、アンドレスは棍棒をサーベルに見立て、構えの姿勢をとってみる。

今のアンドレスの筋力では、とても片手では扱いきれぬ代物だった。

まだ、この異様に重い鈍器が手になじまない。

アンドレスは、無意識に構えをつくり直した。

その瞬間、アパサの険しい怒声が飛んだ。

「一度決めた構えをつくり直すな!

死ぬか生きるかという時に、構えをつくり直している暇などあるか。」

そして、厳しい目でアンドレスを睨んだ。

「いつでも、戦場にいると思え。」

アンドレスの構えから切り込みに至る一連の動作を苦々しい表情で見ながら、「全く駄目!」とアパサは相変わらず手厳しい。

確かに、口は悪いし、荒っぽい男ではあったが、しかし、アパサの指導は思いのほか丁寧なものだった。

「腕を使って敵を切る、確かにそうかもしれん。

だが、その腕を支える上半身を動かすのはどこだ?

それは、下半身、足の力だ。

地に正しく立ち、地を足が押し、そのエネルギーが武器の先まで有効に伝わるように振れ。

さっき言ったのは、このことだ。

それこそ、無駄の無い攻撃に通じる近道なのだ。」

そして、言葉を継いだ。

「足で、切れ!!」

それから、さらに少し間を置いて、アパサは鋭い眼差しを向ける。

「立ち方、足さばきが、どれほど重要かわかってきたか?

まさに、基本こそが奥義なのだ!!

おまえにもいずれ、そのことが分かる日がくるといいがね。」と、含みをもたせて言葉を切る。

そんな風に言いながらも、自ら手本の動作をとって見せるアパサの一挙手一動を、一つも見逃さぬ、聞き逃さぬ、とばかりの真剣な眼差しでアンドレスは力強く頷いた。



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