トゥパク・アマルは席を立って扉の前に行くと、自らそれを開いて従軍医を招き入れた。
そして、執務机傍の椅子に座るよう勧める。
「陛下、畏れ多いことでございます」と、すっかり恐縮している従軍医の緊張をほぐすように温和な笑みを湛えつつ、トゥパク・アマルが応じる。
「どうか楽にしてほしい。
特にアレッチェ殿のことでは、そなたにはひとかたならぬ苦労をかけているのだから」
それから、2人は、アレッチェは命の危険は去ったものの、片足の機能が失われていることと生涯回復の見込めぬ全身を覆う酷いケロイドが最たる問題であり、そのことによる彼の自暴自棄な感情への対応の困難さなどについて、意見を交わし合った。
「そなたやコイユールには、まこと世話をかける。
アレッチェ殿のことでは、わたしも考えはあるのだが、今しばらく時間がほしい」
そう語るトゥパク・アマルの前で再び深く恐縮しながら、従軍医は「実は、本日お邪魔いたしましたのは、別件で陛下にご相談させていただきたき儀がございまして…」と、改まって言う。
トゥパク・アマルに促されて語った従軍医の相談とは下記のような内容であった。
先日の砦前戦場で繰り広げられたアラゴン軍との決戦において負傷したインカ兵やスペイン兵のみならず、拿捕(だほ)されたスペイン艦を引き連れた英国艦隊対スペイン砦戦において負傷して海に転落した英国水兵やスペイン水兵も、当砦には運び込まれていた。
それら海から救出された水兵たちは、主に砦近隣の浜辺に打ち上げらていた者たちである。
だが、実際には砦周辺の浜に打ち上げられた水兵たち以外にも、海を漂っている状態であったり、もっと遠方の海岸線まで流されてしまっていた者もおり、そうした英国水兵やスペイン水兵たちは漁師が洋上で救助していたり、打ち上げられた近郊の漁村で介抱されたりしていた。
とはいえ、救助された水兵たちの中には意識不明の重傷者もおり、また、敵兵を村で預かっていることには不安があるということで、漁師たちから砦の従軍医の元に引き取り願いが出されていたのである。
「以上のような状況なのでございます」
そう結んで恭しく説明を終えた従軍医に、トゥパク・アマルは「もちろん、この砦で治療を引き受けてもらってかまわない」と即答する。
しかし、それから申し訳なさそうに、「そなたたち従軍医や看護兵たちには、また負担をかけることになるが」と言い添えた。
それに対し、老練な従軍医は深々と身を沈めて、真摯に応じる。
「いいえ、陛下、滅相もございません。
それは我らの役目でございます。
それに、この砦で治療を続けてきた負傷兵たちの中には、既に回復している者も少なくありませんので」
「そう言ってもらえると助かる。
それでは、早速、各地の漁村には、明朝にも迎えの兵を送ろう」
「はっ!
誠にありがとうございます、トゥパク・アマル様」
そう言って、従軍医は、目元の深い皺を寄せて微笑んだ。
改めて謝意を伝えて彼が執務室を後にすると、それと入れ替わるようにして、今度はまた別の者が闊達に扉をノックする音が響いた。
「どうぞ」
「失礼いたします!」
トゥパク・アマルの声に応じて、丁寧に扉が開かれ、若々しいインカ兵が顔を覗かせた。
伝令に関する諸般のことを司る兵である。
「フリアン・アパサ様からのご伝文が届いてございます!」
恭しくもきびきびとした身ごなしで己に伝文と思しき巻物を差し出した兵から、「ほう、アパサ殿からとは」と、トゥパク・アマルが少々驚きの面持ちでそれを受け取る。
(こちらから伺いを立てるための伝令をやらずとも、アパサ殿の方から伝文を送ってくるとは珍しい。
さては、苦戦しているな)
そんなふうに胸の内で独りごちながら、トゥパク・アマルはインカ兵に声をかける。
「アパサ殿の伝文を届けてくれた伝令の兵は、まだ当砦に留まってくれているかね?」
「はい、トゥパク・アマル様からのご返信もあるかと思い、休息をとりながら滞在してもらっております」
「それは助かる。
では、すぐに伝文に目通しするゆえ、そなたも少しここで待っていてくれるか?」
「畏まりました」
インカ兵が姿勢を正した。
ありがとうと礼を述べて、トゥパク・アマルは素早くアパサの伝文を紐解き、中に目を通しはじめる。
内容を読み進むトゥパク・アマルの切れ長の目元が、いっそう研ぎ澄まされていく。
伝文を読み終えてひとしきり思案した様子の後、顔を上げたトゥパク・アマルが、再び兵に向いて口を開いた。
「アパサ殿からの伝言、確かに受け取った。
そなた、悪いが、そのままビルカパサの元に行って、明朝、主だった者を集めて軍議を開く手筈を整えてくれるよう伝えてはくれまいか。
軍議の後、アパサ殿の伝令兵には返答の書状を依頼することになるであろう。
それまで、しっかり休養をとり鋭気を養えるよう、手配してやってくれたまえ」
「承知いたしました!」
活き活きと応じた若き兵に、トゥパク・アマルも微笑んで頷く。
退室していくインカ兵の後ろ姿を見送ると、トゥパク・アマルは手元の伝文や先刻のキリスト教の文書などを丁寧に元の状態に戻し、それらを書棚の一角に収めた。
そして、壁面に貼られた大きな地勢図へと鋭利な視線を馳せる。
(さて、そろそろ、いろいろと動かねばならぬな──)
【登場人物のご紹介】 ☆その他の登場人物はこちらです☆
≪トゥパク・アマル≫(インカ軍)
反乱の中心に立つ、インカ軍(反乱軍)の総指揮官。40代前半。
インカ皇帝末裔であり、植民地下にありながらも、民からは「インカ(皇帝)」と称され、敬愛される。
インカ帝国征服直後に、スペイン王により処刑されたインカ皇帝フェリペ・トゥパク・アマル(トゥパク・アマル1世)から数えて6代目にあたる、インカ皇帝の直系の子孫。
「トゥパク・アマル」とは、インカのケチュア語で「(高貴なる)炎の竜」の意味。
清廉高潔な人物。漆黒長髪の精悍な美男子(史実どおり)。
≪アパサ≫(インカ軍)
隣国「ラ・プラタ副王領」の豪族で、トゥパク・アマルの最も有力な同盟者。40代前半。
「猛将」と謳われる一方で、破天荒で放蕩な性格の持ち主だが、実は、洞察と眼力が鋭く、全体をよく見通している。
現在は、スペイン軍の巣窟たる首府リマへの進軍途上にある。
かつてアンドレスを戦士として鍛え上げた恩師でもある。
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