扉が閉まると、室内には、先にも増して重い沈黙が訪れる。
今も、アレッチェは、寝乱れた姿を少しも正そうとはせず、寝台に長々と寝そべったまま、包帯の向こうから憎悪に満ちた両眼でこちらを睨みつけている。
一方、トゥパク・アマルは、湖面のような静謐(せいひつ)な眼差しで、ただ黙って、相手の突き刺すような眼光を受け留めている。
そのトゥパク・アマルの表情は、慈愛に満ちているようであり、眼前の敵将を憐れんでいるようでもあり、あるいは、因縁の宿敵の腹の内を探ろうとしているようでもあり、真意が読めない。
そのようなトゥパク・アマルの様子に、いっそう苛立ちを募らせたのか、睨(ね)めつけていたアレッチェの黒眼が、カッ、と燃え上がった。
「――なぜ、あの時、中途半端に、わたしを助けた……?
このようなおぞましい姿で、生涯、人目を憚(はばか)りながら日陰で生きていけ、と――。
これは、おまえの、わたしへの復讐か?」
そう吐き捨てるように呻いたアレッチェの双眸(そうぼう)は、地底から這い出してきた妖魔のごとく激しい憎しみと恨みの念に血走っている。
と同時に、これまで表情の見えなかったトゥパク・アマルの相貌にも、深い沈痛さが現われた。
「すまぬ、アレッチェ殿――。
なれど、人には、外見よりも、もっと重要で、尊きものがあるはずだ」
「おまえまで、あの小娘と同じ綺麗事を言うのか……!」
「確かに、今は、どう言っても、綺麗事にしか聞こえぬであろう。
そなたの深い苦悩は、察するに余りある。
そなたと同じ立場になれば、わたしとて、そなたと同じことを思うやもしれぬ。
いっそのこと、そなたの負っている苦しみを肩代わりしてやれたなら……」
「黙れ。
おまえの偽善者ぶりには、辟易(へきえき)しているのがわからんのか」
「なんと言われても構わぬ。
叶おうことならば、わたしは、そなたの姿形も、そして、そなたの心身の健康状態も、本来の状態に戻したいのだ。
ゆえに、もうしばらく、わたしに時間をくれまいか?」
寝台の方に身を傾け、まるで懇願するかのように言うトゥパク・アマルの真摯な声音を、強度に苛ついたアレッチェの罵声が一蹴する。
「おまえは馬鹿か!?
時間などいくらかけたところで、回復なぞ見込めぬものを……!」
「そう結論づけるには、まだ早い。
そなたの真の回復のために、我らは、まだ最善を尽くし切れてはいない」
真っ直ぐ自分を見つめて真剣そのものの顔で言うトゥパク・アマルに対して、逆に、アレッチェの方は、怒りを通り越し、まるで狂人でも見るような目つきになっている。
「おまえは、なにを戯言(たわごと)を抜かしているのだ?
こんな重症の火傷やケロイドが、どうにかできるとでも言うのか?
まさか、インカの妖術でも使って治す、とでも言いだすのではなかろうな?」
相変わらず激昂(げっこう)しているものの、いきり立ちすぎて、かえって頭が冴え冴えと冷えてきたのか、アレッチェの語気には、彼本来の冷静さが戻ってきているようだった。
その微かな変化を鋭敏に感じ取りながら、また凪いだ湖面のような静かさで、トゥパク・アマルが相手を見守っている。
そうしているうちに、やがて三度目の長い沈黙が訪れた。
かなり長く重々しい沈黙が流れ、やがて、「クッ、クッ……」と響く、アレッチェのくぐもった忍び笑いが、居室の冷たい空気を震わせる。
「トゥパク・アマル、おまえは、どこまでお人よしなのだ。
放っておけば大火が始末してくれたであろうわたしを、わざわざ助け出し、その上、このように罵倒され、さらには治療を続けさせてくれとまで懇願するとは」
「それが、我らインカ人(びと)の習わしであり、誇りでもあるのだよ」
そう言って微笑むトゥパク・アマルの表情には、抑えようにも滲み出す高貴さが漂っている。
そのような相手の様子が、いかにも鼻につく、というふうに、アレッチェは忌々し気に大袈裟な溜息を吐き出した。
「もう、いい加減、おまえの腹の内を見せたらどうだ?」
そんなアレッチェに、トゥパク・アマルも、「その思いは、わたしも同じだ、アレッチェ殿」と、切れ長の目元を優美に細めて頷く。
「とはいえ、そなたを回復させたい気持ちに、そなたの苦しみを取り除きたいということ以外、他意は無い。
もちろん、もしそなたが納得できるまでに回復し、そのことによって、そなたが我らインカを卑下し憎悪してきた気持ちを変えてくれたなら、どれほど良いか。
そなたと心打ち解け合うことができたなら、どれほど有難いことか――」
「できもしないことを前提に、勝手に夢想じみたことを述べ連ねるな。
わたしから見れば、おまえなぞ、未開地の野蛮なインディオの一首領にすぎぬのだ。
それをまるで対等のような口ぶりで、心打ち解け合うだと?
おぞましくて、虫唾が走るわ」
「そなたがどう思おうと、ただ、わたしは自分の本心を述べたまでだ。
なんと言っても、こうして、水入らずで、そなたと話せる機会なぞ、そう多くはないのだからな。
なれば、そなたの言うとおり、互いに、もっと腹を割って話そうではないか?」
◇◆◇◆◇ お 知 ら せ ◇◆◇◆◇
いつもご来訪くださいまして、温かいコメントや応援を本当にありがとうございます!
頂戴したコメントからは、毎回、たくさんのインスピレーションを貰っており、また、そっとお読み頂けております方々の存在も大きな励みとなっており、全ての読者さまと共に創作している作品であることをしみじみ実感する日々です。
ちなみに、通常の更新日は昨日だったのですが、一日遅れとなってしまい、申し訳ございません。
これまでは月~火の日付が変わる頃に更新していたのですが、事情により、今後は、更新する曜日が週によって変わってしまうことになりそうです。
ですが、これまで通り、2週間に1度の更新ペースは維持していきたいと思っています。
いつも勝手で申し訳ございませんが、どうか引き続き、『コンドルの系譜』をよろしくお願いいたします!
今年も残すところ一月余りとなり慌ただしさが増してくる時期ですし、日毎に寒さも増してきておりますので、皆さま、どうか御身体にはくれぐれもお気を付けてお過ごしください。
【登場人物のご紹介】 ☆その他の登場人物はこちらです☆
≪トゥパク・アマル≫(インカ軍)
反乱の中心に立つ、インカ軍(反乱軍)の総指揮官。
インカ皇帝末裔であり、植民地下にありながらも、民からは「インカ(皇帝)」と称され、敬愛される。
インカ帝国征服直後に、スペイン王により処刑されたインカ皇帝フェリペ・トゥパク・アマル(トゥパク・アマル1世)から数えて6代目にあたる、インカ皇帝の直系の子孫。
「トゥパク・アマル」とは、インカのケチュア語で「(高貴なる)炎の竜」の意味。
清廉高潔な人物。漆黒長髪の精悍な美男子(史実どおり)。
≪ホセ・アントニオ・アレッチェ≫(スペイン軍)
植民地ペルーの行政を監督するためにスペインから派遣されたエリート高官(全権植民地巡察官)で、植民地支配における多大な権力を有する。
ペルー副王領の反乱軍討伐隊の総指揮官として、反乱鎮圧の総責任者をつとめる。
有能だが、プライドが高く、偏見の強い冷酷無比な人物。
名実共に、トゥパク・アマルの宿敵である。
トゥパク・アマルに暴行を加えていた際の発火によって大火傷を負い、その現場である砦を占拠したインカ軍の元で治療を受けている。
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