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カテゴリ:大好きな奈良
1月10日法隆寺→法輪寺→松尾寺→海龍王寺→夜の興福寺/1月11日夜明け前の興福寺→唐招提寺奥院(西方院)→唐招提寺→薬師寺→郡山洞泉寺1・2→東大寺
石仏ひな壇 まさに導かれて・・・です。 マムはこの2年ほどは快慶作のお仏像に 惹かれ巡り歩いています。 「西方院には快慶晩年の阿弥陀如来さんが 安置されている」という情報を得ていたのですが、 日本中に西方院というお寺があり、探しあぐねて いました。 ところがたまたま奈良51チャンネルさんに行き着き 灯台下暗し・・・唐招提寺の奥院が西方院さんだと わかったわけです。 唐招提寺さんに奥院があることも初耳でした。 この西方院は一般に公開しておらず、 快慶の阿弥陀さんも秘仏ということが判明したのですが、 「門を叩かずしてあきらめることなかれ」主義のマムは、 そっ!・・・図々しく電話にて拝観をお願いしたわけです。 とってもとっても、唐招提寺の事務方さんや西方院ご住職に 親切していただき、門はきしむこともなく、スルスルと マムを前にして開いたのでした。 奥院である西方院にはどう行けばよいのやら・・・。 と、唐招提寺南門の拝観券売り場で聞いてみました。 すると「この先の踏切を越えたら汚い土塀があるからそこです」 と教えてくださいました 笑。 風情ある土塀でっす! 1月11日午前9時40分 唐招提寺奥院 西方院 住所:奈良市五条 西方院は唐招提寺1300年の僧侶の歴史といって よいでしょう。緑の茂みのここかしこに、 僧侶のお墓、板石塔婆が立っています。 石仏ひな壇 1243年に慈禅房有巌によって開山されており 唐招提寺の中興の祖ともいわれる證玄和尚の墓 である有形文化財に指定された五輪塔があります。 證玄和尚 五輪塔 私の腰にもみたないおびただしい 板石塔婆です。長い長い歳月を経た それらは磨耗してかすかに模様のように みてとれるものもあります。 境内をひとり歩いていると人影が。 この西方院の石田智円ご住職でした。 「そろそろおいでになる頃だと思ってね」と 気さくに阿弥陀堂へ案内してくださいました。 ちいさなお堂でお会いする 快慶作の阿弥陀様はとても 威厳がおありで、まさに快慶晩年の 作としての風格を感じました。 ご住職は私のためにお経を唱えてくださり、 わたしは心地よいお経に目を半眼にしながら 阿弥陀様をあがめました。 ・・・ところ、瞬間じつは眠りこけてしまい ましたっ。 う~ん不謹慎。 でもね、うつらうつらしながらかすかに 浮かぶ阿弥陀さんの美しいこと。 ずいぶん前に、東大寺法華堂でも 寝てしまい、ぼ~と浮かぶお仏像さんたちの 神々しいこと(仏々しい?)。 うつらうつらしながら拝顔する お仏像さんは本当にこの世の ものではないと言え、 マム的には不謹慎でも最高の拝顔の 仕方なのでアリマス。 実はね、石田ご住職のお経が終わると、 マムは注意をうけました。 「えらい、恐ろしいもんがついた上着やね。 こんな殺生なものをつけてお寺さんにきたら いかんよ」と。 そうだっ。マム赤面。 マムの防寒コートの襟には毛皮がついていたのです。 マムはそこまで考えたことがありませんでした。 気をつけなくっちゃ。 でもね、石田ご住職はひょうひょうとおっしゃって、 おちゃめなんです。 マムはご住職にいいました。 「この西方院は殆どの人が知らないので もっと公になさったほうがいいんじゃないでしょうか」と。 するとご住職は頭をかきながら 「そんなことしたら人がいっぱい来て大変やろ」 ですって。 こうやって文字にするとわからないのですが、 なんともユーモアがあって楽しい会話だったのです。 「盗まれてたら大変やし」とも。 この阿弥陀さんは一度、盗難にあっているのだそうです。 短いひと時でしたが、とても贅沢なひとときでした。 ご住職は、この日風邪をおひきでとても具合悪そうだったのですが 素性さだかではないマムに本当に気持ちよく案内をしてくださったことに とても感謝しています。 「鑑真和上がなくなられたのちの僧侶が立派だったから 今の唐招提寺はあるんです」とお話くださったのですが、 親切にしていただき、本当にそうだなあと思うのでした。 奈良 唐招提寺奥の院西方院 では唐招提寺の中で最も好きな戒壇へ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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