2021/01/17(日)06:00
コンドルの系譜 第十話(99) 遥かなる虹の民
トゥパク・アマルは、やがて漆黒の瞳を見開くと、怜悧(れいり)な横顔を鋭くさせながら、再び、一語一語かみしめるように手元の書面に目を通していく。
『この国の<キリスト教徒>を名乗る権力者たちは、主イエス・キリストではなく、黄金や財宝を神と崇めてきた。
それ故、当地の民を、それらの世俗的な富を手に入れる手段や道具として、平然と利用してきたのである。
いにしえの時代から当地に住まう民たちよ、混血児たちよ、そして、当地に生まれし白人たちよ。
権力者たちは飽くなき貪欲と盲目的な野望に憑りつかれ、そなたたちから全てを強奪し、骨の髄まで搾り取り、挙句はその命さえ当然のように奪い去ってきた。
荷重な労働と信じがたき圧制により民は苦しめられ、肉親や友を奪い去られ、貧困と絶望の中で死に至るまで酷使され、あまりの過酷さに自ら命を絶たった者さえ無数にいた。
当地で行われし危害と損害と非道の行為、殺害と強奪、悪虐無道の侮蔑行為、そのようなことが、イエス・キリストの御心に適(かな)おう筈はない。
全ては、主の御意思に悉く反し、福音書の中で主が我々に求められた愛の形に著しく反している。
<キリスト教>の名を笠に着て悪辣非道を行いし全ての者たちよ、覚悟するがよい。
おまえたちが甚だしい迫害と危害を与えてきた者たちは、最後の審判の日に至るまで、おまえたちに正当なる戦いを挑む権利を有している。
おまえたちは、奪ったものを全て返却し、賠償し、犯した大罪の償いを履行しなければ、決して救霊を得ることはできぬであろう。
虐げられし者たちよ、恐れず今こそ立ち上がり、解放の奔流の中に身を投じよ。
なぜなら、そなたたちが支配と拘束から解放されることこそ、神が強く願い給うことだからである。
いつ何時も、真の神は、最も苦しみの中にある者の最も傍にいる』
(──神が強く願い給うこと……か…)
トゥパク・アマルは、心の内で、静かに反芻(はんすう)する。
かつて、スペイン人によって、インカ帝国に強制的に持ち込まれた「キリスト教」。
インカの人々にとっては全く未知であったそのキリスト教の布教を大義名分として行われた侵略。
元々は、インカ帝国における国家宗教の中心は、帝国の中心的部族であったインカ族による太陽神崇拝であった。
そして、太陽は、万物の創造神ヴィラコチャの創造物であるとされていた。
しかし、それだけではなく、インカ族は、領土の拡張と共に同化した他部族の様々な祭儀をも取り入れ、太陽神を中心とした多彩な神々が信仰されていた。
だが、侵略者たちは、それら彼ら本来の信仰を悉く否定した。
その時から200年以上経った今も、キリスト教は副王ハウレギやモスコーソ司祭をはじめとする権力者たちによって、当地に暴政を敷き続ける根拠とされている。
現在、このペルー副王領のカトリック教会最高位に君臨するモスコーソ司祭、曰く──
「我らは、野蛮で無知なインディオたちに、福音の光をもたらした!」
「我らは、闇の中を彷徨っていたインディオの魂を救った救世主である!」
「盲目の中にある野蛮な土着の民は、赤子同然で、自分たちでは何もできはしない!」
「よって、導かれ、魂を救済された代償として、神やスペイン国王のために、せめて自分たちにできること、つまりは労働を提供するのは至極当然のことである!!」
そう声高に叫び、スペイン側支配者層は、インカ族をはじめ当地の民に、甚だしく過重な労役や血税を課してきた。
さらに、ヨーロッパからもたらされた疫病の流行が追い打ちをかけ、結果、当地の民の人口は激減。
インカの末裔は、このままでは、絶滅しかねぬほどの窮地に陥っている。
しかも、同様の惨劇は、このペルー副王領のみならず、中南米大陸全域で起こってきたことなのだ。
(そのような、とてつもない窮状をもたらす原因ともなったキリスト教だが……)
そう胸の奥で思い巡らせながら、トゥパク・アマルは、今一度、手元の書面に静謐(せいひつ)な、それでいて、熱い視線を注ぐ。
(彼らと同じスペイン人であり、キリスト者でありながらも、このような考え方の者もいるのだ。
そして、それを、自らの命さえ顧みず、実際に行動に移している者が──!)
その時、再び、執務室のドアにノック音が聞こえた。
トゥパク・アマルが書面から顔を上げる。
ドアの向こうから遠慮がちに響いてきたのは、老齢の従軍医の声だった。
「トゥパク・アマル様…よろしいでしょうか?」
【登場人物のご紹介】 ☆その他の登場人物はこちらです☆≪トゥパク・アマル≫(インカ軍)
反乱の中心に立つ、インカ軍(反乱軍)の総指揮官。40代前半。
インカ皇帝末裔であり、植民地下にありながらも、民からは「インカ(皇帝)」と称され、敬愛される。
インカ帝国征服直後に、スペイン王により処刑されたインカ皇帝フェリペ・トゥパク・アマル(トゥパク・アマル1世)から数えて6代目にあたる、インカ皇帝の直系の子孫。
「トゥパク・アマル」とは、インカのケチュア語で「(高貴なる)炎の竜」の意味。
清廉高潔な人物。漆黒長髪の精悍な美男子(史実どおり)。≪モスコーソ司祭≫(スペイン軍)
植民地ペルー副王領におけるカトリック教会の頂点に立つ最高位の司祭。60代前半。
単に宗教的な意味合いで高位に君臨する存在というだけでなく、植民地統治においても絶大な発言力を有する政治的権力者。
キリスト教の名を笠に着て、いかなる冷酷な所業をも行う一方で慈愛深げに振舞う、奇態な人物。◆◇◆はじめて、または、久々の読者様へ◆◇◆目次 現在のストーリーの概略はこちら HPの現在連載シーンはこちら ★いつも温かく応援してくださいまして、本当にありがとうございます!
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