ゴスペル・ミュージック
ミーシャの「The Glory Day」は、40年以上にわたる僕の音楽鑑賞人生の中でも多分ベスト50くらいには入るだろう秀作だと思うが、山下達郎のクリスマス・イヴのような単なるクリスマス・ソングで恋愛を語るというのではなく、世界に存在する神の愛という宗教的テーマを遠慮がちに描いていることは、<白い息を吐きながら、帰り道一人急いだ、冷たい風はいつかのぬくもりをふと思い出させる、触れるとまるで壊れるほど、小さな愛をどうか守って、彼が生まれた時を奇跡、そう呼べるなら>という歌詞を二度目か三度目に聴いた時に、「ああ、イエスのことを歌ってんのか」と気付いた。ミーシャは幼少時代に教会でゴスペルに触れ、黒人のボイス・トレーナーに師事したそうだから、そのルーツにはキリスト教への信仰があるのかもしれなくて、The Glory Dayはだから一種のゴスペル・ソングと言えるのだろう。その昔、ロッド・スチュアートのアメージング・グレース(Amazing Grace)が好きで歌詞の意味もわからずに弾き語っていたことがあるが、この歌はジョン・ニュートンというイギリス人が18世紀に歌詞をつけた讃美歌(hymn)のクラシックで後にアメリカのフォークソングとなりゴスペルにも取り入れれらたとは、長い間知らなかった。<Amazing grace, how sweet the sound, that saved a wretch like me, I once was lost, but now I'm found, was blind, but now I see>という歌詞を少しでも解釈しようとすればわかったのだろうけど、ビートルズの歌詞以外はほとんど耳に映るままに歌っていたので、この歌が神の恩寵の有難さを讃えていたとは、まるで知らずに感動していたのだから無知というのは恐ろしいものだ。逆に言うと、ロックのアーティストが讃美歌やゴスペルを自分のアルバムに入れるほどに、西欧社会ではキリスト教が浸透している、ということなのだろうが。ゴスペルとはもともと<よい知らせ、グッド・ニュース>のことで、<福音書>という硬い和訳の漢字にもその意味が若干読み取れるが、それがゴスペル・ミュージックという音楽用語に使われるようになっても、その意味は同じなわけで、神の、というのはもちろんイエスのことだが、愛の深さ、広さ、強さで悩み苦しむ人間が救われる、よい知らせなのだ。ゴスペルがアメリカ黒人の音楽であるかのように思っている人も多いかもしれない、例えば、研究社のリーダーズ英和辞典には「gospel song 黒人霊歌・フォークソング・ジャズの混じった黒人の宗教歌」とあって、問答無用に黒人だけのものという解釈のようだ。しかし、ゴスペルには黒人中心のブラック・ゴスペルとは別に、サザン・ゴスペルというカテゴリーもあり、これは白人を中心としたカントリー色の濃いゴスペルだ。歴史的には、ポピュラー音楽界の注目を最初に集めたのはブラック・ゴスペルで、その結果、ゴスペル=黒人の音楽、という公式が定着してしまったのだろう。カテゴリーとかジャンルというのは流動的なものであまり鋳型にはめるような分類はそもそもおかしいのだが、ゴスペルという言葉の元の意味からすれば、ゴスペル・ミュージックを黒人にだけ限定してしまうのは、やはり片手落ちという気がするので、ブラック・ゴスペルと呼んだほうがいいと思う。こういった不確定性を避けるかのように、最近の白人(中心)のキリスト教系の音楽はクリスチャン・ミュージックというレッテルが貼られている。まあ、僕のような無宗教家にとっては、ブラックもサザンもクリスチャンもどれもキリスト教の音楽であることに変わりはないので、その歌詞に含まれた神への賛美やら従属やら待望やらを理解してしまった今となっては、音楽性を純粋には楽しむことのできない胡散臭いものになってしまった、のは残念なことだ。残念といえば、数ヶ月前からギターのレッスンを始め30代後半の白人のギター奏者に指導してもらっているが、彼がゴスペル・ミュージックを演奏していることを最近知り、だからと言って彼のもとを去ろうとかは思わないものの、やはり彼との関係の間に薄皮が一枚挿入されたような微妙な隔たりを感じ始めてしまった。同じ宗教音楽とは言っても、ブラック・ゴスペルの場合は、それ無しには精神的に生き続ける事が困難だった差別の時代があり、特に黒人の女性達は、社会的には白人に差別され、家庭では男性中心の黒人文化の中で差別される、という二重の苦難を味わっていたわけで、ゴスペル・ミュージックを歌い聴きそのリズムに身体を合わせ、神との一体感の陶酔の中で現実の絶望を超えるしかなかった彼女たちの逆境のことを思うと、そこにある切迫した魂の叫びに心を動かされる。それは、思い入れなのだろうか?譬えていえば作家の生涯を知ることでその小説の読み方が変わってしまうように、同じ夕陽を見ても失恋した時と夕飯をたらふく食ったときとでは印象が違うように、黒人達の想像を絶する被差別の歴史を知ることでブラック・ゴスペルを聴く心の位相が変わってしまうのだろうか?下にNever Grow Old という古いゴスペルの二つのバージョンを置いておくので(30秒しかないが)、聴き比べて判断してもらいたい、一つは白人のバージョン、もう一つはアレサ・フランクリン。バージョン Aバージョン B