アガシのいた日々
これが引退試合になるに違いないと僕が予想していた、キプロスの英雄マルコス・バグダティスとの試合にアガシは勝ってしまった。次に対戦するのはランキング遥か100位にも届かないドイツのベンジャミン・ベッカーだが、失うもののない不可知のファクターでぶつかってくる選手に負けるよりも、トップテンのバグとの死闘で負けて花道を去るほうがふさわしいと、僕はイメージしていたのだが、筋書き通りには行かないもので、ドラマはまだまだ続く。この先の結果はどうあれ、ニューヨーク時間9月1日午前零時45分過ぎスタンドを埋め尽くした2万3千人の観客に潤んだ瞳で笑顔を振り撒くアガシを胸に刻んでおこう。昨年の、アガシ対ブレークの5セットマッチも感動物だったが、バグとの5セットも、ああこれでアガシの楽勝かと思えば追いつかれ、ああこれで万事休すかと覚悟すれば思いも寄らぬ痙攣に助けられ、ああこれでバグも力尽きたかと思えば信じられない精神力で痙攣を克服し・・・これほどどんでん返しの多いストーリーは、映画にしたら作りすぎだよと批難されるくらいの、現実だからこそ納得して感動することの出来る完璧なドラマだった。アガシ2-1セットのリードで迎えた第4セット、立て続けにバグのサーブをブレークし4-0とほぼ勝利を手にしたかと思えたのだが、アガシ自身の言によれば、ここで硬くなってしまったのだそうだ。体力の問題ではなく精神の問題だった。アガシ自身も内心どこかでプロ生活がここで終わるのではないかと感じていたのだろう、それが思いもよらぬ楽勝の気配に、集中力が緩んでしまったと思われる。そこまでほとんどネットを綺麗にクリアしていたボールが続けざまにひっかかり始めた。それまで左右のラインを舐めるように決まっていたボールが大きく外れ始めた。ほんの少しの筋肉の弛緩のズレがボールの位置を微妙に狂わせる、ゴルフと並んでテニスはほんとに心理的なスポーツだ。第5セットは、解説のマッケンローも言っていたように、Unreal だった。絵葉書のような景色という表現があるが、まるで現実とは思えないほど劇的な現実。第5セット第1ゲーム、アガシはいきなりサーブを破られた。セット数2-0でリードしていたのを追いつかれ、さらにサーブを破られたアガシは、虚ろな眼差しでラケットのガットを指先で揃えていた、まるで敗戦後のスピーチを考え始めたかのようだった。しかし、イスに戻ったバグはトレーナーの治療を要求したのだ。太ももの筋肉が引き攣り始めたのだろう。思いもよらぬ体力崩壊の予兆。ローラーコースターのように上がったり落ちたりまた昇り始めるアガシの心の中。太股筋肉治療後の第2ゲームはアガシがバグのサーブを破り返し、第5セットタイブレーカーの可能性が出てきた。確か、4大大会のうちで全米だけが第5セットでのタイブレーカーを実施している。他の大会では、4セット目まではタイブレーカーで決着をつけるものの、5セット目は2ゲームの差がつくまで永遠に戦い続けなければならない。4-4で迎えた第5セット第9ゲーム、バグが両太股の痙攣でコートに倒れた。11年前、松岡修造が同じ全米オープンで痙攣で動けなくなったため失格になったことがある。痙攣は試合中の負傷とは見做されない為、3分間の治療時間を取ることができない。20秒以内にプレーに戻らなければ警告、更に20秒で1ポイントのペナルティー、最後の20秒で失格になる。松岡の痙攣による失格をきっかけに人命尊重の立場から規則が変更され、トレーナーが痙攣かあるいは心臓麻痺などの命に関わる事態なのかを確認することになっている。通称、修造ルールと呼ばれているそうだ。バグのところにもトレーナーが駆け寄り痙攣であることが確認された。このゲームが終わりチェンジオーバーになるまで治療は受けられない。20秒が過ぎバグは警告を受けた。バグは歩き回り跳びはねストレッチをし何とか続けようとする。試合が再開され、アガシのセカンドサーブを何とバグはリターンエースした。プレーとプレーの間では顔を顰めびっこをひくバグだが、一旦始まれば強烈な球を打ち走り回る。強靭な精神力が可能にしているのだろう。結局このゲームは22ポイントの応酬の末にアガシがサーブをキープした。バグはやっと治療を受けることが出来た。このあとも二人の気力の闘いは続けられたが、最終的にはアガシが7-5で試合を制し、ようやくドラマは幕を閉じた。「どうしても勝ちたかった。アンドレ・アガシとアッシュ・スタジアムでの試合、もう死ぬ覚悟だった」とまで言うキプロスのサムライ。バグダティスという選手が観客を惹きつけるカリスマを持っていることは間違いない。負傷さえなければ今後のテニス界を背負って立つ選手の一人だろう。「ああいう若者がいるから、僕も引退しやすいというもんだよ。あいつらにだったらテニス界の今後を託すことが出来る」とアガシもバグを讃える。心と体の限界までプレーし合った二人がお互いの価値を認め合い抱き合う試合後のひととき、興奮したアドレナリンが静かに心の底に沈殿していくような平穏感、これに優る人生のカタルシスは数少ない。さて、明日はテニスでもするか。