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confuoco Dalnara

Auslander

外国は故郷にならなかったけれど故郷は外国になってしまった。
高校生くらいまではMarlene Dietrichの引いたこの言葉がほんとうに思えた。
その通りの切ない気持を抱いて生きるのかも、とうっすら思っていた。

Englishman in New York(Sting)がリメイクされてJamaican in New York
となっているのを何年か前から時々耳にする。
ParallelにしたらKorean in Tokyo♪もちょっと違ったニュアンスで聴ける。

時折利用する駅にSchindlerのエスカレーターが設置されている。
あのSchindler一族のメーカーのものだ。
ふと日本には真にSchindlerのような人はいなかったなぁ、と考えてしまった。
植民地化された国の人々を救う人はいなかったから。
あの狂った時代との接点がこんなところにもあった。


今はどちらも外国という気がしない。どちらにも愛着がある。どちらにも選挙権はなくとも。
国家ではなく、土地、文化、住んでいる人たちに愛情がある。

ただ、ドイツではこんな言い方があるそうだ。
私たちはみんな外国人だ。世界のほとんどの場所で。




No soy coreano, ni soy japones
『パッチギ!』の
"We Shall Overcome Someday"

『GO!』の
"No soy coreano, ni soy japones, yo soy desarraigado"
はコインの裏表みたいに聞こえる。
20年たって『パッチギ!』から『GO!』へ意識が変わったかもしれないけれど...
克服と同化と逸脱と俯瞰と...いろいろなせめぎあいの中でまだ揺れている。


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