陰謀史観は面白いけど・・・
コンスピラシー・セオリー(日本語では陰謀論かな)に、僕達は惹かれる。ごく普通の殺人事件や事故が政府の一機関や大企業の秘密保守や利益追求の為の組織的な陰謀だった、という筋書きは、僕達のランダムで非合理な日常を、「ああ、やっぱり権力者のやったことだったのか」という風に合理化するのにいい方法だ。不可解だった事件が納得できるものになるので、ある意味でこの世界の居心地が少しよくなる。テレビ・シリーズ「Xファイル」は最近の陰謀論の中でも特にヒットしたものだ。映画では題名がそのものずばり「陰謀のセオリー」というのがあったが、出来としてはいまいちだった。僕の好きなものでは、若いロバート・レッドフォードの「コンドル(Three Days of Condor)」、ポランスキーとニコルソンの「チャイナタウン」、トニー・スコットの「エネミー・オブ・アメリカ(Enemy of the State)」などが思い浮かぶ。フィクションを離れて現実の陰謀論というと、やはりケネディ兄弟の暗殺や太平洋戦争勃発に関する陰謀が有名なところか。僕が一時凝ったものでは、エイズ・ウイルスが実は存在しない、というピーター・ドゥースバーグという学者の説があった。アメリカの国立疾病予防研究所のような大組織が、その大組織のプライドや政治力を守るために、いつの間にかエイズ・ウイルス説に嵌ってしまった、という一種の陰謀論だった。陰謀論は必ずしも間違っているとは限らない。例えば、太平洋戦争開始のときのルーズベルトの行動が、日本をけしかけるものだった、というのは結論は出ていないもののかなり実証されている。しかし、陰謀論は多くの場合眉唾物であり、鵜呑みにしてはいけない。最近のように、ウエッブでいろいろな情報が飛び交う時代には、特に情報の信憑性を確かめながら消化する必要がある。情報源が誰か、どんな組織かを確認することは重要だ。例えば、「アンネの日記」が作り物であった、という陰謀説がある。これは、ユダヤ人虐殺のホロコーストが実は存在しなかった、という一連のユダヤ陰謀説のひとつだ。ご存知のように、アンネ・フランクは、第二次大戦中にフランクフルトからアムステルダムに逃れて来たユダヤ人家族の少女で、1942年13歳の時から日記をつけはじめ、警察に逮捕された1944年8月4日の3日前まで書き続けた。アンネは1945年3月にチフスで死んだ。戦後、生き残ったアンネの父、オットーはアムステルダムに戻り日記を回収し、1947年に初版を出版した。1952年には英語に翻訳され、その後も世界60ヶ国語以上に翻訳され、大ベストセラーになった。この日記が捏造である、という説はかなり早い時期から流布されてきたが、ここでは「日記の一部がボールペンで書かれてあるが、1942-1944年にはボールペンは一般には使用されていないはずで、これこそ日記が本人が書いたものでないことの証拠だ」という捏造説に絞ることにする。ボールペン説が浮上したのは1978年だった。二人のネオナチ主義者の日記捏造説に関わる裁判で(ハンブルグの検察とオットー・フランクが彼らを訴えた)、ドイツ刑事裁判所の附属研究所(Bundeskriminalamt、BKA)が日記の紙やインクについての真贋鑑定を依頼された。BKAは紙とインクがその時代のものであると判定した。しかし、BKAの報告書には、(綴じられたページではない)幾辺かのページに黒、緑、青のボールペンの筆記があり、これは後代のものだ、という記述もあり、これが捏造説の根拠になっている。事態を混乱させたのは、このボールペンの記述がどの部分で、何が書かれてあるのか、という点をBKAが詳述しなかったことだ。1980年、追い討ちをかけるように、Der Spiegel誌がこの点を記事にして日記の信憑性に疑いをかけた。オットー・フランクの死後、日記はオランダ政府に渡され、オランダ国立犯罪科学研究所(Gerechtelijk Laboratorium)は1986年に再び鑑定を行った。BKAも招かれたが、BKAはボールペンの箇所を指摘することが出来なかった。犯罪科学研究所の結論はこうだ。ボールペンで書かれた箇所は2枚の紙片に発見された。日記の記述に関連する限り、ボールペンで書かれた部分は全く影響しない。更に、ボールペンで書かれた部分の字体と日記の字体は明らかに異なっている。ボールペンで書かれた紙片は日記を書いた人間の手によるものではない。つまり、編集者か父のオットーか誰かが後から書いて差入れたものだ。ボールペン部分の存在は、日記の真贋の判定には全く関係ないといえるだろう。反ユダヤ主義者やネオナチ主義者などが、飽くことなく「ホロコーストはなかった」説を流布する。彼らは「歴史修正主義者」と自称するが(例えば、カリフォルニアに本拠を置くInstitutute of Historical Review)、彼らの著作や論文は学問的には不備だらけで牽強付会が多い。そして、明らかに思想的に偏向している。彼らの言説は、一流の学者達の地道な努力ですべて論破されている。こういった人達の出版や発言を制限すべきか、あるいは制限せず、結果デマが流布して大衆が扇動される危険を冒すべきか、民主主義の難問だ。参考http://en.wikipedia.org/wiki/Anne_Frankhttp://mltr.e-city.tv/faq08b.htmlhttp://www.annefrank.org/content.asp?PID=426&LID=2松浦寛「ユダヤ陰謀説の正体」(ちくま新書 1999年)