誰もいないと思っていた中庭から突然声がして、ただでさえ身を硬くしていたコイユールは、ビクッ、と大きく肩を震わせた。
「………!?」
「ごめんごめん、驚かすつもりじゃなかったんだ」
梢の間から降り注ぐ月光に照らされて、申し訳なさそうに頭に手をやっているのがアンドレスだとわかると、コイユールは深く安堵の息をついた。
「アンドレス、びっくりしたわ。
そんなところで、どうしたの?」
「いや、ちょっと、君に会いに来たんだけど…。
そしたら、ちょうど従軍医と君が話しているところで…、いや、別にわざと黙って聞いてたわけじゃないんだ。
でも、たまたま聞こえてきちゃって……」
「――今の話、聞いてたの……?」
青ざめたコイユールの顔色が、さらに蒼白になっていく。
そんな彼女の手を引いて、誰かに聞かれないよう中庭の奥まで連れていくと、アンドレスは、やっと普段の声音になって問う。
「あの重症の火傷痕や不自由な体が完治するってアレッチェに誓ってしまったって、本当なのか?」
「……ええ…」
コイユールが、コクンと、力無く頷いた。
「コイユール、どうしてだ?
なんで、そんな不可能なことを約束したりしたんだよ。
従軍医にも言えないような理由が何かあるのか?」
「…そ…れは……」
コイユールは言葉を飲んで肩を落とし、そらした視線を不安定に漂わせている。
そんな彼女を、アンドレスが痛々し気に見つめている。
「コイユールが言ってくれなくても、だいたいの察しはつくけどな。
おおかた、アレッチェに脅されたか何かだろ?
『必ず完治させろ、その代わり、おまえの望みを叶えてやろう』とか、言われたんじゃないのか?
ついでに、『トゥパク・アマルにも、アンドレスにも、誰にも、このことは言うな』とかって、ダメ押しもされたろ?」
ハッと、驚嘆した眼差しで反射的に顔を上げ、潤みかけた瞳をパチパチと瞬かせているコイユールの様子に、「やっぱりそうか…」と、アンドレスが溜息をついた。
「いかにもあいつの言いそうなことじゃないか。
あいつが、どんな望みを叶えてやると言ったか知らないけど――まあ、だいたい想像はつくが…、どっちにしたって、絶対に約束なんか守らない奴だってこと、コイユールだって、これまで、何度も、何度も、何度も、見てきたじゃないか。
なのに、なんで、そんな無謀な誓いを立てたりしたんだよ?」
「……――」
長いおさげを冷風にあおられながら、まだ喉に何かが詰まったように言葉を発せずにいるコイユールの華奢(きゃしゃ)な肩を、アンドレスの手が、勇気づけるように優しく包んだ。
「他言するなとアレッチェに約束させられたことを気にしてるのか?
なら、先に俺が言い当てちゃったんだから、俺との間では、もう、そんな誓約は無効だよ」
「ほんとに、そういうことになるのかしら?」
「なるなる!
ゼッタイ、なる!!」
おどけた調子でそう言って、大袈裟に肩をすくめて見せたアンドレスの様子に、コイユールも、やっと、クスリと小さく笑った。
そんな彼女の表情の変化に、アンドレスの口元も、思わずほころぶ。
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≪トゥパク・アマル≫(インカ軍)
反乱の中心に立つ、インカ軍(反乱軍)の総指揮官。
インカ皇帝末裔であり、植民地下にありながらも、民からは「インカ(皇帝)」と称され、敬愛される。
インカ帝国征服直後に、スペイン王により処刑されたインカ皇帝フェリペ・トゥパク・アマル(トゥパク・アマル1世)から数えて6代目にあたる、インカ皇帝の直系の子孫。
「トゥパク・アマル」とは、インカのケチュア語で「(高貴なる)炎の竜」の意味。
清廉高潔な人物。漆黒長髪の精悍な美男子(史実どおり)。
≪アンドレス≫(インカ軍)
トゥパク・アマルの甥で、インカ皇族の青年。
剣術の達人であり、若くしてインカ軍を統率する立場にある。
スペイン人神父の父とインカ皇族の母との間に生まれた。混血の美青年(史実どおり)。
ラ・プラタ副王領への遠征から帰還し、現在は、英国艦隊及びスペイン軍との決戦において、沿岸に布陣するトゥパク・アマルのインカ軍主力部隊にて副指揮官を務める。
≪コイユール≫(インカ軍)
インカ族の貧しくも清らかな農民の少女。義勇兵として参戦。
代々一族に伝わる神秘的な自然療法を行い、その療法をきっかけにアンドレスと知り合う。
アンドレスとは幼馴染みのような間柄だったが、やがて身分や立場を超えて愛し合うようになる。
『コイユール』とは、インカのケチュア語で『星』の意味。
≪ホセ・アントニオ・アレッチェ≫(スペイン軍)
植民地ペルーの行政を監督するためにスペインから派遣されたエリート高官(全権植民地巡察官)で、植民地支配における多大な権力を有する。
ペルー副王領の反乱軍討伐隊の総指揮官として、反乱鎮圧の総責任者をつとめる。
有能だが、プライドが高く、偏見の強い冷酷無比な人物。
名実共に、トゥパク・アマルの宿敵である。
トゥパク・アマルに暴行を加えていた際の発火によって大火傷を負い、その現場である砦を占拠したインカ軍の元で治療を受けている。
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