2007/04/24(火)22:56
幸せを感じるためには不幸が必要だなんて悟らないほうが幸せだ
非常に腹の立つ話がある。
納得できない。絶対に納得はできない。
これを理不尽といわずして何と言おう。
スポーツジムに入会した。
目的は……。
肩こり改善。
健康維持。
体力向上。
そんなところだ。
もっと根源的な理由を言えば、楽になりたいのである。
肩こりが辛いのは嫌だし、病気で苦しむのも嫌だし、虚弱体質でビクビクして生きるのも嫌だ。
楽に生きたいのだ。辛いのは嫌だ。苦しいのは嫌だ。痛いのは嫌だ。だから運動して身体を鍛えることにした。
ところがどうだろう。楽になるためにやっているのに、辛い。苦しい。痛い。
筋肉というものは一度壊れて治ってはじめて、強くなるものらしい。ドラゴンボールで例えるとサイヤ人みたいなものである。つまり一度ボロボロにならないと楽にはなれないのだ。しかも、筋肉は放っておいても衰える。現状維持を目指すだけでも鍛えて、苦しい行為をしなくてはならないのだ。
人間の身体というものは楽できるようには出来ていないらしい。
非常に腹が立つ。
苦しみを避けるために、苦しいおもいをして身体を鍛えなくてはならない。なんだこの矛盾。
「楽をしたければ苦しめ」そんな風になっているらしい。理不尽だ。
そして、どんなに鍛えても年齢とともに衰えはやってくる。鍛える → 衰える → 鍛える → 衰えるの苦しみ無限ループを繰り返しても、結局は衰えて、苦しんで痛んで辛い死を迎えるのだ。
すべては無駄なのではないだろうか。
結局人は楽になることなんて出来ない。鍛えても鍛えなくても、どっちに行っても辛いなら同じことである。どうせ辛いなら動かないほうが楽だ。無駄なことはしないことこそが楽になれる唯一の道である。どうせ無駄なんだから止めちまえよ。
……みたいなことを筋トレ中とかに辛くなると考えてどうにかして逃げ出そうとする自分がいるのですが、綺麗な身体の女の人が薄着や水着で常にうろついているスポーツジムという世界はとてもいい。すべて無駄でも別にいい。
スポーツジムに入会しました。
目的は……。