2006/12/14(木)23:46
あのころみんなバカだった 2
ーソウル市民 昭和望郷編 を 観てー
□アリラン 1 □
アリラン アリラン アラリヨ
アリラン 峠を越えて行く
私を捨てて 去く人は
十里もいかずに 足が痛む
アリラン コーゲルル ノモカンダ
ゆりちゃんが女中としてわたくしの家にやってきたのはいつのころか記憶にはありません。ものごころついたときにはもう居た、といういいかたが不正確なようですが確かといえます。そのころはまだ国道を荷馬車が通っており粗末なコールタールの道の所々に馬糞が落ちていました。
ゆりちゃんは色白で薄っぺらい体にひっつめお団子に髪を結っていつも直立仁王立ちのひとでした。仁王立ちといっても偏平な体には迫力がなく、あるのはなんとはなしに悲しく切ない、そして誰もがからかいそうなおかしな空気でした。
ゆりちゃんのことをみんなは手のひらひとつで表現しました。人差し指を頭にもっていくと即座にジャンケンのパーをするのです。
「ゆりちゃんなあ、ちっとこれやけん」。
そういわれつづけたゆりちゃんはわたくしの家に何年いても下女中さんとして、便所掃除や汚物処理に玄関番ばかりさせられていました。が、ゆりちゃんはどんな仕事もいやがらず陰日向なく働いてくれました。わたくしも、母もそんなゆりちゃんが好きでした。
たしかにゆりちゃんの頭はゆるいところがあり「美登利ちゃん、ゴミ捨て場にあったとばってんきれいかけん食べんしゃい」としわくちゃのビニール入ったお菓子ををくれたり着物の胸元からペッチャンコになった饅頭をだして「とっといてやったとよ」と仁王立ちして手をまっすぐに突き刺すようにして差し出してくるのでした。
わたくしはゆりちゃんが好きでしたが、もらったものはひとりになるとゴミ箱の投げ捨てるのが常でした。
ゆりちゃんは庭の掃き掃除をする時や、廊下を拭きあげる時には必ずきれいなソプラノで歌を歌うのでした。その旋律は子供心にも物悲しいものでした。
わたくしが東京の大学に入り帰省するとそのたびにゆりちゃんは「よお、帰ってきた。ゆっくりしていきんしゃい」とどちらが家のものかわからないような偉そうな口ぶりで言うのでした。
時代の流れがかわり栄えていた私の生家もゆっくりと朽ちていくのですが、ひとりふたりと女中さんがいなくなる中、ゆりちゃんはその流れをかわすように家にいるのでした。そういえばこの頃は女中さんといわず仲居さんとよぶことのほうが多くなりました。
わたくしも母もゆりちゃんのお葬式はうちで出す・・・そういうつもりでした。
つづく