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今週は先々週の続きで茂登山長市郎さんでした。先週の仙石官房長官の口直しにはちょうどいい、さわやかな対談でした。いつものことですが、もう少し幸田さんが聞き役を演じてくれたらもっとよかったのですが。
最初は、つい先日フィレンツェ市から受けたレ・ミューズ賞の話です。従来はマリア・カラスやソフィア・ローレン、アラン・ドロン、シャガールなど芸術家に与えられていた賞ですが、芸術家をサポートする人に与えてもいいじゃないか、ちょうどメディチ家がフレンツェで芸術家たちを育てたように、と言うことでジャンルが広がり、そのアポロ賞に茂登山さんが選ばれたということです。 その理由は茂登山さんが長年、イタリアブランドを日本に紹介してきたという功績もあるのでしょうが、何と言ってもフレンツェの象徴ともいえる「サンタ マリア デル フィオーレ大聖堂」にあるサンジョヴァン二洗礼堂の巨大な「天国への扉」を無償で修復、寄贈したことでしょう。 20年前、一切の対価なしに(名誉市民などの賞を断って)寄贈したことが段々に広まっていき、それに対してフォレンツェとして何も報いていないのはおかしい、ということになり、あらためて賞されたということで茂登山さんも今回は遠慮なく?いただいたということのようです。 それにしてもイタリア人なら89歳となるともはや動けないだろうということで、半年前に受賞の意思確認があったということですが、今もバリバリ現役の茂登山さんですからノープロブレムです。授賞式はベッキオ宮殿で行われた、ということでまさに西洋の歴史の中に日本人が足を踏み入れる瞬間ですね。 茂登山さんはあくまでも自分を育ててくれたフィレンツェへの恩返しのつもりだそうです。本場で素晴らしい芸術を見て学ばせてもらい、その中で見出したグッチなどブランドを紹介できたことを感謝していると語ります。 茂登山さんは常々、「文化の落差のなかにビジネスのチャンスがある」という考えで、日本で一番遅れていた「革」の文化を紹介することがビジネスになると目をつけたのです。 これはヨーロッパで本物の芸術を見続けていたことからくる直感であり、オーナーだったから独断で進むことができたとも語ります。 幸田さんがグッチのカバンを40年位前に初めて買ったのも「サンモトヤマ」というくらいに草分けですが、茂登山さんは既存のブランド以外にもセリーヌやトラサルディ、エトロなど元々は素材屋さんだったところにも、いろいろアドバイスをしながらブランドに育て上げてきたのです。(残念ながらトラサルディ、エトロとはどのようなものか知りません) ところがそのブランドの直営店が日本の進出してくる時代になってきました。これらの大きな商権を茂登山さんは「いいよ、もともとあなたのものだから」とぽんと返してしまう。そのあたりの潔さ。素敵だと思います。 江戸っ子は宵越しの金を持たないというけど。だからこそ前に進める。それにこだわって、もったいないことをしたと悔やんだり、裁判をしたりしても所詮は彼らのもの、彼らの名前。悔しかったら自分でやれ、と言われておしまいです。 過去の成功体験にこだわらず、新しいものに向かっていくというのは素晴らしい、茂登山さんの茂登山さんたるゆえんですね。 こだわって後悔していても何にもならない。それよりも前に進むこと。流行、ファッションとは流れゆくもの、変わっていくのは当たり前。それを変わらないというほうがおかしい。 銀座も様変わりして、デフレだ、物が売れないというけどこの辺りはどう考えますか。 これは当たり前。株は上がらない、銀行は金を貸さない、会社は従業員の首を切る、となったらお金を使わないのは当たり前。でも何かを買う楽しみというのはなくならないんだから、ここは我慢しないといけない。世の中の流れとは何も色かたちだけではない。流通の変化、経済の変化というものに乗って頑張っていくということ。 ここで幸田さんは茂登山さんの年齢について強調します。89歳でこんなに元気、記憶力も確かで前向きな気持ちは素晴らしい、と賞賛。 それに対して茂登山さんはまた半分冗談で返します。「今、これは景気がよくないから頑張っている。景気がよくなったら明日にでもポッと死んじゃうかもしれない」 会長の最近の言葉、「負けたままでは死ねないだろう」が好きなんですよ。 そうだろ、今みたいに景気の悪いときに死んだら負け犬だよ。こんなときに死ねない。 そうですよね。頑張ってください。 大丈夫だ! ここで話題は変わります。 茂登山さんは今、アジアに注目されているそうで、ロータスファイバー、ハスの繊維で作った衣服などの新たなブランド化を考えているそうです。もともとアジアで僧侶などトップの衣服の素材として使われていたが、シルクに負けて衰退してしまったのが、ミャンマーに残っていてこれが軽くて独特の肌触りだとか。但し手間がすごく掛かるのでまだ商品化は少し先のようです。 現在はブランドも返されて、新しい素材を求めて世界中を飛び回っているのですよね。 僕なんか、資本もないし、先はないし、イチからブランドを立ち上げるのは無理だからどこかに作らせて売らせてもらえばいいのです。 ここで幸田さんが茂登山さんのファッションについて語ります。 ベージュのジャケットに真っ赤な胸のチーフ、靴下も真っ赤で真っ白なコットンのパンツ。記憶力も考え方もファッションも実に若々しいけど、この若さの秘訣はどこにあるのでしょうか。 極力嫌なことは忘れること。済んだことにはできるだけこだわらない。そうすれば前に進める。普通の人は後悔に人生の2/3を使っているがそんなものはいらない。前に進むには全部忘れること。恩は忘れてはいけないけど、ほかは全部忘れること。 「舶来屋」と言う小説を書くために通ってお話を伺ったが、茂登山さんの話、フレーズは全て語録として残るような素晴らしいものだった、と幸田さん。 それは長く生きてきたから、美しいものを売っていたから、美しいものの分る文化人の方々が来てくれたのです。その人たちが本に書いていない、素晴らしいことを教えてくれたからです。 綺羅星のような方々がサンモトヤマの店を訪れ、語り、サロンのようになっていたんですよね。 それは昔の夢ですね。世の中は変わったけどね。ただ美しいものはいつの時代にもあるのです。それがだんだん、目に見えるものだけでなく心の中に出てくるような時代になってくるんじゃないかと思っているんです。 今東光が最後に僕にくれた額には「観るをやめる」=「止観」(この字でいいのかどうか?)と書いてくれたのです。目で観るのを止めて心で観ろということです。 その時代になってきているんじゃないですか。あまりに目に見えるものにこだわって見えないものを信じないようになっている。人間の感とか情とかを信じない時代。コンピュータとかデータだけ。美しいものは目で観るだけでなく心で観るということですよ。 いろいろな方と直接お会いになって交流されて、お互いに分かち合ってこられたのではないかと思いますが。 それが商いですよ。相手を飽きさせない。自分も飽きない。楽しむんですよ。買うほうも物を買うだけでなく人間と付き合うことを楽しむんです。心が通っていないと。だから俺が買えなくなったから客を連れてきてやったぞ、とそれが昔のお客様だったのです。今は変わった。 「商人(あきんど」という言葉が幸田さんと茂登山さんを最初につないだようですが、そろそろ時間、ということで「この続きはまたいつか」となってお仕舞いです。 「これからもお元気で」という幸田さんに「元気でいればね。景気がよくないほうがいい。よくなったら心配してね。悪いうちは大丈夫」と最後まで明るい茂登山さん。 僕も元気をもらった気がします。 それにしても過去は忘れる、それで初めて前に進める、この言葉を聞かせてやりたい国民がいますよね。 ではまた明日。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2010.08.21 16:02:31
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