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今、某電気会社の社員が書いた内部告発本が、そこそこ売れているらしい。書店でも店頭に山積み並んでいるし、広告か何かで目にした記憶もある。
その本を見た訳では無いけれど、ちょっと思ったことがあるので書き留めてみる。 あくまでも個人的な見解です。 某電気会社の仕事を頂戴していた頃、時代はバブルの絶頂期であった。 かなりの大人数を抱える大きな敷地で、組み立てラインからソフトウェア開発まで、関連した子会社が集まり、1つの街のようになっていた。 部門単位だろうか、昼食時の食堂へは数回に分けて入っていた。お伺いする部門担当者により、昼食の時間が変わっていた。 昼休みになると、ジャージに着替えて走っている人やキャッチボールする人も居る。恐らく製造ラインの方だろうか? ソフトウェア開発では、昼休みに汗をかくようなことをする人は、あまり見かけない。 それだけ、様々な作業をしている多くの人が集まっていた。 某電気会社で、自分とやり取りしていた担当者は年俸制を選択していた。 どちらも選択できるらしいが、その方は自ら年俸制を選択していた。上記にも書いたけど当時はバブル絶頂期でもあり、安定しているのなら年俸制の方が利口な選択と言われた時代だ。 今ならきっと、その当時の10倍は決断を迷うのだろうけど...。 その敷地内の子会社は、大抵は親会社の仕事をこなしていた。 同じブランドの仕事を受けて、その一部を中小企業に発注する。場合によっては、紹介料のごとく一部を取り、丸投げも当然ありえた。 その流れは、ソフトウェア業界には、今も根強く残っている。 その親会社から子会社に流れてきた仕事を、一般企業として受けていた時代があった。「孫受け」と云うやつだ。 当然、子会社は社員を抱えており、親会社もそれを踏まえて予算を出す。 バブルの頃はその予算がかなりあり、それこそどう消化するかが争点となる場合さえあった。 景気が冷え込み、予算の削減が行なわれた。 それでも、子会社は親会社にしがみ付き続けた。親会社は、増大化した子会社の面倒を見ることで、更に負担が増大し続けた。 何故、このような体制なのか、若輩ながら不思議に思ったものだ。 そして大鉈(おおなた)が振り下ろされた。「人員削減」と呼ばれる大鉈だ。 取り引きのあったの大半の方が移動となった。 宮城、東京、埼玉...遠くは九州なんて方も居た。 今になって考えると、「景気の影響だよ」とも云えなくもない。 でもそれは、あまりにも虫の良い返答だ。 むしろ、子会社がその特化した特性を活かす事なく、結果的には「親会社にしがみ付き続けたこと」が最大の原因ではあるまいか? 高い技術力もある。 豊富な人材も沢山居る。 また、常勝軍団として戻る時が来るだろうと、それは常に思っている。 景気も序々に上向きだしているしね。 ※補足 実際には某電気会社は親会社ではありませんが、この文章内では、グループ内で最大の会社を親会社と表現しております。くれぐれもお間違いの無いように...。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2004.09.06 15:18:59
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