別離にまつわるミステリー ♪これでもう終わりなのあなたとの愛の暮らし、明日からはワイングラスも灰皿、何もかも、 あなたの匂いのするものはみんな 捨てましょう、忘れるために~、 と古典的な未練をいっぱいに詰めた「別離(わかれ)」という曲について、四年ほど前に触れたことがある(「蘇った長谷川きよし」)。長谷川きよしという盲目のギタリスト・歌手が1970年発売の「透明なひとときを」の中に収めた曲で、原曲はイタリア語らしいとその時に書いた。 また別の時、ペドロ・アルモドヴァールの1991年の作品、「ハイヒール(原題 Tacones Lejanos)」で使われた、しつこく纏わりつくような歌い方をする女性歌手のことを知りたくて、調べた結果たどり着いたのがルス・カサル(Luz Casal)で、映画で使われていたのは、彼女の「Piensa en mi」と「Un año de amor」の二曲だった。この発見が約二ヶ月前のこと。(ところで、映画「ハイヒール」の音楽担当は坂本龍一である。) そして二、三日前、ようやく本格的な冬の寒さにかじかんでいた脳の配線が復活したのだろうか、長谷川きよしの「別離」とルス・カサルの「Un año de amor」は同一の曲だということが天の啓示のように僕の意識に訪れた。情けない、言葉が違うとメロディの同一性も容易に認識できないとは、まるで髪型が違うと同じ女性だとわからない男のようだ、自らの審美感の不能さを嘆くべきか、あるいは男は皆女性にたいする置換性の自由度が最大になるように遺伝子が構築されているから仕方がないのかは、今後の進化人類学の見識に任せるしかない。 この「別離」という曲、日本で歌ったのは別に長谷川きよしが最初ではなく、越路吹雪や岸洋子などのシャンソン、カンツオーネ歌手が1960年代に歌っていたこともわかった。おそらくこのジャンルの歌手達には定番だったのだろう。原曲はイタリア語で「Un anno d'amore」、1965年にイタリア人のミーナ(Mina)が歌っている。ミーナというと「砂に消えた涙」を日本語で歌って大ヒットしたので、覚えてる団塊世代もいるだろう。 と思っていたらまだ終止符ではなかった、というとまるでホラー映画でやっと息の根を止めたと思った怪物が何度も蘇生する、あるいは矢吹ジョーが打たれても打たれても立ち上がってくる、そんな感じだが、ミーナが歌っていたのはカバーで、原曲はなんと男性歌手ニノ・フェレール(Nino Ferrer)によるものだった。イタリア人の父とフランス人の母の間に生まれたニノはジャズやゴスペル音楽の影響を受けて、1963年、29歳のときに4曲入りのレコードを出した、そのなかの一曲が、C'est irréparable(作詞・本人、作曲・VERLOR GABY)、これをUn anno d'amoreとしてカバーしたのがミーナだった。皮肉にもフランスで発売されたニノのレコードは大して売れず、ミーナのカバーはイタリアで一位になった。 これでようやくホシ(原曲)は挙げた、しかし動機(歌の内容)はどうなのだ。フランス、イタリア、スペイン、日本と点々とする間に歌詞は翻訳による変化以上の変転を遂げているようなのだ。 そこで、ここ数ヶ月ほどスペイン語と日本語の交換授業をしている相手で、スペイン語が母国語であるアントニオ君(仮名)に、ルス・カサル版を聞き取ってもらった。ざっと流すと次のようになる。 あたしたちの愛も終わりね、あんた、きっと後悔するわよ、終わらせちゃって 今あたしのもとを去ったら、あんたにもすぐにわかるわ、 あたしのいない日々がどんなに淋しいかって 夜が来たら、あたしたちの楽しい時を思い出すわよ、あたしのキスの味もね、 ひとりの時にあんたにもやっとわかるわ、あたしたちの愛の日々の意味がね、 失くしたものがどんなに大きいか、これからどれだけ苦しむか、わかってんの 私達の愛の日々を捨てるなんてきっと後悔するわよ、という極端に押し付けがましい恨み節である。アントニオ君が、こりゃ最悪だ、と忌むように言い捨てたが、男には嫌われるタイプの別れ方だろう。 一方の、長谷川きよし・越路吹雪の日本語版は、漣健児(男性)が訳詞をつけたものだが、「忘れるために捨てましょう」と未練たらしいけれども、男の聞き手には許容できるし感情移入もある程度できる、まあ日本ではよくあるバージョンである。 僕の記憶では、日本の女性歌手がルス・カサル版ような恨み辛みを表現した曲はあまりないのではないか。北原ミレイの「懺悔の値打ちのない」のような刑務所に入るようなものもあるし、梶芽衣子の「怨み節」もあるが、これらはあまりに非人道的な仕打ちを受けた女性からの究極の抗議で、日常的な別れのシーンではない。ちょっと変わったところで、山下達郎の「おやすみロージー」で女性のほうから「忘れさせないわ」という使役の表現があるが、これはきっと達郎がちょっと変わったところを狙って挿入した香辛料であろう。 さてそうすると、ルス・カサルの「押し付けがましい未練」と長谷川きよしの「めめしいメランコリー」の違いは西洋と日本の違いなのだろうか、それともフランス、イタリア、スペインへの旅の途中で起きた、西欧内での変身なのだろうか。 結論を言っちゃうと、ニノ・フェレールのフランス語版もミーナのイタリア語版も、長谷川きよしの日本語版と大差なく、終わってしまった一年の愛の暮らしを思い出して泣いてる話しだ。 ということは、ルス・カサルの歌だけが抱えている秘密があるのだ。それを解く鍵はアルモドヴァールにあるに違いない。 IMDB.COMという映画紹介のサイトがあり、そこでペドロ・アルモドヴァール(Pedro Almodovar)の映画「ハイヒール」の出演者とスタッフの詳細を調べると、挿入歌「Un año de amor」の作詞はアルモドヴァールによる脚色とある、原曲の作詞者、ニノ・フェレールの名前はどこにもない。詞の内容が大きく変わった秘密がここにあったのだ。もともとは日本語の訳詞で表現されているごく普通の失くしたものへの固執と悔恨だったものを、アルモドヴァールが映画の筋と雰囲気に合うように、執念深い恨みつらみに変えたのだろう。愛憎劇を繰り広げる母と娘の関係を歌で表現しようとして、アルモドヴァールという強烈な個性は単なるメロドラマ風の歌詞では飽き足らず蛇のように絡みつく絆を選んだのだろう、と想像する。 アルモドヴァールは映画の音楽を選ぶのに相当力を入れる監督だ。「僕にとって映画のなかで使う歌を選ぶのは脚本を書くのと同じなんだな。いやそれ以上かもしれない、映画の撮影に取り掛かるずっと前の時点で曲を徹底的に探すんだからね、そしてスペイン語のバージョンにしたいんだ」、彼自身がインタビューの中で語っている。 やっと到達した僕の推理には穴がある。イタリア語もフランス語もあまりわからないので、読み落しがあるかもしれない。最近の特捜の捜査ではないが、先入観念でストーリーを組み立てそれに合わせて供述書を積み上げていくやり方は危険で、歴史の読み間違いなどはこうして起こるのだろうと想像する。あとは、仏・伊語に堪能な読者の指摘を待つしかない。 最後に、佳品「別離」に関わった歌手達のその後に起こったいくつかのドラマを紹介したい。 長谷川きよしは、デビューから10年ほどして暗礁に乗り上げ、仕事でも私生活でもパートナーだった女性と別れたあと、一時は音楽からはなれ北海道で鍼灸師をして生活していたこともあったという。その後、北国で別の女性と出会い、淺川マキの援助もあり音楽に戻ったのが1983年ごろだそうだ。(ここで新しいアルバムを視聴できるが、40年前より声に厚みがあるように思う、いい出来だと思う。彼と僕は同い年、彼が音楽を生きてるのが嬉しい。 ニノ・フェレールが「別離」の原曲の作詞家で歌手であったことはほとんど知られていないだろう。ポピュラー音楽家としての彼は、その後も活動を続けフランスでいくつかのヒット曲も出した。気分屋で予想外のことをしでかすフェレールは、63歳のとき、ということは今の長谷川きよしとほぼ同じ年齢で、トウモロコシ畑の真ん中で心臓を銃で打ち抜いて自殺した(英語版ウィキペディアによる)。 ルス・カサルはロック歌手だったが、アルモドヴァールの映画で歌った二曲が大ヒットして一段上の名声を手にした。現在までに500万枚以上のアルバム売上があるそうだから、スペインやフランスではかなりビッグなのだろう。最近のインタビューをユーチューブで見たときに、話し方に元気がなく容姿にも疲れが見えたのでおかしいなと思って(残念ながらインタビューの内容を理解できるほどのスペイン語の実力がないので)英語版ウィキペディアを読むと、2007年に乳がんの診断を受け、2010年にはもう一つの乳房にもがんが発見された。 ミーナは元気なようだ。2007年に出したアルバム「Todavía」のなかでスペイン語バージョンの「別離」をアルモドヴァールの書いた詞で歌っている。ディエゴ・エル・シガラ(Diego el Cigala)とのデュエットなのだが、アレンジがフラメンコ調で、スローテンポの「別離」を聴きすぎた耳には心地よく響く。67歳のミーナが念仏を唱えるように不気味に歌う、「y de noche, y de noche」(そして夜に、そして夜に)という部分は怪談「牡丹灯篭」のようだ。嫌いではない。 それでは恒例のcozy mixで聴いてください、「別離」。僕の特に好きな部分は、長谷川きよしのアドリブ、ディエゴのこぶし、ミーナの念仏、そしてルス・カサルのRの巻き舌発音と粘着性。 イントロ、長谷川きよしのギター(1970年頃) ニノ・フェレールのフランス語(おそらく1963年頃) 長谷川きよしと彼のアドリブ(1970年頃) ミーナとディエゴのスペイン語(2007年頃) ミーナのイタリア語(1965年頃) ルス・カサルのスペイン語(1991年頃) 最後はミーナとディエゴのバージョンのエンディング |