さて、ここで、時間を少しばかり過去に戻そう。
アンドレスとコイユールが夜の中庭で語らっていた頃、トゥパク・アマルとアレッチェはどのような様相になっていたであろうか。
アレッチェの療養中の居室の中で、対面している二人の間には、今も重苦しい空気が流れている。
非常にプライドが高く、さらに、回復の見込めぬ重症を負って内心ひどく傷心しているであろうアレッチェを気遣い、人払いをして、敢えて二人きりの場を設定したトゥパク・アマルであったが、アレッチェの硬く拒絶的な様子は変わらない。
アレッチェは、相変わらず不遜な態度で長々と寝台に寝そべったまま、包帯の間から覗く黒眼を苛立たし気に天井に向けている。
対するトゥパク・アマルは、寝台の横の椅子に腰かけ、先にも増して取り付く島もない相手の横顔を静かに見守っている。
初夏とはいえ、石造りの砦では、夜間ともなると、しんしんと冷え込みが増してくる。
ましてや、重々しく冷え切った空気に支配されているこの部屋では、さらなる悪寒を誘う冷気が石床から滲み出してくるようにさえ感じられる。
トゥパク・アマルは、スッと立ち上がると、炎が薄くなってきた暖炉に、手ずから幾つかの薪を足した。
次第に勢いを取り戻していく炎を見つめながら、トゥパク・アマルが、思い出したように口を開く。
「そういえば、ここに来た用件を忘れるところであった」
そう言って、また寝台横の椅子に戻ると、己の言葉など全く聞こえていないかのように天井を睨んだままのアレッチェの方へ、僅かに身を傾けた。
「そなたの軍に所属しているヨハン・エルナンデス殿を、しばらく我が軍にお貸し頂きたいのだが」
「――ヨハン・エルナンデス……?」
アレッチェにしてみれば突拍子もないトゥパク・アマルの申し出に、彼は僅かにこちらに横目を向けて、訝し気に目尻をそびやかせた。
そのような相手に、トゥパク・アマルは、真摯な瞳で頷き返す。
「あの嵐の戦さの晩、ヨハン殿は負傷していたところを救出され、インカ軍の負傷兵たちと共に治療を施されていたのだ。
幸い軽傷で、今では順調に回復し、心身共に健康体に戻っている」
「……ああ、ヨハン・エルナンデス、あいつか。
血の気ばかり多いくせに、たいした武功も立てたことのない、無能な奴だ」
せせら笑うように皮相な口調でそう言って、アレッチェは、何の関心もそそられぬというふうに、また視線を天井へ戻した。
他方、トゥパク・アマルは、変わらぬ静かな面差しで相手の横顔を見つめながらも、感服したように切れ長の目元を細める。
負傷時に身に着けていたヨハンの装備や、戦闘時の様子、戦闘配置などを、担当医や目撃したインカ兵などから情報収集した内容から推察するに、恐らく、ヨハンは、アレッチェ麾下の巨大なスペイン軍の、ごく末端に属する一歩兵であろうと思われた。
そのような隅々の兵にまで、アレッチェは、くまなく目配りしている――その一点からしても、この男が只ならぬ抜きんでた将であること、それが故に、周り中が甚だしく無能な者ばかりに見えてしまうであろうことも、容易に想像できる。
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≪トゥパク・アマル≫(インカ軍)
反乱の中心に立つ、インカ軍(反乱軍)の総指揮官。
インカ皇帝末裔であり、植民地下にありながらも、民からは「インカ(皇帝)」と称され、敬愛される。
インカ帝国征服直後に、スペイン王により処刑されたインカ皇帝フェリペ・トゥパク・アマル(トゥパク・アマル1世)から数えて6代目にあたる、インカ皇帝の直系の子孫。
「トゥパク・アマル」とは、インカのケチュア語で「(高貴なる)炎の竜」の意味。
清廉高潔な人物。漆黒長髪の精悍な美男子(史実どおり)。
≪ホセ・アントニオ・アレッチェ≫(スペイン軍)
植民地ペルーの行政を監督するためにスペインから派遣されたエリート高官(全権植民地巡察官)で、植民地支配における多大な権力を有する。
ペルー副王領の反乱軍討伐隊の総指揮官として、反乱鎮圧の総責任者をつとめる。
有能だが、プライドが高く、偏見の強い冷酷無比な人物。
名実共に、トゥパク・アマルの宿敵である。
トゥパク・アマルに暴行を加えていた際の発火によって大火傷を負い、その現場である砦を占拠したインカ軍の元で治療を受けている。
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