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カテゴリ:美術
長らく更新していなかったのですが、美術館めぐりは休んでいなかったのです。
今回は、今話題の東京国立美術館で開催中の「生誕120年 藤田嗣治展」に行ってきました。 ちょうど、皇居のお堀端に桜が咲いている時期で、花見客も多い。そして、美術館への来館者も非常に多かったのですが、まあ普通に見られなくはない、という混み具合。「ゴッホ展」のような異常な混み方では無かったです。 藤田嗣治(1886-1968)とはモディリアニなどと並ぶ「エコール・ド・パリ」の代表的な作家で、独自の「乳白色の肌」をした作品が有名な、重要な日本の近代作家の一人です。晩年はフランス国籍を取得し「レオナール・フジタ」と名乗っていました。 私は、藤田嗣治の作品と言えば近代美術館に展示されている戦争画とブリジストン美術館の作品ぐらいしか見たことがなかったのです。今回の展覧会では内外から、藝大卒業時から晩年までの、幅広い作品が網羅されており、質量ともに満足のいく内容だったと思います。 特に、共感したのはフランスに渡って独自の「乳白色の肌」の技法を編み出したころ。 海外に留学経験のある方であれば、自分が外国人の中で、どう自分を表現し、かつ自分の中の「日本」を発見し活用していくかについて考えたことがあると思います。若き日の藤田も、まさにそのなかから自分の技法を苦心して編み出していったのでしょう。 藝大卒業から渡仏直後は、なんともアカデミックな画風で当時流行のキュビズム絵画を描いていたりしています。その後に友人のモディリアニの影響が見えるような人物画を描いているのですが、段々と独自の画風を築いていきます。 例えば、日本的なモチーフや日本の筆や墨を画材として用いるなど、西洋人が使えない技を取り入れることによって、静かで淡白な画風を確立していったように見えました。 経営でも美術でも「差別化」が重要なのですが、フジタの場合は自分自身のキャラクター(おかっぱ、ヒゲ、眼鏡)によってパリっ子の耳目を引き、画風では日本とパリの雰囲気を混ぜ合わせていくことにより、自らを差別化していったのでしょう。彼の作品からは、パリのエトランゼとしての日本人の苦心が感じ取れました。 また、後半に行きますとメキシコで影響を受けて作風が変わったり、戦争中は「乳白色の肌」とは正反対にあるような、生々しくどろどろした戦争画を描いたりと、作風も一定の場所に留まっては居ません。 その流転する作風を時代とともに追えることも、この展覧会の魅力の一つだと思います。 結局、戦争画を描いていたことで、戦争後に日本に居られなくなってしまって再渡仏するわけですけど、その後に描かれた乳白色は、以前のものと少し違いました。 展覧会に行きましたら、もう一度、最初と最後の乳白色を比べてみてください。 (メジャーな展覧会なので、ここで私が「これが違う」と言うよりも、見てきてもらったほうが良いとおもわれますので) 晩年になりますと、「子供」の絵が多くなるのですが、どことなく奈良美智を思わせるような印象がありました。奈良さんには不機嫌な子供の絵がありますけど、あんな感じです。参考にしていたのでしょうかねえ。 ・・・・関係ないですけど、出品作品に個人蔵が多いのはうなずけます。 家にあったら、絶対に飾りたいと思いますもん。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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