Auslander外国は故郷にならなかったけれど故郷は外国になってしまった。高校生くらいまではMarlene Dietrichの引いたこの言葉がほんとうに思えた。 その通りの切ない気持を抱いて生きるのかも、とうっすら思っていた。 Englishman in New York(Sting)がリメイクされてJamaican in New York♪ となっているのを何年か前から時々耳にする。 ParallelにしたらKorean in Tokyo♪もちょっと違ったニュアンスで聴ける。 時折利用する駅にSchindlerのエスカレーターが設置されている。 あのSchindler一族のメーカーのものだ。 ふと日本には真にSchindlerのような人はいなかったなぁ、と考えてしまった。 植民地化された国の人々を救う人はいなかったから。 あの狂った時代との接点がこんなところにもあった。 今はどちらも外国という気がしない。どちらにも愛着がある。どちらにも選挙権はなくとも。 国家ではなく、土地、文化、住んでいる人たちに愛情がある。 ただ、ドイツではこんな言い方があるそうだ。 私たちはみんな外国人だ。世界のほとんどの場所で。 No soy coreano, ni soy japones 『パッチギ!』の "We Shall Overcome Someday" と 『GO!』の "No soy coreano, ni soy japones, yo soy desarraigado" はコインの裏表みたいに聞こえる。 20年たって『パッチギ!』から『GO!』へ意識が変わったかもしれないけれど... 克服と同化と逸脱と俯瞰と...いろいろなせめぎあいの中でまだ揺れている。 Copyright 2003-2007 Dalnara, confuoco All rights reserved. ジャンル別一覧
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