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フランシス・フクヤマ「政治的秩序の起源」

デンマークはどうやってデンマーク(注)になったのか。ソマリア、イラク、アフガニスタンなどの国々にデンマーク式の腐敗のない民主主義のシステムが根付かないのはどうしてなのか。フランシス・フクヤマの新作「The Origins of Political Order 政治的秩序の起源」(2011年)はこの問いに答えようとしている。

世界の現在は、西欧文明が勝ち取った覇権を更に拡張・維持するために、グローバリゼーションという新しいブランド名をつけて売りさばこうともがいている状態にある。なぜ官僚制を駆使した中国の帝国がそれを成し遂げ得なかったのか、なぜ、一時は科学力でも西欧を凌駕していた同じ一神教のイスラム世界がそれを果たさなかったのか。そして、共産主義が崩壊した後の「歴史の終わった」世界になぜ民主主義がもっと急速に広まらないのか。こういった疑問に果敢に挑戦しているのが本書である。ただし、フクヤマの本は<西欧文化の勝利の秘密>風のものではない。彼には、そういった優越感あるいは偏見はない。

10数年程前、ジャレド・ダイアモンドの「銃、病原菌、鉄」(Guns, Germs, and Steel 1997年)というベストセラーが、斬新な視点から世界の発展の多様性を、そして西欧の成功を説明しようとした。地理的な要因が作物の繁殖の違いになり、農耕文化の発生と繁栄に繋がり、定住生活が官僚機構と軍隊そして技術発展を起こし、結果的に現在の文明の分布をもたらした、というのが大まかな内容だった。(「銃、病原菌、鉄」についての昔のブログ)

ダイアモンドのアプローチには彼の専門(生物学、地理学)が色濃く影を落としている。フクヤマはサミュエル・ハンチントンに師事した政治、国際政治学者だ。彼の新作はハンチントンの「文明の衝突」の系列に入るものと思われる。(ハンチントンの作品は読んでないので想像に過ぎない。)

現代の民主主義国家には三本の制度的な柱が必要であると、フクヤマは考える。三本柱とは、国家(state)、法秩序(rule of law)、そして英和辞典では説明義務と訳されている概念(原語ではaccountability)。

国家とは、ほぼマックス・ウェーバーの定義通り、ハイアラーキー(位階制、階層性)に基づいた組織で、国民の了解の下、定められた領域の範囲で軍事力を専有化し駆使する。

二つ目の柱、フクヤマの言う法秩序は、国会が立法する一般的な法律ではなく、時の為政者を規制しうる、為政者よりも高い位置に存在するものである。現代社会では憲法がそれにあたる。

三つ目、説明義務あるいは責任(accountability)はやや抽象的だが、国家はその行動において国民の利益を代表する、その意志を代弁するものでなければならないというようなことだ。説明責任を保証する制度とは、現在の民主国家では選挙が挙げられる。他には、国家組織の官僚たちが、国民のために尽くすのだという義務感を心に抱いて働いていれば(恐らく明治の官僚たちはそうだったろう)、その義務感が一応 accountability を保証しているだろう。官僚たちが、自分達の既得権益にとらわれそれをできるだけ高めることばかりを考えていては、accountability は失われ国家は堕落する。義務感というような主観的なものは外からは見えないし官僚たちにこれを楽天的に期待することは無理だろう。そうすると、それを保証するような制度を作らなければならない、あるいは一度根元から崩すしかない。

フクヤマによれば、この三つの制度的な柱をどうやってバランスさせるかに民主主義国家の成否がかかっている。三つの柱が構築され均衡化されていく過程が人類の歴史だとも言える。この過程は、あるときは遺伝子の突然変異のように生まれ、あるときは隣国の制度を真似ることで移植される。それが失敗すれば国家は滅亡したり占領されたりする。ある意味、この過程は政治的秩序の進化の歴史と考えていいだろう。自然淘汰によって生き残ってきたものが現存する国家群である(中には瀕死の国家もある)。生き残っている国家が正しいとか悪いとか議論することは無意味で、進化は善悪の彼岸にある。

さて、この三要因は<自然的な人間性>とはうまく噛み合わない。生物学者や生態学者たちの研究からフクヤマが抽出した<自然的な人間性>とは、まず遺伝子的な近親あるいは家族をより大事にするという点(彼はこれを patrimonialism と呼んでいる、世襲偏重性とでも訳そうか)、そしてもうひとつは、相互的な利他性(reciprocal altruism)、キミが何かしてくれたらボクは何かをしてあげよう、というギブ・アンド・テイクを大事にすることだ。

その昔、人間はホッブスの描いたような「万人にたいする万人の戦い」という利己主義に支配された状態にあったわけではなく、家族を重んじる義理と人情の世界にいた、というのがフクヤマの思い描く原生的な状況だ。そこから、国家への進化がどうして始まったか?これはルソーの言うような社会契約ではなく、戦に勝つためにどうしても必要だったから、原生状態から国家組織へと進化していった、とフクヤマは考える。(続く)

(注) ここでデンマークというのは、世界銀行研究者のPritchettとWoolcockの書いた「Getting to Denmark」という論文に拠っている。腐敗のない安定した民主主義の代名詞として使われている。(2013.4.29)


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