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本当に一か月ぶり以上の更新です。
何となくバタバタしていましたが、またコツコツいいテーマの時、更新していきたいと思いますのでよろしくお願いします。 幸田さんの番組は土曜日の朝から夕方に異動しました。その最初のゲストは山本寛斎さん、ということで先週から楽しく聴きました。一応メモは取っていたのですが、今週のが特によかったので合わせてアップすることにしました。 今回のゲストは山本寛斎さん、日本を代表するデザイナーですが、本人いわく、デザイナイーは自分のほんの一部で、すでに服は売っていない、とか。これはあとで。 もともと人間の根源的な欲望である「異性にもてたい」という思いからファッションに凝っていったそうです。最初はテレビ局関係の仕事をしていたが、局ですれ違うスターたちとファッションで張り合い負けていなかった、といいます。 それほどファッションが好きならこの道で生きていこう、と決心、それから3年間独学で勉強し、デザインして作品を作り、装苑賞を受賞されたそうです。もともと洋裁は父親の会社を小さい時から手伝っていて技を持っていたのです。(これはウィキペディアで調べました) この間、非常に貧しい生活を続け、商売道具のミシンを質に入れてご飯を食べるような苦労、でも装苑賞会場では受賞するために応援の声を会場で上げることもいとわず、何でもやった、ということです。(装苑賞というのも初めて知りました) 人間、とにかく目立たなくてはダメ、ニューヨークの町なかで目立つ格好をしていれば、交差点で声を開けられ、そこから話が弾み知り合いにもなれるが、地味な格好であれば一日過ごして昼食を注文するときしか喋っていなかった、ということになる、と面白い例え。(実話だそうです) ただ、自分のエネルギッシュなことを認めながらも、反対に同じくらい落ち込むところもあるのでバランスは取れている、とのこと。いずれにしても寛斎さんのこのパワーは生まれもったモノ、だそうです。 幸田さんはこの埋没を嫌う姿勢、目立とうと頑張る姿を評価して、皆がこうならないといけない、と言いますが全員そうなると日本が日本でなくなるから難しいですね。コツコツ平穏人生を務める多くの庶民がいて初めて寛斎さんが羽ばたけるのではないかと思います。 寛斎さんはすでにデザイナーの枠を飛び出している、プロデューサーとして見てくれる人を驚かせ、楽しませ、幸せな気持ちにするショーを企画する、そこで着る服はデザインもするが、それはあくまでの自分の一部分、といいます。 とにかくエネルギッシュに喋って、とうとう途中に番組のコマーシャル時間をさしはさむことなしに30分が終わりました。来週も続くということで、これだけは聴きましょう。 先週に続いて山本寛斎さんです。 東北大震災に際して寛斎さんが行った「天灯」による鎮魂の催しについて語ります。 寛斎さんは大震災に直面して自分に何ができるか、地震、津波、放射能を考えて世界的な広がりを持つイベントで被災地を励ましたいと考えたそうです。そして津波で大きな被害を受けたインドネシア、放射能大事故を起こしたチェルノブイリ、両方に見舞われた福島県相馬の三か所で鎮魂の灯篭を空に昇らせる、被災者にも顔を上げて前向きな気持ちになってほしいという思いを伝える天灯を企画、実行されました。その記事は以下の通り。 ・ http://www.tokyo-np.co.jp/article/living/life/CK2011092402000066.html 寛斎さんはこのエピソードを語り終えた後、しばらく沈黙します。その間、幸田さんが必死で場をつなぎますが、先週、今週の番組の中で初めてのシーン。それまでは寛斎さんの言葉の間に幸田さんが何とか割り込もうと必死でしたから。寛斎さんはその間、相馬での出来事に心が没入していたそうです。 僕もこのイベントについてはぼんやりと新聞で見た記憶はありますが、それだけ。感性が低いと反省。 また後半は寛斎さんの著書「熱き心」をもとに日本人特に若者に送るメッセージなどをお二人で語ってくれました。 今の大人たちは若者に向かって日本はダメだ、人生はつらい、というのではなくてこんなに素晴らしいものだよ、楽しいことがあるんだよ、と伝えていかないとダメ、と強調します。人生には確かに浮き沈みがあるが、だから退屈しないんだよ、と。 また人生も後半を迎える人に対しては(もちろん若い人にも)、命には限りがあるのだから、相手が亡くなってしまってはその人は二度と捉まえることはできないのだから、思いは伝えないといけないんだよ、と声のボリュームを大にして語っています。(寛斎) それができないのは主に自分の感情から。意地になっているから。でも喧嘩をしたままでもその気持ちをきちんと伝えて、それでサヨナラなら仕方ない、それもあり。でもそうなるとしても感情のすべて、いいことも悪いことも伝えたほうがいい。 ここで幸田さんはいろいろな思いもあったのでしょう、声を詰まらせます。 最後に寛斎さんは、相馬を訪れた時、直前に立った小林幸子さんについてはその場の全員が知っていたのに、自分については司会がいろいろ紹介する必要があった、自分は若い人に対して顔、名前が売れていないと改めて反省した、と語ります。 何かを為すとき、名前、顔を知ってもらえているのとそうでないのとでは影響力が違う、ということでそれが今後の課題だ、と自戒するところが寛斎さんの面目躍如。今後ますますのパワーアップを願います。 番組の最後で幸田さんは今日(10月22日)がイチロー選手の38歳の誕生日であった、として話題に取り上げました。 残念ながら11年連続200本安打の記録は途切れましたが、本人は「それほど気にしていない。来年、また200本にチャレンジできるような状況を作りたい」と淡々と語っているそうです。 そして彼はきっとやってくれると思います。「小さいことを積み重ねることがとんでもないところに行く唯一つの道だと思う」と語ってくれる人ですから。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2011.10.23 12:09:35
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