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一語楽天・美は乱調の蟻

2004.10.18
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ネーション・ステートについて 4
勝谷誠彦氏のブロッグに、大学入試センター試験の世界史Bの問題に関して批判が書いてありました。批判の内容はともかく、その文章の中で、「(ネーション・ステートの)ネーションを国民ととるか民族ととるかということは歴史学者の間で論争されているだけではなく実際の歴史の上でもそここそが争点となってきた」とありました。

そういえば、僕の読んだ中でも、岡田英弘氏は「国民国家」と訳し、関曠野氏は「国民国家」はおかしい、「民族国家」と訳すべきだと主張しています。

僕はこう思います。概念の発生の頃(西欧の18、19世紀)は、一つのネーション(民族)がまとまって、主権をネーション(この時点で国民となる)の手に移した国家をネーション・ステート呼んでいた。この時点では、ネーションの、言語・文化・人種を共有する共同性が強く意識されていたでしょう。そして、多くの国がこの理想型を目指して形成されていきました。

ところが、その後の歴史で、一つのネーション(民族)だけで成立した国家は稀です。ベルギーやスイスは多言語、多宗教、多人種の国です。英国(United Kingdom)も四つのネーションを抱えるています(イングランド、スコットランド、ウエールズ、北アイルランド)。スペインもまた、バスク、カタロニア、ガリシアという地域が存在し、ネーションとは正式には認められていないものの、カスティリャとは異なった独自性をもっています。

理念としては、一つのネーションが形作る国家、というのはあったけれど、現実の国際政治の中で、そういうのは稀だった。ネーション・ステートを目指した国家は、たいてい少数民族を抱えていた。そうこうしてるうちに、概念のもとにあったネーション=ナシオの言語的関連が徐々に忘れられていき、ネーションは今やステートと大して違わない意味をもつようになってきた、と考えられます。特に日本では、「国民国家」という訳が浸透したため、ネーション=国民になってしまいました。もともとの文化の共有性みたいな意味が失われてしまったのです。

日本の事情は特殊です。日本は、ネーション・ステートという概念が発生する以前に、既に一つのネーションが一つの島国を形成していたので、明治維新で、なし崩し的に(近代の概念としての)ネーション・ステートになったと言えるのではないでしょうか。維新の指導者の巧みな操縦によって西欧の植民地になることを免れた反面、ネーション・ステートの産みの苦しみを味わってない分、国民の間に、国家に対する確固とした権利・義務の観念が希薄のように思います。

一方、ネーション・ステートが果たした機能的な面を見ます。つまりどういう役割を果たしたかという点ですが、第一に、戦争がむちゃくちゃ強かった、というのがあると思います。フランスにネーション・ステートが出来るまでのヨーロッパでは、軍隊はお金を払って雇うものでした。ネーション・ステートが成立して、主権が国民にわたる、自分達の国土を守るために、徴兵制を採用し国民軍を作る。ナポレオンの軍事の才能もさることながら、フランス国民軍の士気は当時無敵でした。

もう一つ重要なのは、ネーション・ステートの成立によって、資本制と国家が合体した、というのがあると思います。これについては、次回述べたいと思います。

岡田英弘 「歴史とは何か」(文春新書)
関曠野 「民族とは何か」(講談社現代新書)






最終更新日  2004.10.19 16:20:28
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