モソプキオ村――。
すっかり日が暮れて、月明りや星明りを頼りに馬を馳せてきた旅の4人が集落の辺りに辿り着いたのは、夜7時半を回る頃だった。
村の入り口と思しき場所には、木製の素朴な看板が打ち立てられていて、「mosopuquio(モソプキオ)」と彫られ、横に釣り下げられた古びたカンテラの仄かな灯りに照らされている。
そして、その看板の後ろには簡素なアドべ造りの小屋が立っていて、窓から薄い光が漏れていた。
「あそこが村の番人がいるところだろうか?」
そう言いながら、番小屋らしき建物から少し距離をとった場所で、アンドレスは物音を立てないよう馬から降りる。
そんな彼の隣では、まるで羽が生えたような軽やかな身ごなしで馬上から飛び降りたジェロニモが、くんくんと辺りの空気の匂いをかぎながら、幸せそうに頬を緩ませている。
「ん~そうですネ、一応、看板も立ってますしネ。
それにしても、なんだか村の方から、いい匂いがしませんか?
あ~、多分、これって、村の家々で夕餉(ゆうげ)の支度をしている匂いだなァ」
「ん~む、確かに上手そうな料理の匂いが…。
ちょうどそんな時刻だからな。
そういや、わたしも腹が減ってきたような」
馬の首を優しくポンポンと手の平で触れて労をねぎらいながら、ペドロがジェロニモに同意する。
そんな和やかな二人のやりとりを何となしに聞きながら、アンドレスも張り詰めていたものが解(ほど)けるような感覚を覚えていた。
「うん、暗くてよくわからないけど、なんとなく平和そうな感じのする村だよな。
な、ヨハン?」
無表情のまま馬を降りて夜風に巻髪をなびかせているヨハンに、アンドレスが屈託のない笑顔を向ける。
「はぁ?
なんで、おまえはお尋ね者の分際で、そこまで呑気(のんき)でいられんだ?
どこにスペイン側の内通者がいるかもわからねぇってのに。
つーか、そんなこと、スペイン人の俺が言うことか?」
苛立ちを通り越して呆れ顔のヨハンに、「まぁ、そうなんだけどさ」と、アンドレスは柔和な表情で帽子の上から頭をかいた。
それから、村の窓々の明かりが瞬(またた)く風景に視線を向ける。
もともとアレキパ界隈は乾燥した土地柄だが、この辺りもかなり乾いた土地のようで、足元の土の感触も、肌に触れる空気の感じも、カラッとしている。
大地のそこここにはサボテンが生え、夜闇の中に、ゴツゴツとしたシルエットを浮かびあがらせていた。
あくまで気配的にではあるものの、ペドロが事前に話してくれていた通り、スペイン側の欲望をかきたてそうなものなど何も無さそうな小村。
だが、そのおかげで、かえって静かな村人たちの暮らしが保たれてきたような――夜気に包まれながらも、そんな気配が漂ってくる場所であった。
戦乱の中にあっても、このようなささやかな村が、少なくとも一見した状態では、それなりに平穏な秩序を保った様子で存在していることが、アンドレスには眩(まぶ)しくさえ感じられていた。
過酷な植民地時代を経て、そして、こうして苛烈な反乱期をくぐり抜けながらも、健気(けなげ)に生き抜いている村人たちがいる──インカの人々の底力や草の根的な逞しさをここでも垣間見る思いがしたのだった。
とはいえ、確かに、ヨハンの言う通り、スペイン側の内通者が隠れて目を光らせているなど、どのような危険が潜んでいないとも限らない。
気を引き締め直し、アンドレスは帽子を目深に被り直した。
そんな彼の様子に、ペドロも同様に緊張感を取り戻し、キリッとした声音で改まって言う。
「どこにスペイン側の密偵が潜んでいてもおかしくないご時世ですからね。
こんな村でも、油断は禁物。
念のため、アンドレス様のお姿は、なるべく村人にも見せない方が安全でしょう。
ですので、ちょっとここで待っていてください。
そこの見張り小屋には、わたしが行って、様子を見てきますので」
そんなペドロの申し出に、アンドレスも素直に頷いた。
「ありがとう、助かるよ」
そんな二人の会話を斜め後方で聞いていたヨハンが、また口を挟む。
「おい、アンドレス。
おまえのその肩の鳥も、なんとかしといた方がいいんじゃね?
その鳥、悪目立ちしすぎるから、そんなの肩に乗っけて歩いてたら、どこの旅芸人の見世物かと村人がかえって集まってきちまうぜ」
「ヨハン、おまっ…!
アマル様の鳥様に向かって、『悪目立ち』とはっ!
なん、なん、なんたる……無礼千万ッ!」
ふるふると怒りに両肩を震わせているヨハンを、「まーまー」と、ジェロニモが宥(なだ)めながら言う。
「さっきから思ってたんですが、『鳥』とか、『おまえ』とか、『アマル様の鳥様』とか、みんな、それぞれに呼んでますケド、いっそのこと、その伝令鳥に名前をつけてあげたらどうでしょう?
なんなら、今、ここで、パパっと決めちゃいません?
この鳥さんとも、これから長い付き合いになるんですしネ」
「はぁッ!?
なんで、今、そんな鳥の名前なんか決めなきゃなんないんだよ?
おまえ、ちっとはTPOってもんを……!」
唖然と憮然の入り交じった声を上げているヨハンの脇で、今度は、アンドレスが「まぁまぁ」と彼を宥める。
それから、「ジェロニモの言う通り、名前があった方が呼びやすいし、名前、決めるのいいんじゃないか?」と、明るい笑顔を見せた。
そして、急に話題の中心になって満悦顔の猛禽類の翼に軽く触れ、アンドレスが皆に問う。
「こんな状況だから、速攻で決めちゃいたいんだけど、伝令鳥の名前、何か思いつく人~!」
「「「……シーン……」」」
「あ~ははっ、そう難しく考えなくても、いいんだよ?
早いもの勝ちだから、誰か、鳥の名前を…」
「「「……シシーーーン……」」」
しばしの沈黙の後、苦笑まじりにジェロニモが口を開いた。
「えっと、アンドレス様が決めてもいいですよ?
なんか案あります?」
「えっ、そ、そう言われてもなっ(焦)」
「ん~、残念ながら、俺たちの中には、ネーミングのセンスがある者はいなさそうですねぇ」
そんなジェロニモの言葉に、「そのようだなぁ」と、ペドロも溜息まじりに同意する。
「なら、いっそ、『アマル』で、いいんじゃね?」
半分投げやり、そして、半分面白そうに、ヨハンが言い放った。
「いっ!?」
対するアンドレスたち3人は、びっくり、というか、わさわさと動揺する。
そんな3人をますます面白そうに眺めながら、ヨハンが口端を吊り上げて、さらにたたみかけてくる。
「ペドロ、おまえ、さっき、その鳥がトゥパク・アマルに似てるとかって言ってたじゃん。
だったら、名前も『アマル』で、いーんじゃねーの?」
「うぐっ…!
い、いや、確かに、そうは言ったが。
だからって、鳥に陛下の名を付けるなど…!!」
激しく動揺しているヨハンの傍では、ジェロニモも楽しそうな笑顔を全開にしはじめた。
「あははは!
いや~、案外、いい名前かもしれないヨ。
『アマルちゃん』って、なかなか可愛い響きだしネ♪」
何やら鳥の命名で微妙な盛り上がりを見せはじめた仲間たちを、さすがにアンドレスが焦り気味に牽制(けんせい)する。
「シーッ、シーッ!
みんな、ちょっと声、でかくなってる!」
そう窘(たしな)めかけたが、しかし時すでに遅し──次の瞬間には、彼らの背後で鋭い声が響き渡っていた。
「そこの怪しい者たち!
おまえたち何者だ!?
待てッ!
動くな!!
動いたら命は無いぞ!!!」
【登場人物のご紹介】 ☆その他の登場人物はこちらです☆
≪トゥパク・アマル≫(インカ軍)
反乱の中心に立つ、インカ軍(反乱軍)の総指揮官。
インカ皇帝末裔であり、植民地下にありながらも、民からは「インカ(皇帝)」と称され、敬愛される。
インカ帝国征服直後に、スペイン王により処刑されたインカ皇帝フェリペ・トゥパク・アマル(トゥパク・アマル1世)から数えて6代目にあたる、インカ皇帝の直系の子孫。
「トゥパク・アマル」とは、インカのケチュア語で「(高貴なる)炎の竜」の意味。
清廉高潔な人物。漆黒長髪の精悍な美男子(史実どおり)。
≪アンドレス≫(インカ軍)
トゥパク・アマルの甥で、インカ皇族の青年。
剣術の達人であり、若くしてインカ軍を統率する立場にある。
スペイン人神父の父とインカ皇族の母との間に生まれた。混血の美青年(史実どおり)。
英国艦隊及びスペイン軍との決戦において、沿岸に布陣するトゥパク・アマルのインカ軍主力部隊にて副指揮官を務めていたが、急遽、トゥパク・アマルの密命を帯びて旅立つことになった。
≪ジェロニモ≫(インカ軍)
義勇兵としてインカ軍に参戦する黒人青年。20代半ば。
スペイン人のもとから脱走してインカ軍に加わった。
スペイン砦戦では多くの黒人兵を統率し、アンドレスの無謀な砦潜入作戦の完遂を補佐。
身体能力が高く、明朗な性格で、ムードメーカー的存在。
これまでも陰になり日向になり、公私に渡って、アンドレスを支えてきた。
≪ペドロ≫(インカ軍)
インカ軍のビルカパサ隊に属する歩兵。
此度のアンドレスの旅の同行者の一人。
20代後半の若さながらも郷里には妻がおり、息子思いの父でもある。
≪ヨハン≫(スペイン軍)
スペイン軍の歩兵。20代半ば。
偶然的な事情から、此度のアンドレスの旅に同行することになった。
スペイン人らしい端正な風貌な持ち主で戦闘力もありそうだが、性格は傍若無人なところがあり、掴みどころが無い。
◆◇◆はじめて、または、久々の読者様へ◆◇◆
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