あのころみんなバカだった 3
ーソウル市民 昭和望郷編 を 観てー 前回1 □アリラン 2 □ アリラン アリラン アラリヨ アリラン 峠を越えて行く 私を捨てて 去く人は 十里もいかずに 足が痛む アリラン コーゲルル ノモカンダ 女中のゆりちゃんのわたくしたちへの奉公ぶりを例えるならば・・・・・・。 竹槍を振りまわす・・・もし、わたくしや母が盗賊に襲われたならば、他の女中さんは蜘蛛の子を散らしたように逃げるでしょうが、ゆりちゃんは飛び道具ではなく竹槍をむんずと掴んで「若奥さーん、美登利ちゃん、はよ逃げなっせい」と賊めがけて走りだすでしょう。そしてみずから振りまわした竹槍にからまってこけてしまう。 平たい体で仁王立ちするゆりちゃんには竹槍がなんだか似合います。勿論、こけたゆりちゃんを見捨てたりはしません。若奥さんと呼ばれた母が火事場の馬鹿力をだすに決まっています。 ゆりちゃんはわたくしの家の女中部屋に住み込んでいたのですが、わたくしが大学に行く頃にはアパート住まいに変わっていました。ここには詳しく記しませんが、アパート住まいをはじめた直後、ゆりちゃんにはとても痛ましい不幸が訪れたのでした。 が、やはり頭がゆるいせいでしょうか、それとも心配かけまいとしたのでしょうか、噂をきいて問いただす母にゆりちゃんは目を瞬かせながらケロリとした一本調子で「うん、丸まって死んどらした」と答えたのでした。 わたくしの実家はときと共に少しづつ傾いていきました。それはまるで子供の頃よく遊んだ、砂で山をつくりその頂上にさした棒を倒す遊びに似ています。静かに確実に土台が削られていきました。女中さんや下働きさんはどこへも行くあてのないおばあさんたちばかりになりました。 ときのうつろいのなかわたくしにも子供ができました。ゆりちゃんはわたくしが子供だったときと同じように小さな娘に「サキちゃん、ゴミ捨て場からひろうてきたとばってん、こりゃあ食べられる。食べんしゃい」と、偉そうな口調でいいながら、拾ったというお菓子を目に刺さらんばかりにまっすぐにつきだすのでした。そうやって歩くたびにピーピー音のなるサンダルやドラえもんのお人形をくれるのでした。 そんなとき、やはり古くからいてくれている下働きさんなどは鼻に皺をよせて「バカタレやが」と露骨に言うのでした。が、わたくしはちっともかまいませんでした。まっ、お菓子などはわたくしが子供の時にしたようにゴミ箱に捨てるのですが、わたくしも成長し投げ捨てるようなことはしませんでした。 これは母からきいたことですが・・・優等な成績で師範学校をでた軍国少女、そして文学少女だった母らしい話です・・・。母がわたくしに言ったとおりにお伝えしましょう。 「ゆりちゃんはあんなふうやけれど、亡くなったご主人は海軍将校さんなのよ。すごいことなのよ。それにね、ゆりちゃんは中央公論ば読みよんしゃあとよ」。 わたくしは吹き出してしまいました。母は同じ公論でも格下の‘婦人公論’の読者でした。 さて、どう話をすすめてよいのやら。わたくしたち家族はゆりちゃんのお葬式はうちでだす。そう思っていたことは先の項でお伝えしたとおりです。さき細ってしまった家ですが、それくらいのことはまだやれる力はありました。 ゆりちゃんはわたくしたちには本当に善い人でした。まっすぐで裏表のない人でした。が、アパートの近隣の人々には奇異な存在に少しづつ膨らんでいったようです。 もし、アパートの前で子供が大声で遊んでいたらゆりちゃんは「うるさい」と一喝するでしょう。 子供達は一斉に逃げ出し、「ばか」、「クルクルパー」などの言葉を投げかけるでしょう。 きっとゆりちゃんはおいかける。 誰かが転ぶ。 膝小僧をすりむく。 親に言いつける。 暴力をふるったということになる。 そしてゆりちゃんは粗暴な隣人ということになっていくのです。レッテルが貼られてしまえば子供達の行動はなにをしても正義です。ガラス窓に小石を投げても、怒鳴るゆりちゃんの負けです。母の知らないところでゆりちゃんは危険人物と評され、またなっていってしまったのです。 「頭のおかしいのが一人ですんどう」、これほど近隣の人々に迷惑なことはありません。ゆりちゃんの所業は民生委員さんに訴えられてしまったのでした。ゆりちゃんには身寄りがないと思っていましたのに、あるとき、民生委員さんと共に他県にすんでいるというゆりちゃんの親戚が母の前にあらわれたのでした。 そのときの話は、ゆりちゃんを親戚がひきとり一緒に暮らすということでした。それも明日、アパートをひきはらうという急な話でしたがよくよくかんがえれば、ゆりちゃんのためには一番いいことです。 母はゆりちゃんより「盗まれたらいかんけん若奥さん預かっといて」といって託されていた何重にも新聞紙でくるまれたお札の束を彼等に渡したのでした。 翌日とはまた急な話です。明けて母は別れを惜しみにゆりちゃんのアパートへいきました。が、そこにゆりちゃんの姿はもうありませんでした。昨日、母に会った直後、彼等のしたことは、 いやがるゆりちゃんを無理矢理精神病院に入院させたのでした。その病院はわたくしたちの町の南に位置する大鷹山の麓にありました。車でいけば20分たらずのすぐそこにありました。 驚いた母はその病院にすぐさま行きました。が、いくら身分を名のっても身内の承諾印がなくては面会はさせてもらえないのでした。ゆりちゃんがその病院にいれられてから面会をしてくれた身内がいるはずはありません。他人の母がゆりちゃんを退院させることもできません。すぐそこに入れられているというのに。 連れていかれるとき「若奥さーん、若奥さーんたすけて」と大声をはりあげて叫び続けたという話以外は以来、ゆりちゃんの話を得るこはありませんでした。ゆりちゃんとのことはここで途絶えてしまいました。 わたくしはその頃、東京に住んでおり、母から何度も何度も悔やみの電話をもらいました。母は預かっていたお金さえ渡さなければあのように急にことは動かなかったといっては歯噛みします。肝心なときに助けてあげなかったと嗚咽してはわれを叱ります。 なにをどう嘆こうとゆりちゃんはわたしたちの思いの中だけの人になってしまいました。 ゆりちゃんはよくわたくしに言っていました。 「美登利ちゃん 泣いたらつまらん 泣いてもなあもはじまらん」と。 * 2006年12月11日、わたくしは友人にさそわれて‘ソウル 昭和望郷編’の芝居を眺めておりました。それはとても懐かしい、わがやの風景に酷似していました。とくにわたしの目は、朝鮮人女中の文子をとらえてはなしませんでした。 舞台からアリランの調べが流れてきました。 アリランにのって文子の手が優しく宙を舞います。 不思議な感情がわきだして、一挙手一投足見逃すまいと瞬きも惜しむわたくしの顔がほろびました。文子にゆりこさんが重なっていきます。 そういうことなんだ。ああ、そうなんだとわたくしはひとりごちました。ゆりちゃんはちゃあんとここにおったっちゃねえ。ここで生きとったちゃね。アリラン歌いながらよう外ば掃きよったねえ。もうあんたのことを思い出して悲しまんよ。泣かんよ、泣いてもなあもはじまらんもんね。 アリラン アリラン アラリヨ アリラン 峠を越えて行く 私を捨てて 去く人は 十里もいかずに 足が痛む アリラン コーゲルル ノモカンダ 終 勿論、平田オリザ作の昭和望郷編からヒントをえた創り話です。