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2014年春。
済州島への高校の修学旅行を前に セミ (パク・ヘス) は足を骨折し入院している親友ハウン (キム・シウン)を訪れる 「いっしょに行こうよ」 セミは夢見が悪かったのでハウンのことが心配だったのだ。 チョ・ヒョンチョル、チョン・ミヨン共同脚本、DQM撮影 パク・ヘス、キム・シウン、オ・ウリ、キル・へヨン、パク・ジョンミン出演 チョ・ヒョンチョル監督『너와 나(君と私) The Dream Songs』について (以下、映画の核心に触れる部分もございます) 好きな人に夢でも逢えたらうれしい。 それは思春期の誰もが思うもの。 韓国ドラマなどを視ていると「私の夢をみて~」が 恋人同士のおやすみ前の挨拶だったりする。 日本でも小野小町が<いとせめて恋しきときは むばたまの夜の衣をかへしてぞ着る> 夢で恋しい人に逢いたい時は寝間着を裏返して眠りにつく、という歌を詠んでいる。 しかし、セミが修学旅行直前にみた夢見は悪かった。 そんな夢をみた後では、足をケガしたハウンは安山で、 自分は済州島で、と離れてしまってはダメ、と思ったのかもしれない。 安山、修学旅行などから、映画は2014年のセウォル号事故を描いたもの、 とわかってくる。 一方、チョ監督が「惨事を映画的なスペクタクルのために利用したくなかった」と インタビューなどで語っている通り、テーブルから落ちそうな水の入ったコップや 鏡などが象徴的に登場するが、事故は直接言及されていない。 直接言及せず、クィアな主人公たちにも過度に踏み込まない、 ステレオタイプに描かない。 節度ある監督の、主人公たちへの「接近(アプローチ)」のしかた、 距離感が最後まで一貫し清々しい。 おそらく、セウォル号事故に限らず、 被害者の中にはクィアな人たちもいるかもしれないが、 社会やメディアなどで不可視化されいなかったことにされ 周縁化されているマイノリティにそっと光を当て、節度をもって掬いあげている。 一定の距離感と節度、リスペクトある監督の細やかなアプローチで。 生まれたての瑞々しい心の動きを 小鳥の雛に対するように触りすぎず近づきすぎず、 少し遠くから大切に見つめるような距離感で 思春期のふたりのもやもや未分明な心境を誇張せず断定せず、 淡いままに等身大に淡く描く。 「自分の想いが隠しきれない」セミと 「自分の気持ちがつかめない」ハウンの気持ちは とうてい噛み合わず、すれ違ってハラハラさせられる。 高校生だから自分の淡い気持ちもうまく言語化できない、 相手との温度差に戸惑い、いらだちもする。 ましてクィアがその年齢でどのように愛情表現できるのかもよくわからない、 自信も確信もない。 そんな不安定さと弱さ、伝えたいもどかしさが鬩ぎ合う。 相手の気持ちを知りたい手探りという途上、 不分明で未分明な状態と、初恋の葛藤は 春の光に彩られ夢の世界のよう。 2014年に韓国で観た、 イ・ソン・ヒイル監督の『야간비행(夜間飛行)Night Flight』では 「ここにもゲイがいる!」と学校の塀にグラフィティで書いたマイノリティが登場する。 声なき声、あるいはかき消されそうな小さな声がセウォル号事故被害者にも、 そして社会にも、ここにもそこにもいる。 彼女たちの恋心をそっと掬い上げた本作は、ただ静かに細やかで淡い映像で 「ここにもクィアがいる」と伝える包摂性があった。 包摂性の一方で、彼女たちの不安やいら立ちは、 ただ愛する人たちのストーリーとして特別なものではなく、普遍的だとも伝えている。 第58回百想芸術大賞受賞式(2022年5月)スピーチでチョ監督が トランスジェンダーを公表したビョン・ヒス下士や セウォル号事故の被害者学生たちの名前を呼んでいたことも想起する。 クィアや子どもたちの声なき声、小さな声を掬い上げるスタンスは一貫している。 2022年5月 백상 百の想い 荘子の説話「胡蝶の夢」も思い出す。 夢の中で荘子が胡蝶としてひらひら飛んでいた。 目が覚め、はたして自分は蝶になった夢をみていたのか、 それとも実は夢でみた蝶こそが本来の自分で 今の自分は蝶が見ている夢なのか、という説話。 「夢の中の自分が現実か、現実のほうが夢なのか」の「胡蝶の夢」は 荘子の思想としては自由な境地を表している。 本作にも蝶がモチーフのひとつとして登場するが それは「胡蝶の夢」の蝶というよりは 韓国的ナラティブで死者の魂を表しているよう。 ただ、セミの夢の中のハウンや、夢の中のようなセミは こちらとあちらの境界を曖昧にし、 「胡蝶の夢」のような境地も示唆する趣。 映画の描写、演出としては胡蝶の夢のように夢と現実の あわいが混淆し描かれている。 一方で、タイトルが示す通り 君と私の運命は入れ替わる可能性があったように、 私と君の境界も朧げで曖昧になる。 夢と現実の境界が朧で曖昧なように。 そんな私と君の先、延長線上にあるのは私たちで、 私たち=社会という意識も包含されている。 君ではなく私だったかもしれない、という現実と夢のあわいを 行き来するような、一見「胡蝶の夢」のような演出は 私だったかもしれない、という想像力と痛みにコミットメントし 社会でそれらを共有することも促しているかのよう。 韓国語のタイトルと英語のタイトルの間隙、行間をつかって 個人的な愛の喜びと喪失の痛みを普遍的に広げてもいる。 ジョン・ダンの詩を読んだ時のように。 No man is an island, Entire of itself; Every man is a piece of the continent, A part of the main. If a clod be washed away by the sea, Europe is the less, As well as if a promontory were: As well as if a manor of thy friend's Or of thine own were. Any man's death diminishes me, Because I am involved in mankind. And therefore never send to know for whom the bell tolls; It tolls for thee. from "Meditation XVII" by John Donne そんな想像力と痛みにもつながる強烈なシーンを 中盤に観てかなり泣いてしまった。 そのシーンは、修学旅行前夜、繁華街で学生たちがそれぞれのグループで 服を選んだり旅行に必要なものを物色したり、メイクアイテムを試したり。 母親といっしょにスーツケースに衣類をつめこんでいるマンションの一室 などをカメラがとらえたもの。 その視線、カメラは、向かいのビルの2階か3階のカフェから見下ろしたような角度。 天からの上空からの視点ではなく、 ちょっと手が届きそうな近さ、高さで 私たちの日常の延長線上の風景として描かれていた。 セウォル号に乗らなかった市民たちの視線、視点だが、 彼らも、彼らを見ている私たちも同じ空の下、地続きなのだ。 カフェでおしゃべりしている時、ふと窓外に目をやった時 目に入るような、いつもの平凡な光景。 そんな風にはしゃぐ学生たちは、知らない誰かだけれど、 いつでもどこでも見かける、そこに彼らがいる平和で平凡な光景だ。 彼らはそこにいた、だが...と考えて涙がとまらなかった。 セミとハウン、君と私だけの運命にとどまらず、 彼らと私たち=社会が映し出されていたから。 公園の森の中の鏡も、教室の後ろの鏡も、 そこにいた彼らの時間と、彼らの後の時間をとどめて映し出しつつ。 2020年頃観たドキュメンタリーのタイトルが 『부재의 기억(不在の記憶)In the Absence』だったことも思い出す。 彼らと私たち、どこが違うのだろう。 セミとハウン、君と私に大してギャップがないように、 あの学生たち、今は不在の彼らと私たちはひとつの社会で繋がっていたのだ、と。 あらためて、チョ監督の第58回百想芸術大賞受賞式(2022年5月)スピーチで 病床の父に語りかけた言葉も想起する。 「死を私はこんなふうに考えてもいます。 存在の様式がただ変わっただけ、だと(拙訳意訳) 죽음이라는 게 난 그렇게 생각하는데, 그냥 단순히 존재 양식의 변화인 거잖아.」 夢と現実の境界が曖昧な「胡蝶の夢」のように、 生と死、存在と不在も、ただ存在の形態が違うだけなのかも... オム・テファ監督 『가려진 시간(隠された時間)』を観た時も、 あの世とこの世のあわいの胡蝶の夢、と書いていた。 そして最後にまた泣いた。 うちの家族で愛らしいボタンインコを育てていたので、 小鳥が愛しくて見つめて「사랑해 사랑해 사랑해」と幸せそうに 話しかけ続けるセミの気持ちがわかるような気がする。 3シラブル(syllable)の「사랑해(愛してる)」は愛鳥に向かってはいるが、 いつか愛する人にはっきり言うための練習で 心の中では同じ3シラブルの「김하은」や「하은이」を 合いの手のようにエコーのように重ねているのかも、と思えるほど セミは幸福感に満ちた表情だった。 小鳥への愛も声に出し情熱的に溢れさせながら 「사랑해」(「김하은」) 「사랑해」(「하은이」)と 声に出す言葉と心の中の言葉で二重奏、歌っているような愛の言葉 愛の歌のようなエンディングの余韻も忘れられない。 早鐘を打つようにたたみかけ、 あふれ出る愛の鼓動を小鳥に告げ続ける。 その鼓動の波、その波動の時間は そこで止まってしまうことを永遠に哀惜する。 ハウンに聴かせることはできなかったその響きは 永遠に時間の中に閉じ込められたから。 余談?だが...チョ監督の親友というパク・ジョンミン演じたあやしいおじさんをめぐり 女子高生たちが「悪い大人の男」を言葉で制圧?追い詰める風な サイドストーリーのやり取りもおもしろかった。 子どもの頃に読んだ童話、たとえば「名探偵カッレくん」や 「大どろぼうホッツェンプロッツ」のように 知恵ある賢い子どもたちが悪(!?)と闘うカタルシスを 思い出し痛快だった。 その後の彼女たちの運命を考えるとまた泣いてしまうが... こんなに賢くお口が達者でカッコいい女子たちが...と。 このあたりも、不可視化されがちな女子高生の賢さや知恵、 まだ子どもだが、友人を守る勇敢さや潔さが表現されていてよかった。 百想芸術大賞受賞式にアプレな韓国初の女性監督박남옥の顔が入った シャツを着てくるチョ監督らしさ... チョ・ヒョンチョル出演ドラマ「D.P.」について to be continued...!? buzz KOREA Click... にほんブログ村 韓国映画 にほんブログ村 映画 にほんブログ村 映画評論・レビュー にほんブログ村 韓国情報 にほんブログ村 K-POP にほんブログ村 Copyright 2003-2026 Dalnara, confuoco. All rights reserved. 本ブログ、サイトの全部或いは一部を引用、言及する際は 著作権法に基づき出典(ブログ名とURL)を明記してください。 無断で本ブログ、サイトの全部あるいは一部、 表現や 情報、意見、 解釈、考察、解説 ロジックや発想(アイデア)・ 視点(着眼点)、 写真・画像等も コピー・利用・流用・ 盗用することは禁止します。 剽窃厳禁。 悪質なキュレーション Curation 型剽窃、 つまみ食い剽窃もお断り。 複製のみならず、 ベース下敷きにし、語尾や文体などを変えた剽窃、 トレース、リライト、 切り刻んで翻案等も著作権侵害です。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
Dec 12, 2025 12:58:06 PM
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