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テーマ:韓国!(16833)
カテゴリ:映画
あらすじ
ファンドマネージャーのソグ(コン・ユ)は 別居する妻の元へ一人娘スアン(キム・スアン)を連れて行くため 早朝5時30分ソウル発KTX(韓国高速鉄道)101号で釜山へ向かう。 家出少女(シム・ウンギョン)がそのKTXに駆け込み乗車 出発して間もなく車内には異変が起こり ゾンビが増殖する... コン・ユ、キム・スアン チョン・ユミ、マ・ドンソク キム・ウィソン、チェ・ウシク、アン・ソヒ チェ・グィファ、チョン・ソギョン イェ・スジョン、パク・ミョンシン出演 『豚の王』のヨン・サンホ監督初実写長編映画 『新感染 ファイナル・エクスプレス 부산행(原題:釜山行き) Train to Busan』(2016年) (以下、映画の核心に触れる部分がございます) ポン・ジュノ監督『スノーピアサー 설국열차 Snowpiercer』も 鉄道の中で終末的世界が描かれるが ヒエラルキーや格差、階級格差を廃する革命的動きで 反乱がきっかけだった。 linearでcycleな世界を構築し画面を満たし そのworld orderで限定し溜めた後で 窓を開けpierceという横断する観点を表現し 新世紀を描き出しながら。 一方、『釜山行き』は 一目見て戦争を想起させた。 冒頭の家出少女は恐らく搾取もされ怖い思いもして駆け込んできたのだろう... すぐにフェイドアウトする その「不幸な」少女とは一見、対照的なスアン。 両親が別居しているという不幸はあるが物質的には豊かに暮らしている。 この映画に子どもはスアンしか登場しないが スアンの目の前に繰り広げられたのはまるで戦争、戦場のような光景だった。 誕生日の朝 スアンの目の前に映るのはゾンビとの死闘を通して 描かれる「戦争」だった。 自分だけが助かれば良いという大人たち(スアンの父ソグも含め)、 「おれたちだけでも生き残るんだ」と嘯いて。 「感染しているぞ!」と切り離し排除、分断を広げようとする大人たち (関東大震災の朝鮮人虐殺や世界の民族浄化 ジェノサイドは このような差別と分離、分断化から始まった)。 今シリアでパレスチナで 南スーダンでミャンマーで スアンのような小さい子どもたちの目に映る分断や断絶 戦争に至る断絶と分離は まさにこのような姿で、釜山行きの電車の中に凝縮されているのではないだろうか。 子どもの目を通した「戦争」が描かれている。 ヨン監督は 「ゾンビは鏡である」 とインタビューで語っていたが ゾンビを前にし利己的な本性、醜い姿を露わにする者たちが 人間の側、大人にはおおぜいいる。 スアンが恐怖にかられ泣きながら見ていても 見られていると気づいても 彼らは止めようとしない。 それは非常時や戦時も同じこと。 流言蜚語でブロック化や切り離しに排除、他人を蹴落とし 自分だけは助かろうとする者たち。 「蜘蛛の糸」にも描かれているような醜く熾烈な争い、人間の本性が 車内のゾンビとの死闘を通して浮かび上がる。 社会は 世界はそのような大人たちにより 断絶し分断が深まり対立が激しくなっている... スアンの目には 子どもの目にはそう映るだろう。 そうして スアンは誕生日の朝 「生まれた」日の朝にそのような世界の姿を見せられてしまう、というアイロニー。 物心ついたころから 戦争のさ中に生まれる子どもたちもおおぜいいることを想起させ 象徴的だった。 誕生日に聞こえるのは祝福ではなく 戦火に逃げまどう叫び、という世界も現実には隣り合わせている。 (別の監督作品だが パク・セジョン監督短編アニメ 『祝生日 Birthday Boy』でも 主人公の子どもは誕生日に戦争を見せつけられる) そのような意味で 終末的世界という点では『スノーピアサー』を想起もさせるが 描き方は スアンから視た戦争、子どもの視点からの戦争、戦場 (実際はとても子供には見せられない酷く怖ろしい世界)を ゾンビやゾンビとの闘いを通して象徴的に寓話的にも提示しているかのよう。 そのきっかけとなる分断や断絶も随所に示して普遍的な、現実と地続きの世界。 今も世界のどこかで子どもたちは 幼い時からこのような「戦争」を見せつけられているのだ、 あらためて考えると胸が痛む。 一方で ゾンビに感染し増殖するように 「ヒーロー」も伝染し増殖していった。 最初から人助けに積極的で男気あるサンファ(マ・ドンソク)に感化されるように ソグも自分と娘だけ助かればよいという利己的なクズから徐々に脱皮 高校野球部選手のヨングクもジニを守るために体を張る。 スーパーヒーローではないが 協力して戦う。 ホームレスのおじさんも女性たちを守ろうと犠牲心を発揮する。 女性を、愛する者を守ろうとするヒーローたちが増え ゾンビのように増殖する英雄譚でもあった。 「感染しているぞ!あの目を見ろ」と切り離し、分離分断を煽動するシーンは ヨン監督曰く、 セウォル号被害者の遺族の集会時の一部市民の反応も 念頭に置かれているそうだが... 分離、分断、断絶が広がる一方で 横断するヒーロー心も感染し増殖し 世界の光と翳が釜山行き電車内に交々に現れる、戦争映画のようでもあった。 余談ですが 『ワールド・ウォーZ』で 唯一ゾンビに狙われない、感染しない人間は 病気や障害のある人だったので 浮世離れしたようなホームレスのおじさんのことは (この人はもしかしたら この人だけは感染しない強さ、ある種の聖性があるのかもしれない)という思いが 頭をよぎったりもしたが... 疎外され社会の透明人間のようなホームレスのおじさん。 いつもテンポがちょっとずれている彼には注目していた。 元々 「ホームレスがゾンビになったら」というアイデアが以前からあったというヨン監督。 KTXのトイレにこもった ホームレスの顔は汚れきっていて仔細に見ることが出来ず 確認出来ず 不安そうにうわ言も言っていて (この人はもう感染しているのだろうか)という疑念が一瞬湧きもした。 最もゾンビに疑われてもおかしくない外見に満ちているようなホームレスが 実は社会で無色透明な存在ゆえ 最もどの側にも嵌らず境界からゆらゆら自由に見え、 即ち、分離や分断とは無縁になり得る自在さも備えて 一種次元も超えた狂言回しのようで印象的。 と言いながらも 『釜山行き』は誰もが感染し襲われる可能性がある世界。 お金があっても地位があっても疎外されていても 他人を押しのけて自分だけ助かろうとしても。 その無差別性、あるいはフラットさから 現代の、21世紀の戦争の熾烈で無差別な破壊力、容赦の無さをあらためて認識もさせる。 世界が抱えている普遍的な「危機」、戦争の本質について 再確認を促されているよう。 しかし、ラストでスアンの歌声がトンネルに響いた時 ゾンビは言葉を持たず会話のコミュニケーションも取れず 歌も歌えないが... 人は人間はそれらを駆使できる。 そこがゾンビとの違いと気付きもする。 『無防備都市』のように撃たれたらショックを受ける...と考えながら観ていたが 言葉や会話、歌で疎通し 生き残り生き延びることが出来る、という知恵と知性に対する希望の余地と余韻を残していた。 人間は疎通できるのだ、という最後の希望。パンドラの箱に残ったような希望。 朝鮮戦争時の避難列車も念頭にあったというヨン監督。 インギル、チョンギルの姉妹は どこか離散家族・南に避難して来た失郷民も思わせ KTXの中で分断されてしまった時は 戦争(ゾンビ)がまた家族を分断するのかと 胸を締め付けられた。 高校野球選手のヨングクが ゾンビ化した野球部員たちを前に怯む姿は 韓国の若年層が直面する競争社会を暗示するかのよう。 ヨングクが締め出された車両のドアを開けようと 必死にバットを振り回す姿も 大人たちを向こうにした 若年非正規労働者が企業のドアをたたき続けている姿を示唆しているようにもみえた。 かつて ソウル駅にあった 雲の橋 구름다리 にはホームレスが暮らしていた。 「アーティスト・ファイル 2015 隣の部屋──日本と韓国の作家たち」展アート作品により ホームレスの間で情報が共有されるスピード感が印象的だったことも思い出す。 鉄道アクション 火も噴く暴走列車に鉄子!?の目も釘付け。 2004年、 KTXに乗って釜山へ 100000系/KTX-I ヨン・サンホの2003年の短編を2006年に観ていた... その時の評、自分の感想として「演出が巧み」と書いていた。 その頃から光っていたのか、本当にその通りに。 to be continued...!? buzz KOREA Click... にほんブログ村 韓国映画 にほんブログ村 映画 にほんブログ村 映画評論・レビュー にほんブログ村 韓国情報 にほんブログ村 K-POP にほんブログ村 Copyright 2003-2024 Dalnara, confuoco. All rights reserved. 本ブログ、サイトの全部或いは一部を引用、言及する際は 著作権法に基づき出典(ブログ名とURL)を明記してください。 無断で本ブログ、サイトの全部あるいは一部、 表現や 情報、意見、 解釈、考察 ロジックや発想(アイデア)・ 視点(着眼点)、 写真・画像等も コピー・利用・流用することは禁止します。 剽窃厳禁。 悪質なキュレーション Curation 型剽窃、 つまみ食い剽窃もお断り。 複製のみならず、 切り刻んで翻案等も著作権侵害です。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
Mar 31, 2023 03:29:29 AM
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