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一語楽天・美は乱調の蟻

2004.09.26
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数年前に、詩人・中原中也の描いた長門峡というのを見たくて、山口県長門峡を訪ねてみた。JR山口線で、新山口から津和野に行く途中の長門峡駅で降りる。SL山口という蒸気機関車に乗ったが、外から見れば情緒のあるものだろうが、中にいるとどうということはない。行ったのは春3月だったが、長門峡駅は無人駅だった。

中原中也の人生が、1990年に中島丈博の脚本でドラマ化されていたと、最近ウエッブで見つけた。ぜひいつか観てみたいものだ。今の若い世代の心にどの程度届いたのかも知りたい。中也の詩は今でも愛されているのだろうか?

そのフジテレビのドラマでも描かれていたように、中原中也と評論家・小林秀雄は長谷川泰子という女性を奪い合う三角関係を演じた。大正14年(1925年)のことだった。

中原中也18歳、長谷川泰子21歳、そして今でも高校の教科書の定番らしい小林秀雄は23歳だった。

16歳の中也と19歳の泰子は大正12年(1923年)に京都で知り合った。泰子は女優の卵でマキノ・プロダクションに所属していた。中也が立命館(旧制)中学在学中の大正13年(1924年)に、二人は同棲を始めた。翌年3月に上京して戸塚源兵衛町、中野と居を移し、小林秀雄と知り合ったあと、同年五月小林のうちの近く、高円寺に移る。小林は母と一緒に杉並町馬橋に住んでいた。

今でこそ、この年齢での同棲は珍しくもないだろうが、当時は稀だったに違いない。僕の若い頃でも、16歳というのは早い。

小林秀雄は、中也と交友するうちに、中也と同棲していた泰子に惹かれ、大正14年(1925年)10月に大島への駆け落ちを強要する。この時は、泰子は自重したが、その後小林が盲腸炎で入院し、見舞いに行った泰子は再び口説かれ、11月遂に中也の許を去り、小林と杉並町天沼で同棲を始めた。中也と小林が、詩人・富永太郎の紹介で知り合ってから、わずか半年ほどのことだった。富永太郎は結核を患っていて、泰子が中也のもとを去るのと同じ頃、24歳でこの世を去った。

長谷川泰子の手記「ゆきてかへらぬ」によれば、「あれは七月のことでした、中原は郷里に帰って、いないときです。小林が一人でたずねて来ました。おそらく、小林にしてみれば、はじめは女がいるから、ちょっと行ってみょう、そんな気持だったと思うんです。きっかけというのはこういうものかもしれませんが、二人きりで話していると、何か妙な気分になりました。あのときは別にどうということもなかったけど、私はそれからときどき、中原に内緒で小林と会うようになったんです。・・・私は小林の退院を待って、中原のところを去るつもりでした。それまでは中原に悪かったけど黙っておりました。いよいよになって、私はこういいました。『私は小林さんとこへ行くわ』もうそのときは、運送屋さんがリヤカーを持って、表で待っていたんです。あのとき、中原は奥の六畳で、なにか書きものをしておりました。そして、私のほうも向かないで、『フーン』といっただけなんです。私は荷物をまとめて、出て行きました…」。(中原中也の東京を歩く -1- より引用)http://www.tokyo-kurenaidan.com/chuya-tokyo1.htm

「新しい女性」を間にした親友の三角関係は、これより早く、辻潤、大杉栄、伊藤野枝が演じている。あるいは夏目漱石の「こころ」の中で、私とKとお嬢さんが。親しい友人の持っているものを奪いたいという、三角形の欲望のとりこになったのだろうか、小林秀雄は。純粋に自分の欲するものよりも、他人の目に映る自分を気にかける、虚栄心に囚われるタイプの人間かもしれない。

面白いことに、中也は、泰子を奪われた後も、しきりに小林宅を訪ねるのだった。泰子が荷物をまとめて小林の家に移るときも、泰子に同行し、小林の家に上がりこみお喋りまでしていったという。

この後も、中也の人生はいろいろの不幸に見舞われる。彼の詩には、なんとも言えないリズムを持った傑作がいくつかある。一番よく知られているのは、例の「汚れつちまつた悲しみに 今日も小雪の降りかかる」だろう。しかし、僕のような文学の素人には、中也の人生自体も詩的で惹かれる。だから、中也の故郷近くの長門峡を訪ねたわけである。

「冬の長門峡」
長門峡に、水は流れてありにけり
寒い寒い日なりき
われは料亭にありぬ
酒酌みてありぬ
われのほか別に
客とてもなかりけり
水は、恰も魂あるものの如く
流れ流れてありにけり
やがても蜜柑のごとき夕陽
欄干にこぼれたり
ああ!―そのような時もありき
寒い寒い日なりき

春先の長門峡は、人っ子一人いなかった。中也が酒を飲んだところだろうか、茶屋があったが、閉まっていた。水の流れも特にどうということもない渓流だった。誰もいない長門峡で、暖かくなり始めた日差しに軽い汗をかきながら、「冬の長門峡」を読んでみたが、特に名作とは思えない詩に思えた。






最終更新日  2004.09.27 17:20:37
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