2813108 ランダム
 HOME | DIARY | PROFILE 【フォローする】 【ログイン】

confuoco Dalnara

miscellanea 2

beyond donkey/elephant - Fahrenheit 9/11 

ろばと象の二項対立を超えて。『華氏911』の感想。

笑って見ながらなんだか覚醒していく感じの映画。
donkey/elephant、民主党/共和党の縦割りだけで世論を見るのでなく
水平にあるいは階層でアメリカの新しい相を知る機会になった。

ひとびとが真理や真実の一端を知る、気付いていくシーンが描かれている。
それは市民が生まれつき持っていた能力でなく
米国に生きて暮らして学んだもの、獲得したもの。9/11が契機になって何かを知り悟った市民もいるのだろう。
例えば老人ホームの老婦人がTVのニュースを見ながら
安楽椅子探偵のミス・マープルのように
この企業のしていることにはだまされない、と真実をつくような発言をするシーン。
老婦人は米国の政治社会の下で報道を読み取る術を身に付けたのだろう。

イラクに行って帰ってきて戦争が間違いと知る若い兵士。
戦争に賛成だった母親は支持政党が民主党と言っていた(と思う)。
民主党=戦争反対ではなく、階級や住む地域、立場によって国民の意見もさまざまと感じられた。
そんな母親が息子が戦死して戦争反対に傾いていく。
頭でなく、兵士や母親のように体験で戦争反対に到達する市民、
老婦人のように生きてきた歳月の知恵と洞察でニュースを見る視線、
それぞれが獲得した視点が描かれていて興味深かった。

'Shame on you'という言葉が
天に唾する、という諺のように
めぐって最後にはBush当人に還っていく構造がおもしろい。

ドキュメンタリーでない、という声も聞くし
じっさいそのようにも思えるが
そういった言説は芥川賞をとったブンガクが純文学で直木賞をとったブンガクは純文学とは言えないと
いう物言いと同じように聞こえる。
作品をそういった枠の中に限定してしまうよりは
自由が燃える温度という問題提起をはらんだ
'映像作品'として、ただ自由に楽しもう、能動的に。


'King Arthur'-NA


Deep Blue

深海のドキュメンタリー'Deep Blue'。BBCが製作に携わっている。
BBCのドキュメンタリー『鳥の世界』は何度も見て小鳥にも見せて
小鳥に海を見せたこともあるけれど
この深海の世界も見せたいなぁと思ったり...。
なにもかも不思議で、古い海の話がとても新奇で目が離せなかった。

音楽演奏はベルリン・フィル、PDの一人の名はSophocles。
'Oedipus'、'Antigone'の作者の名と同じなんて!
くじらが出ると(くじぃらん)
ペンギンは(ギンペー)
シャチは(しゃっち)と思いながら見ていた。
『鳥の世界』でも見たけれど、
ごはんも食べずに2ヶ月以上卵を抱えるペンギンの姿にはまた涙してしまった。

映像が変わるたびに
(不思議だ新奇だ)、そしてとりとめのない思いがつぎつぎにあふれてきて
言葉や文字が追いつかない。
前頭葉を読み取るICレコーダーがほしい。
珊瑚はおなかが空くのだろうか、どうやっておなかが空いたって自覚するのだろう、
どうしてごはんを食べようって思うのだろう、いろいろ不思議だ。
魚群で絵本Swimmyを思い出した。

海溝の長さを'stretch'と表現したり硫化水素?の発生する場所を
'biological hell'とちょっと詩的に表現しているのがおもしろい。

思ったこといろいろがsynapseに埋没してもう思い出せない。


synchronicity

LOVERS『十面埋伏』はHERO『英雄』より衣装も家屋も華麗な気がする。
『HERO』は紀元前の話で『LOVERS』はA.D.の話だからだろうか。

見終わってすぐは、こんなことだけ考えていた。
思い返すと最後の同時発生/共時性(synchronicity)が良かった。

劉は随風を殺すと言って殺さず、小妹は随風を殺すなら劉を殺すと言って殺さなかった。
雪原にはりつめた殺意がどのように緩んだのだろうか。
劉と小妹は敵意と殺意の交錯からどのように抜け出し瞬時に互いの心情を悟ったのか...。
劉は小妹の一途な思いを理解し尊重し、小妹は劉を信じて互いに最後の一撃を控えた。
そのsynchronicity。
劉が殺意を消し、
小妹がそれを受け止める互いが一瞬で理解しあうsynchronicityが胸を打つ。
その瞬間の数秒前までは
小妹は随風との3日の恋だけを守ろうとしているかのように見えたのに...。
最後は劉と小妹のふたりだけが3年の情で対峙し交感し
随風は傍観者になってしまったようだ。
それはもちろん愛する随風を生かすために
小妹は言葉で劉をけん制し劉も小妹も的を外した。

3日の恋情と3年の愛情を秤にかけるのは難しい。
小妹は自らの命を賭してふたりの男を助けたことになり
秤は水平になった。

殺意たぎる劉を
厚い情で自分の理解者に転換させた小妹の力が儚く切ない。



Birthday Boy-絵本のような映画

1951年の朝鮮半島。
男の子がひとりで遊んでいる、熊の歌を歌いながら。
今日は誕生日。
そして今日もふだんと変わらない陽の光。
誕生日の男の子・マヌクは釘を持って鉄道の線路に向かって行く。
もうすぐ汽車が通る時間。
釘をレールの上に置いて汽車が来るのを待つ。
やがて汽車の車輪が釘の上を滑っていく。
ふと見上げると、台車の上には戦車が載っていた。
つぎの台車にも、また次の台車にも。
戦車は鉄道の上をどこかへ運ばれていった。
釘は平らになり、マヌクの磁石になった。
家へ帰ると小包が届いている。誕生日のプレゼントだ、そう思って開けた箱に入っていたのは・・・。
この短編映画の漢字タイトルは「祝生日」。
マヌクの日常生活が戦争によって変わってきていること、
そして誕生日と未来までもが戦争によってこわされていることが静かに伝わってくる。

初めてCG(コンピュータ・グラフィックス)で作った3D作品『Birthday Boy』で
SIGGRAPH2004(シーグラフ、コンピュータ・グラフィックスの最も権威ある祭典)の短編アニメーション映画の
最優秀賞を受賞したのは韓国出身のパク・セジョン氏。
シーグラフの最優秀賞はアカデミー賞にエントリーされる資格を自動的に得るという。
韓国人の映画でこうしてアカデミー賞にエントリーするのは史上初めてかもしれない。
アカデミー賞の短編アニメーション部門で受賞する可能性もある。

パク・セジョン監督はこの作品でカメラ・ワークを重視したという。
審査員もCGの技術よりはそのストーリー性と子どもの視点をカメラ・ワークで表現した
映画の演出技法に着目して賞を与えたそうだ。
シーグラフに出品されるCG作品の昨年ころからの傾向として
市販のソフトウェアを使用しての製作があげられる。
パク・セジョン氏の作品もアドビ・フォトショップやマヤなどの一般に流通しているソフトで製作された。
もはやCGが限られたユーザーのための先端技術ではなくなり
市販のソフトを利用してもCG製作が可能になったために、
CGそのものの技術よりは手段としてのCGで何を表現するか、
といった作品性に重きが置かれ始めているようだ。ムーアの法則(※1)に快哉を叫びたい。
パク・セジョン氏の作品と共にシーグラフのコンピューター・アニメーション・フェスティバルにエントリーされていたのは
『シュレック2』やこの冬に公開される『ポーラー・エクスプレス』だったことからも
受賞が先端のCG技術だけによるものではないことがうかがえる。
実際、審査員の弁も「この作品にはストーリーそのものに見る人の心を動かす魅力があるので、
3D技術は映画のための手段になっているくらいだ」といったものだった。

セリフのない抑制の効いた表現手法とマヌクの可愛らしい表情、
子どもの視点からのカメラ・アングルが戦争の破壊性をより色濃く映し出している。
アニメーションとはいえ、ライティング担当、テキスチャー重視の美術担当というふうに
それぞれ専任をおいて製作した細やかさも感じられる。
子どもの無垢な姿と戦時下の現実の生活を対比したかった、という監督の言葉通りに
緻密な構成に仕上がった映画だ。

音楽の世界では、ポップスに限れば10年以上前から海外組・帰国子女の活躍がめざましかった韓国。
一方映画の世界で活躍が目立っているのは圧倒的に国内組。
386世代(※2)や韓国映画アカデミーの出身者が
多くの良質な作品をたゆみなく世に送り出している。
パク・セジョンも386世代、だが韓国を飛び出しオーストラリアの映画学校で学んだ映画界の海外組。
留学先がLAでもなくNYでもないところが興味深い。
オーストラリアはダウン・アンダー(※3)と呼ばれていたほどに
同じ英語圏でも北半球にある国々からは文化の後進国とばかりに、田舎扱いされていた。
最近はピーター・ウィアー監督や
俳優のニコール・キッドマン、ラッセル・クロウなどアカデミー賞受賞者や候補者を輩出して
映画界での輝かしい活躍ぶりが目立っているが。
南半球の国・オーストラリアと、アジアの小国・韓国という
ハリウッドにおいてはマイノリティなバックグラウンドを二重に体現するようなパク・セジョンが
地上最後の分断国家の原因となった朝鮮戦争をテーマにした短編映画を携えて
レッド・カーペットを歩いていく光景は想像するとかなりユニークだ。
伝えたいことは映画で伝わる、CGでも伝わるのだ。

『Birthday Boy』は今年10月の釜山国際映画祭でも上映される。

※1 ムーアの法則 元々は、「半導体の集積密度は18~24ヶ月で倍増する」という法則。広範な意味ではソフトウェア、ハードウェアの価格が下がる一方、機能は向上している状況を指す。
※2 386世代 現在30歳代で80年代に大学に通った60年代生まれを指す。団塊ジュニアの一回りくらい上の世代になるだろうか。
※3 down under 下の下。北半球の英国から見て南半球のオーストラリアは下の下にあることからそう呼ばれていた。


Bring It On

遅くまで仕事をして早くやすめばよいものを
明日は無間序曲を見に行く日♪と思ったら寝つけなかったのか...、
'Bring It On'をTVで最後まで見てしまった。
キルステン・ダンスト(Kirsten Dunst)を頬のふくらんだグゥイネス・パルトロウ...
と思いつつ。

チア・リーディングの話。
KirstenのTorosというチーム、ライバルのBlack OnlyのCloversというチーム
どちらも困難をさくっと乗り越えて決勝に進む。
Black and Whiteの混合チームはいなかった気がする。
M.L.Kingのころとはだいぶ変わっているはずだけれど...
カリフォルニアでもそんなかんじなのかなぁ、BlackはBlackだけでチームを組んでいる。
そのダンスの弾力性に惹きつけられた。
やっぱりWhiteとは動きが違う、反応が速いしすごく音楽に乗っている。見る人を躍らせる感じ。
あと、Blackの言葉遣いにも注目。
RapperがBoxerのように繰り出す言葉のように、
言葉で畳みかけねじ伏せる表現にも言葉遊びみたいなものがあって、喧嘩している感じがしなくってくすりと笑ってしまう。

Rancho Carne高校(スペイン語で肉の農場?)という高校の名前には驚いた。
加州はヒスパニックが多いところだけれど...牧場跡地の高校?、スペイン語圏の子に
「わたし、Rancho Carne高校3年よ」って言えるかどうか...。
辛口のReviewでは'Rancho Doritos(or whatever)'...
ランチョ・ドリトスだかそんなかんじの高校、なんという言われ方!

今年はKirstenの映画がふたつくらい公開されて、今日TVでも見て
主演する'Wimbledon'はU.S. Box Office初登場で現在4位。
Kirstenってテニスも出来るしチア・リーディングも出来る。
'Wimbledon'のサイトはテニス・ボールのflashが可愛らしいつくり。
'Quiet please'でBGMが鳴り止むのもWimbledonらしくて洒落ている。
テニスのゲームを試したけれどなかなかうまく打てない、芝のコートは初めてだし。
共演者はStefan Edbergに似ていて、ほんとうにテニス・プレーヤーみたい。
'Master and Commander'に出ていたそうだが、もうおぼえていない...。

Kirstenは'Interview with the Vampire'に出ていたのか...もう一度見ないとわからないかも。
'Interview with the Vampire'はNeil Jordan監督の作品だったから見たんだっけ。
'Mona Lisa'が印象的だった。Phil Collinsに似ているBob Hoskinsも良いが、
ヒロインがかっこいい人だった。あとはNat King Coleの心震わせる歌。

俳優を誰かに似ている、と時々考えてしまう。
「無間序曲」のボス、サムは
斜めから見ると谷啓で、正面から見るとレッツゴー三匹のじゅんちゃん、とか
「TUBE」のキム・ソックンは若いジョン・カビラ(若い時のジョン・カビラは知らないけれど...)。
「無間序曲」の感想はまたのち...。


Che

大陸(South America)を縦断する若き日の革命家、Ernesto 'Che' Guevara、
Ernesto Guevara de la Sernaの日記を映画化した"Diarios de motocicleta"を観た。
Cheは、「おい」「ねぇ」という間投詞(チェ=崔さんでなく)。
Argentinaの人は会話にCheをよくはさむそうだが、
チェ・ゲバラも、よく'Che'と言っていたことから
Che Guevaraと呼ばれるようになったと言う。

映画の中で'Fuertes'(?)=激しい気性とも呼ばれているチェ。
激しさを翻して革命に身を投じる選択は潔い。
衝動が自分のためのものでなく
他者と理想のためで、
cool brain & warm heartを兼ね備えた魅力が描かれていたように思う。
南米大陸の先住民の暮らしは、
Cheが旅した頃、50年前と今とあまり変わりなく
継続して貧困や偏見と戦っているのでは、という印象も受けた。
混血の度合いが国によって異なり
表情が違えば、
風景も街並みも異なっているのが興味深い。
スペイン語も表現や発音、抑揚が少しずつ違っているのだろう。
インカの文明が滅びなければ、とマチュ・ピチュの遺跡を見て感慨にふける主人公ふたりに共感する。
歴史に「もし」はないけれど
古に栄えた文明の末裔が現代に同様の栄耀を享受することは
古今東西を問わず困難なのだろう。

"Mas te vale.(必ずよ)"という母の言葉が
後になって別の重みを持って響いた。
卒業を目前にした学生の心の変化。
無事に家に帰る姿を見せても
心は出発した時と別の方向を向いている。

Ernesto Cheの親友のAlberto役の俳優は
Ernesto Guevara de la SernaのはとこというRodrigo De la Serna。ほんとうに親友によく似ていた。
映画はPIFFでも上映されていた。Una America Latina.


新暗行御史
ここはいにしえの韓の国かあるいは時代を超えた無国籍の山河か。
かつて聚慎(ジュシン)という国に暗行御史(アメンオサ)という隠密要員がいた。
『春香伝』に登場する、悪政を正す、あの暗行御史。
ただし、こちらの暗行御史は馬牌をつかい敵を倒す。
今は滅びた聚慎を後にし、一人の暗行御史、文秀(ムンス)が乱世をさまよう姿を描いた『新暗行御史』。

初めて読んだ時、「救いばかり求める奴に奇跡は起こらない。
これから起こることは、すべて偶然だ」と言い放つ、シニカルで現実的なヒーローに惹きつけられた。一片の甘さもないヒーローのセリフに勧善懲悪を期待する気持ちが覆された驚きと共感をおぼえた。

暗行御史は映画を観るとわかるように実は本人はあまり強くない。
ただプロジェクト・マネージャーのように、事件の深部を全体から洞察し、
コントロールする卓越した判断力を持っている。
その鋭さは衆愚にも容赦なく向けられる。
単なる勧善懲悪ではないその姿は、水戸黄門や古典の暗行御史とは異なる、
新しい価値観、善悪を超えた価値観を創出して魅力的だ。
挫折を知って地に足のついた、悪っぽい正義漢とでも呼ぼうか。
ぬるま湯のような勧善懲悪のスタイルに慣れた眼には新鮮で、
マンガだからできる部分も多く感じられる。

実際に敵を倒すのは馬牌で召喚される幽幻兵士(ファントム・ソルジャー)や、供の山道(サンド)。
山道(サンド)の名は春香(チュニャン)。
あの『春香伝』の春香が、寡黙に華麗に戦う。
登場人物の名前は韓国の古典や歴史上の人物から多くとられている。
朴文秀[1691~1756]は実在した暗行御史、
夢龍(モンニョン)と春香は『春香伝』に登場する主人公の名前だ。
柳義泰(ユ・イテ)は実在の人物で職業も同じ医者。
実際はマンガと異なって仁医の人だそうだ。
柳義泰の弟子である浚(ジュン)は許浚からとられている。『東医宝鑑』を編集した名医だ。
小説『許浚』で描かれているのは、柳義泰と許浚、ふたりの医者の理想的な師弟関係だが『新暗行御史』では、師弟がどのように描かれているかも見どころ。

登場人物の名前を通して歴史上の人物や古典の人物に関心を持つようになり、
アレンジされた古典の、奥行きを感じられるプロット作りが巧みである。
換骨奪胎、温故知新、古い革袋に新しい葡萄酒を注いだような、縦横無尽に自由に古典をアレンジする原作者の発想が伝わるように映画化された作品。
アニメ映画からも韓国の持つ創作力や発想力が感じられる。



Depuis qu'Otar est parti...

映画『やさしい嘘』。Georgiaの祖母、母、娘3世代の家族の話。
イオセリアーニと比べて
乾いた諦念が感じられる。
「この国は...」と母が泣き出しそうに言う気持ちに感じ入る。
空港のシーンでは映画'Les Uns et Les Autres'(『愛と哀しみのボレロ』)で
Jorge Donnが走り出す場面が思い浮かんだ。

フランス語が教養だったところ、
なんとなしにチェーホフの小説を読んでいるような気持ちにもなる、
時代は現代なのに、どこか懐かしくもあり...。
実際はフランス語は教養ではなく、食べて行く手段で
フランス語の本も生活の糧になってしまう、というグルジアの状況なのだが。


vale(浮世)
John Junkermanの'Power and Terror'を観る。
2年前くらいに読んだNoam Chomskyの「9.11」と重なる内容を話言葉で聞くと、
そして英語で聞くとまた別の理解が湧き起こるような気がする。
体制側はincomprehensiveでhypocriteだと言う。的確な言葉遣いに接して姿勢を正す。
大義名分と訳されていたのは'just cause'。
Chomskyは太平洋戦争やアジアについても広い知識があり
MITで言語学をおしえている姿となかなか一致しない。
音楽は、このドキュメンタリーに合っていない気がした。音楽なしのほうがよいように思う。



music in movies
'De Lovely'
『パッチギ!』
'Ray'......
音楽がmotifの映画が続いている。

'De Lovely'はCole Porterの生涯。
一途なLindaの愛が『力道山』の妻アヤにも重なってくる。
そして'Ray'同様作曲の喜び苦しみ
'Finding Neverland'同様創作と発表までの世界を見ることができる。

Cole Porterの曲を歌っているのは
Natalie Cole, Elvis Costello, Sheryl Crow, Alanis Morisette, Lemarなど。
Rayは最初はNat King Coleみたいだ、と言われていた。

'Ray'は作曲の背景がchronological orderでわかって興味深かった。
'Unchain My Heart'は公民権運動の頃か...。
木に吊るされた色とりどりのガラス壜、潜在意識下で
ふっと'Strange Fruit'が思い浮かんだり。
RayにピアノをおしえたMusicianは
なぜあの3つの音を最初におしえたのか知りたい。

'Beyond the Sea'観たい。
Kevin SpaceyがBobby Darin役の映画。
久しぶりに'Beyond the Sea'を聴きたくなった。
'A Life Less Ordinary'でCameron Diazが歌っていた。
あ、'Rhythm Is It!'も観たい、Sir Simon Rattle。'The Fighting Temptations'も。




『パッチギ!』の
"We Shall Overcome Someday"

『GO!』の
"No soy coreano, ni soy japones, yo soy desarraigado"
はコインの裏表みたいに聞こえる。
20年たって『パッチギ!』から『GO!』へ変わったのかもしれないけれど...
克服と同化と逸脱と俯瞰といろいろなせめぎあいの中でまだ揺れている。





第16回東京国際映画祭東京グランプリの『故郷の香り(原題『暖~ヌアン』)』が
中国語会話で紹介されていた。
『殺人の追憶』を観に行った時の受賞映画だ...。
ろうあの唖巴(ヤーパ)役を香川照之が演じている。
霍建起(フォ・ジェンチイ)監督(『山の郵便配達』監督)によると、
中国語が全くわからない日本人の俳優だから
「言葉が通じない」シチュエーションが映画の設定と同じになって
ろうあの役に適しているということだった。
これが中国人の俳優だったらここまで自然な演技はできなかったかも...と。
なるほど...。
先日観た『復讐者に憐れみを』を思い出した。
先天性聴覚障害者のリュ(シン・ハギュン)の演技も鋭利な感じがしたが、
もしこの役を韓国語がまったくわからない外国の俳優が演じていたら...とちょっとだけ想像してみた。

原題は「復讐は我がもの」だが
直訳すると「復讐するは我にあり」に近いニュアンスになってしまうから
英題'Sympathy for Mr. Vengeance'を訳したtitleになったのだろうか。



a mermaid
イ・ウンジュの名前を見ていると
なぜかイ・ウンジュの文字がイノコンジュという語に変わってしまう。
イノコンジュ=人魚姫
どうしてだろう、でもいつもそう思っていた。

I pray for her soul...


ESMERALDERO
'Emerald Cowboy'
ColumbiaでEishy Hayataがemerald原石の目利きとして
取引者として成功するtrue story。
Columbiaの映画はもちろん、
Columbiaという国をまざまざと見るのもはじめて。

Great Depressionを思い出させる。
その後1930年ころのウィーン/ドイツでfuhrerが感じていたこと、
Jude, the richと同じ構図、Ressentimentが浮かび上がって
歴史の相を再考させられる。
DepressionとXenophobiaはやはり硬貨の裏表なのだろうか...。
HeroとHistoryが興味深い作品。


hoodlum
ちょうど30年前の映画を観た。
『京阪神殺しの軍団』(1975年、山下耕作監督)、実録やくざ映画。
表現と意識の変遷を感じる。

映画に在日という語、韓国・朝鮮という語はひとことも出てこない。
ただ輸血の場面で異質な血は入れたくないと吼えて
在日であることを仄めかす。
キムチを食べ、焼肉を食べる登場人物が描かれ、それとわかるようになっている。
小林旭、梅宮辰夫が主人公の在日青年を演じている。(役者の顔が今と違う)

実在した柳川次郎、柳川組を描いた映画だそうだが
この映画の約30年後に同じテーマで撮った作品には
せりふにも在日という語が出てくるくらい
表現のしかたが変わったという。隔世の感がある。

焼け跡闇市のようなバラックの街並みは
今では見ることはできないけれど、
青果地方卸売市場の脇を車で駆け抜けるシーン、
あのあたりのたたずまいは今もそのままのような気がする。


entitled
The 24th Hongkong Film Awardsで
Best Asian Filmに『オールド・ボーイ』が選ばれた。
香港でのタイトル『原罪犯』って...
内容がちょっとわかってしまうタイトルかもしれない。


declasse 没落
『覇王別姫 さらば、わが愛』を観て。
運命に身を投げた人々の生き方が凄絶。
以前はそう思わなかったけれど...
運命の渦が人にそう言わせた部分もあるのではないだろうか。
それは...人の心の弱さではなく
本心が没落してしまうこと。
本当はそんな気持ちではない(かもしれない)のに
運命のほうが強いから本心が埋没してしまう。
本心が運命に押しのけられて没落した忘我の状態かも...。

そして11年後に再会して
どんな思いの時を経たかは推し量るしかない。
最後に名前を呼ぶところ
「蝶衣!...小豆子...」
蝶衣と高く叫んで
1オクターブくらい低く小豆子と呟く。
そのふたつの名前の抑揚と感情の高低が
ただ名前を呼んでいるだけなのに
劇の終わり、時代の終焉といった感じで、
名前の響きのなかに時間と運命が渦巻いて
小さな旋律となっていつまでも余韻をのこす。

映画に登場する、
清朝がなくなっても清を信奉し続ける人たちは
漢民族ではないということなのだろうか。

以前TVで見た時のつらつらとした思い...



どこまでもいこう
何年か前ティアラ江東という家から遠いところで観た映画。
映画の舞台も多摩ニュータウンという離れたところで、
観た場所・映画の舞台の場所双方とも地理的距離があり
旅人になったような不思議な気持ちで観ていたのをおぼえている。
TVで放送しているのを偶然知り、途中から最後まで観た。

子どもが子どものままで行動するとき、
そして感情をむきだしにする時と
ふと垣間見せる思いやりや
抑えた感情表現の大人っぽさと、
ふたつの時期を振り子のようにゆれる姿が繊細に淡々と描かれていた。

映画Gloria(Gena Rowlands, D=John Cassavetes)のPhilや
マンガSonsのディーを思い出した。
nuanceは少し違うが、sheetsの上のPhilは大人っぽかった。

Leonにinspirationを与えていたGloria...。



Lightning in a Bottle

善意と音楽(才能)は関係ない、と製作者が断言していたのが
印象的。
Blues 100th years.
初期の頃はtalented but maliciousが多かったという。

Lightning in a Bottleを観たいと思っていて
まちがえてFestival Expressを観に行ってしまっていた。
北の丸の美術館で開催しているのに上野に行ってしまう、ということはなかったけれど
なんというおっちょこちょい。
やっと観たー!

B.B.KingのSweet Sixteen
の歌詞に'brother's in Korea'と出てくる。


My brother's in Korea baby, my sister's down in New Orleans
Brother's in Korea baby, oh sister sister down in New Orleans
You know I'm having so much troubles people, baby I wonder what in the world is gonna happen to me


1960年作だから...6.25が終わって
南部から遠く離れた極東の地で
兄弟は駐留していたのか、眠っているのか...

B.B.Kingの話す英語が品があって印象にのこった。
Sweet SixteenのLadyについてや
applauseの話をしていた素敵なおじいちゃん。

Bluesは詞なのかなぁ。
ストーリーと思いの吐露の重ねぐあいが一定していて
いつもコップの縁から1cm下のところまで入っているbourbonみたい。



最後の無間
Infernal Affairs III
を観て。
蜘蛛の糸(芥川龍之介)をやはり思い起こすなぁ。
無間道I
の時も少し思ったけど...

ケリー・チャンの衣装が白い服が多くて
天使みたいにみえたけれど、救ったのはヤンだけ?




朱紅文字
Adam et Eve
あの時一緒に禁断の実を食べたのに
あれから時は流れ
果実は進化し、
女たちは愛について知恵をはたらかせる。

産まないと考える時
そして産みたいと考える時。
産みたくないのは愛情の不在証明(alibi)。
産みたいのは愛情の複製の欲求。
映画『スカーレット・レター』を観て。

太古からの生命体としての複製の要求でなく、
遺伝子を残したいという生物学的な欲求(男が持つもの)でなく、
ただ愛情を複製したくなる...
愛情の証明としての複製の欲求。

そして、愛情の不在証明のための
産まない選択。
これを見るとEveは失楽園のころ
どんなに無邪気だったろうかと思う。
そして韓国のAdam et Eveは日本より
もっと原初的(男らしく女らしく)と思っていたので
韓国の現代のEveについて幻想を抱いていたことがわかった。

女は遺伝子の要求を超えて
深く深く愛情を測り、制御する。
男はまだそこまで進化していないように見える。
遺伝子の入れ物として以上には
産む産まないを考えていないし、
愛情を表現していないように見える。

Adam et Eve
現代の男と女の間の深淵と乖離が見える。



Mo Cuishle
Million Dollar Babyを観て。
'Mo Cuishle'はゲール語でmy darling, my bloodの意。

名づけること、
その名で呼ぶことが秘めた想いの表出だったら...
あるいは娘への想いをあふれさせていたのだったら...
このゲールの音が何度も心の底で響き渡るようになった。

魔法を解く言葉のように
'Mo Cuishle'と発した時
あらゆるくびきしがらみが解けて
旅立つことができる。
魔法を解くのは
アメリカの良心であるかもしれないし、
責任をとる男の潔さでもあるし、
人間の尊厳でもあるし...、
人生の選択を考えさせられる。
だが、前作のMystic Riverより救いがある。

聖書のおしえに反して
真摯に責任を取ろうとする判断の源泉は
切ない愛情と新しい倫理の表出で、
宗教を超えた叡智と
人間の清らかな心と勁さを感じる。

宗教で解決できない、
宗教や法で縛られていては解決できない、
人間の尊厳に関わる問題。現代的なテーマ。
その問題に真摯に向かい合った時、
最後に残るのは絆と愛情、Mo Cuishle(my darling, my blood)
という言葉に集約される、ただひとしずくの想い。
一滴の血のような想いの苦しさが沁みる。

人類がここまで来て、追いつめられてしまったことが切ない。

魔法の言葉、'Mo Cuishle'で
花衣ぬぐやまつわる紐いろいろという句がぽっと思い浮かんだ。


to do or not to do
映画『恋愛の目的』を観る。
恋愛に目的はないと考えるけれど...

映画の主人公は
恋愛で傷ついた心を新しい恋愛で癒しているようにも見えた。
ただし、今度の相手を傷つけてしまいながら...

映画観た後、映画に出てきたピマッコル(通り)の入り口?を通り過ぎた。ほんとうに細い路地!

Shakespeareの頃とは違う自問。
to do or not to do, that is the question!


to do or not to do : シェークスピアから『恋愛の目的』へ

to do or not to do、するかしないか。
愛情がなくても一晩いっしょに過ごすことができるかどうか。

男はそれをコミュニケーションのひとつの手段と考えている、
親しくなるためには同僚の仲でもそんなことも必要だと...。
女にはそれは男が自分の衝動を満たすための詭弁にしか聞こえない

ホン(カン・ヘジョン)も最初はひとつ年下の同僚教師ユリム(パ
ク・ヘイル)を
相手にしなかったが...。

この映画を観てシェールとニコラス・ケイジの出演した『月の輝く
夜に』という映画をちょっと思い出した。
『月の輝く夜に』は原題がMoonstruck。
Moonstruck romanceと言えば、いったいどうして恋に落ちちゃった
の?という
雷に打たれたような恋のことだが
『恋愛の目的』のふたりも、Moonstruckみたいな恋愛をはじめてい
る。
恋心からプラトニック・ラブから徐々にはじまった恋愛ではなく
ホテルでふたりで過ごした時間からはじまった恋は
暴走のようにも見える。

お互いに交際相手、結婚しようとしている相手がいるのに
「結婚するまで恋愛しようよ」
とユリムは持ちかける。
寝室でだけの恋愛を結婚相手とは別に進行させようというのだ。
なんてこと!ホンは反発する。
しかし、以前の恋愛で傷ついたホンの心は
ユリムによって癒されてもいるようだ。
眠れない夜、不安な闇は
ユリムの匂いを嗅いで...安心な夜に変わった。

言葉でなく心でなく嗅覚と体と。
体だけで愛を交わすことはできない、と断じていたホンの心境の変
化。
やがて嗅覚で存在を愛しはじめたホンの有機的な心の動きがおもし
ろい。
ふたりの恋愛は全然美しくないように見える。
やさしい愛のせりふのひとつもない。
純愛に貫かれた韓国映画やドラマを見慣れている目には
あまりにも地上的で、隠微で、狂気の沙汰で
彼らは恋愛をしているのでなく格闘技をしているのではないか、
と思ってしまうくらい違和感があるかもしれない。

でもMoonstruckのように
ある日突然打たれてしまう、嗅ぎ取って抗えない恋もあるのだろう

この、肌で感じ、肌で育てる恋愛の話がおもしろい。

ただ、
ラテン語の謂い
Amoris vulnus idem sanat, qui facit.
(自分に恋の傷を負わせた相手でないと、その傷は癒すことはでき
ない)
で言われているように
ホンの心の傷がほんとうにふさがったのかどうか
いつかまた疼くのではないかと少し心配になったけれど...

To be, or not to be: that is the question:
というシェークスピアの頃とは異なる自問to do or not to doをぶ
つけてきたテーマはおもしろいし、
若気の至りを艶っぽく演じる主演ふたりの演技の応酬も見ごたえが
ある。
インターネット社会が孕む問題性の一端もうかがえて
なかなか地に足のついたリアルな作品だ。

韓国では特に若い女性から映画に対する支持の声を多く聞いた。
男と女の脳の違い、考え方の違い、行動の違いが率直によく描かれ
ている、という点が支持され、
ちょっといやらしい表情になったパク・ヘイルの変身ぶり(前作『
初恋のアルバム~人魚姫のいた島~』の
純情朴訥な青年とはギャップがある)がカワイイとうけているそう
だ。

to do or not to do: that is the question!




The Game of Their Lives
ドキュメンタリー映画『奇跡のイレブン』を観て。

167cmくらいの選手ばかり、
でも攻撃的なサッカーで敵を抜き
果敢に攻めていく。

労働者階級の町Middlesbroughで開催されたthe 1966 World Cupの試合。
北朝鮮がソ連に負けてから
Middlesbroughの町は北朝鮮チームのサポーターになった。

共鳴する立場、投影する自己の姿。
underdogな町は北のチームが活躍することで
喜びとcatharsisを得ていた、と映画は伝えている。

正式国名DPRKと呼ばずにただNorth Koreaとアナウンスしたり、
国歌演奏も大会最初の試合と決勝の時のみとして
DPRKの国歌が流れる機会を回避したり...
冷戦下ならではの思惑が動いていた一方、
アジアの小国の蹴球がイギリス市民を熱狂させている状況がおもしろい。

Pak Sung-Jin(='Jin')の痛快なシュートは
地元紙に'Jin Tonic!'(=Gin & Tonic)
という見出しで載り('spirits'あふれるプレイということだろう)、
子どもたちはサインを求めて
北朝鮮の選手に駆け寄ってくる(2002年の取材時にもそのサインが宝物のように取り出された)。
今では考えられない、naiveで素朴な光景。

サッカーボールが
5角形と6角形を張り合わせたのとは異なる、
ハンドボールの球のようなはぎ合わせなのも新奇、知らなかった。

ゴールキーパーは'ムンジキ'だった。



Super Family
よく笑いよく泣いた映画『大胆な家族』。
南北統一の状況をつくりあげ
ニュース、新聞、卓球の試合から雑技団までがんばって登場させる。

シン・イのくるくる変わる表情が可愛らしくてよかった。
「バリでの出来事」でもくるくるした髪にくるくるした表情をしていたっけ...。

カム・ウソンがヘンなパーマ(おばさんパーマ)をしていて
大泉洋に見えて仕方なかった。
他の俳優の顔も見たいのに、パーマ頭に目が釘付けになる。

(「タイガー&ドラゴン」のどん太みたいなパーマ。『蜘蛛の森』とえらい違う...)
キム・スロのおかしくて熱いところもよかった。シン・グも素敵だった。
キム・スミは家門の栄光2の役のほうがおもしろそう...。

新しく出来た映画館では
Birthday Boy
も上映しているようだった。


elongated necks and...
Modi...映画Modiglianiを観て。
Amedeoという名はAmadeusに似ている、to love-God、
神の愛でし者という意味のAmadeusから派生したらしい...。
beloved(BelovedはToni Morrisonの小説)、can't touch thisというかんじがする。

アーモンド型の目と細面、長い首の
儚い印象から竹久夢二の描く女性とは姉妹のような気もする。
elongated necks...
長い首は優雅で
麒麟のようなさびしさがある。

映画を観て
1910年代、1920年ころのParis
画家たちの火花が散るようなspiritの交錯が印象に残った。

PicassoがSalon des Artistesのために描いた作品はModigliani像だった。
そしてPicassoの最後の言葉も'Modigliani......'だったとか...
Modigliani...always on his mind...
片手で握手し
片手で切り結ぶような好敵手。
表面上は親しくなかったふたりだが
芸術については互いにinspirationを与えていたのだろうか...
La Rotonde(cafe)での射るような視線
Atelierでの力勁い絵筆の動き。

映画で
愛の言葉で、
たましいという言葉を聞くのはひさしぶり...。

Jean Cocteau展(La Rotondeでの写真もあった)とsynchronicityだった。



alfresco
300inchのスクリーンで夏の野外映画祭。
章子怡の『初恋の来た道』を観た。とっても一途。
ちょっと肌寒い夜
風が吹きこんでくると
画面の中の草原も同じ方向に
右から左へなびいていた。画面とスクリーンの風向きが一致したのがおもしろかった。

Nuovo Cinema Paradisoのあのシーン、
屋外でフィルムを映写して映画を観る気分。alfresco

野外の映画は
反響せずに空にすいこまれる音、
くすんだ色合いに風で攪拌される空気、ふだんとちがう空間が楽しい。
もっと暑かったらよかったのだけれど...。



Menschliches, Allzumenschliches
映画を観て強く印象に残ったのは
人間的な、あまりに人間的なヒトラーの姿だった。
『ヒトラー ~最期の12日間』を観て。

画学生時代の貧困と敗北感、
あるいは第一次世界大戦に参戦して敗戦した時の屈辱とトラウマによるルサンチマン。
屈服する屈辱よりは死、と滅びへの志向さえ口にする一部の部下たちへの
影響力、
当時のドイツ人が共有していたと思われる歴史観から来るヒトラーの抱えるルサンチマンへの共感や
それによるヒトラーとの心理的な結びつきが
少しずつ人間の心の弱さを照射していく。

同情を否定する、とニーチェのような思想を口にしながら
映画のヒトラーは不安で手がふるえ
だんだん蒼ざめていく顔が哀れで
人間としての弱さを露呈する。

弱さゆえの強すぎる自尊心と憎しみは
相手に対して攻撃的になることもあれば
自分にはね返って判断を狂わせ、混乱していく人間性も描かれる。

人間がつくる歴史、人間が起こす戦争が
いつの間にか人間の手を離れ
手に負えないものになっている感もあった。
だからといって、人間は無力で無垢で無実ではいられない。
トラウドゥル・ユンゲが言うように
「若かったからというのは、言い訳にすぎない。いくら若くても目を見開いて周りを見ていれば、気づくことができたのだ」から。
直接関わらなかった、知らなかったという立場の表明も免罪符にはならない。

ペーターとトラウドゥルが最後に故郷をめざしていく場面は
少しだけ生きる希望、人間性への希望が感じられる。
ナチス内部の滅びと死への志向と対照的な生きようとする意志。
戦争の罪は罪として
人間的な、雑草のような個々の生が
生きようとする力。
権力者が理想と現実の乖離に絶望して
死ばかり望むのと対照的な2つの人間の側面。
どちらも人間の顔、人間的あまりにも人間的な映画。

人間の2つの相を見せられて...
John Donneの詩を想起した。

(excerpt from Meditation XVII)

'No man is an island, entire of itself;
every man is a piece of the continent, a part of the main.
・・・・・・
any man's death diminishes me, because I am involved in mankind,
and therefore never send to know for whom the bell tolls;
it tolls for thee.'

映画に現れる
正と負の人間性は
どちらも人類が共有する人間性とかけ離れたものではなく...
生への意志も死への志向も戦時下の人間からは等距離で
あまりに人間的な普遍性が感じられる。

ブルーノ・ガンツが『ブラジルから来た少年』にも出演していたとは...
黒髪碧眼のクローン作りを扱った映画だった。


Jedi
神話のようでもあるし古代史のようでもあるし
未来図のようでもある。
もともと現在過去未来の3つのepisodeから成っていたから...。
Star Wars Episode III Revenge of the Sithを観て。

Oedipus Rex(Sophocle)も物語の要素のひとつに入っている気がする。
手塚治虫の青いブリンクと共通点があるようにも感じた。

Jedi way
Jedi order
Jedi code
それぞれジェダイの掟、となっているのが興味深かった。
way、 order、code 規範の厳密さの相違を表しているような気もした。


童僧
Cinema: Lost and Found 2005で、
35mm negative filmが日本で発見され復元された韓国映画、『心の故郷』(尹龍奎監督)を観る。1949年製作。
韓国では数年前に16mm printが発見されたという。

白黒なので...
夏の日差しがはねかえる画面が白く
眩しさを感じるが
韓服の女性たちはモノトーンで涼しげ。苧麻の韓服だろうか。

母親に捨てられ山寺で育った少年が母をゆるす場面が印象的。
ゆるす心、情の深さや情緒が変成せずに現代にも脈々と伝わり続いて来ている気がした。
ドラマ「ホテリア」や「ラブレター」の親子の再会の場面のように...。

あんな小さな子が自分の人生を大きく左右する選択をするなんて...
舞台が寺だったからだろうか、
それとも子どもはいつも生と死に一番近いところにいるからだろうか...。
半島らしい熱い心で決心し
潔く発っていく少年の行く末はちょっと心配だったけれど清清しかった。

咸世徳の戯曲「童僧」が原作。崔銀姫、卞基鍾、柳民主演。



Emperor Penguin
映画皇帝ペンギン
産毛の赤ちゃん、とても愛らしい!
特にお父さんやお母さんを見上げる姿が
うちの小鳥といっしょ!

黒い時はおなかがすいていて
白い時は満腹で
灰色の赤ちゃんはだからいつもおなかをすかしている、と言っていた...(@_@)?
詩的なナレーションや情緒豊かな表現はフランスらしい。

Adelie Penguin(アデリーペンギン)も子育てには苦労している。
求婚の時に雌に贈る小石は(1つずつ、つぎつぎに渡す)
結婚後は小石の巣になって
すり鉢上の小石の巣の底に赤ちゃんを入れて
上からお母さんがおおって
ブリザードから赤ちゃんたちを守る。

皇帝ペンギンは卵の時からいつも
赤ちゃんを足の上に乗せてふんわり毛をかぶせて寒さから守っている。
卵が孵るまではお父さんが、
その後はお母さんの足の上。

皇帝ペンギンは一度にひとりしか子どもを産まないけれど
アデリーペンギンは一度にふたり産むって。

上野動物園にKing Penguin(王様ペンギン)がいたけれど
皇帝ペンギンの仲間らしい、同じエンペラーペンギン属。

鉄扇公主
Cinema: Lost and Found 2005で
中国のアニメーション『鉄扇公主(西遊記・鐡扇公主の巻)』を観る。
動きもおもしろかった、
女性は京劇に出てくる姫のように首を傾げたり、猪八戒の耳技もおもしろい。
白黒でも豊かな画面。
子どもの時はあまり知らなかった
孫悟空、沙悟浄、猪八戒、三蔵法師のhierarchyに気づかされる。
それぞれの性格の描かれ方が日本と少し違う気もした...
沙悟浄があんなに内気で無口で弱気なんて...。
牛魔王もユーモラス、子どもが観てちょっとわかりにくい牛魔王の三角関係の場面もあったけど。
公主という語は韓国では今もつかっているけれど
日本には伝わらなかったのか...。

萬籟鳴と萬古蟾の萬兄弟が製作したアジア初の長篇アニメーション。1941年製作。徳川夢声らによる日本語吹き替え版。

併映の『海魔陸を行く』は酢ダコにされそうになった蛸が魚屋から逃げ出して
故郷の海をめざす冒険譚。
足が痛くならないかなぁ、と思うくらい
ごつごつした石だらけの山を歩いていく蛸がちょっと不憫。
でも途中で亀におぶってもらっていた...(/_;)
蛸役は徳川夢声(蛸って海魔?)。1950年製作。



Life & Debt
IMFの画一的な政策に対する批判。
資金援助と引き換えに受け入れなくてはならないready-madeの復興策/処方箋は
真に有効なのかという疑問がわいてくる。
アジア経済危機の時のIMFのprescriptionも
drasticな部分があって、それはそこそこ効いていたみたいだけれど...
同じ処方箋が効果を出せるかどうかは
国情、地政、産業の発展ぐあいなどにもよるから...。

Reggae Numbersに
Jamaicanの嘆きが秘められていることに気づかされる。
Harry BelafonteのDay-OIsland in the Sunもちがって聞こえてくる。

2003 Nov., after 6 years(IMF 4 S.Korea)



Rhyme & Reason
East Coast West Coast together♪
from Rhyme & Reason
(Rap musicianの間でEast-West warも実際にあったって...)

全羅道も慶尚道も一緒にhere we go♪
from Good Time

どちらもHip Hop詞。

to be completed...


同心円
Lucky Strike
のpackageの同心円がオープニングで印象的につかわれている。
Out of This World
『この世の外へ クラブ進駐軍』を観て。

同心円、円が円に包囲されていること(占領下を想起)、
そしてbase内はこの世の外
ということを示唆させる。

でも、この世とこの世の外は隔絶した世界ではなく
フェンス一枚、
同心円、
同じ平面...
そんな世界観を感じさせる。

音楽が焼け跡闇市と
戦勝国を結んでいる。
borderを感じさせ、borderを越えさせる感じの映画。

それが音楽の力なのか
音楽のたすけを借りた人間の力なのかはわからない...。



Bomb the System
Graffiti Writerの話。
graffitiは壁に描くもの...
graffiti artist、graffitistとも呼ばれるけれど
Bomb the Systemの中では
writer...
graf + scribe、painter + poetだから?

BTW,
Hip Hopにはb-dance、MC、DJ、and graffiti。
spray缶から飛び出して
でもどこかborder、wall、biasで地上的。
そしてBrooklyn Bridgeの静謐さ。
錆びた船がヒンズー寺になっているのは驚いた。
街と壁が現世的で
海や船や橋は希望か理想。

映画館の壁面には作品が。

graffiti


Lupin
玄趣あふれる作品。
愛と憎悪、
いくつもの顔を持つ主人公たちの深い像は
フランス恋愛心理小説を想起させる(ラクロの危険な関係など...)。
かなしみが鋭利で幻想的でハリウッド映画とは違う...。

そして泥棒の美学。
Jean Genetの泥棒日記は最後まで読まなかった気がするけれど
もう一度読み直してみようかな...。

第一次世界大戦開戦の空気を孕んだエピソードも興味深い。

Lupinusの花、ancient Greekではlupusはa wolf

花言葉は想像力。



The Hitchhiker's Guide to the Galaxy
地球の一大事にビールを6pint(ひとり3pintずつ)注文する異星人と
宇宙でも紅茶を飲む習慣を崩そうとしない(!)、
英国人の動じなさがおかしい。Planet存在の耐えられない軽さ?

It's not my cup of tea.と思いつつも長いものに巻かれる感じが島国的...
くすっと笑いたくなる英国的ユーモア。
同じイギリス宇宙もののRed Dwarfの可笑しさにどこか通ずる。



A Good Woman
Oscar WildeのLady Windermere's Fanが原作の映画。

Helen Huntの演技が俗っぽさ崩れた感じと聖性紙一重の円熟味。
崩れているようで精神的なtoughnessがあって、ちょっと卒塔婆小町を思い出す。

続きは原作を読んでから。


Copyright 2004-2007 Dalnara, confuoco All rights reserved.


Copyright (c) 1997-2019 Rakuten, Inc. All Rights Reserved.