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一神教を唱えるユダヤ教、キリスト教、イスラム教、どれも厄介なもんだ。同じ神を心に浮かべながら、お互いに「自分の神のほうが正しい」と独善を剥き出しにして互いを排斥しあう、殺しあう。数千年もの間、共存ということを学習もできずに、ようやく最近キリスト教がユダヤ教への憎しみを公式には隠す方向にPC化したものの、前途はロング・アンド・ワインディング間違いなし。イスラム対ユダヤ・クリスチャンの関係にいたっては、共存などは画に描いた餅だ。
そもそも、ナチス・ドイツによるユダヤ人の大量虐殺、ベルトコンベア式に人を殺していくという途方もない効率化を成し得た背景には、2千年もの間ヨーロッパ中のキリスト教徒に浸透してきた反ユダヤの怨念があったのを、僕たち無宗教の国民はなかなか理解できない。ホロコーストはキリスト教という温床に育った、と言っても言い過ぎじゃないのだ。 ナチスのユダヤ人殺戮について、例えば山川出版の詳説世界史という高校の教科書(1994年発行)を紐解いても、「ヒットラーがユダヤ人を迫害した」としか書いてない。西欧のユダヤ人迫害の歴史は、ヒットラーと彼に踊らされたドイツ人だけの業ではない、ということをちゃんと書かなきゃ西欧が見えてこないでしょ、と文部省にも山川出版社にも抗議したいもんだ。 仕方ないので、僕の泥縄式学習で理解したキリスト教徒の反ユダヤ感情(anti-Semitism)の歴史を要約してみよう。間違いの箇所はどんどん訂正してくださって構わんです。 映画「パッション」はアメリカのキリスト教右派の宣伝としか考えられないので、観てないし観ませんですが、映画が下敷きにしているのは西欧ではあちこちで演じられている「パッション劇」(Passion play)という、イエスの磔そして復活にいたるまでを描いたものだ。 「パッション劇」の「パッション」は普通に使われる「情熱」と言う意味ではない。Pを大文字にしてキリストの受難と言う意味だ。語源はラテン語のpati、「(災いなどを)被る」(suffer)と言う意味だそうだ。だから、「パッション劇」は通常「受難劇」と訳されている。 イエスの磔にいたるまでの受難そして復活は、キリスト教者の信仰の原点で、これなくしてキリスト教信仰はありえない。受難劇を聖書で読み劇に再現して反芻することは、信仰を強め共同体の結束を固める。だからパッション劇は西欧のあちこちの共同体で催される。 なかでも有名なのが、南ドイツにある人口5,000人ほどの町、オーバーアマガウ(Oberammergau)で10年に一度上演されるものだ。1630年代、黒死病と三十年戦争で死の恐怖に慄いていた住民が神の救いを祈り、もしも死を免れたら10年に一度住民全員でキリストの受難を舞台で再現することを誓った。町は奇跡的に救われ、住民は約束を守り1634年に最初のパッション劇を上演した。ある時期から、上演は区切りよく各10年代の初めに行われることになった。次の上演は2010年である。 パッション劇がキリスト者の信仰を強く固めるのは結構だが、イエスがユダヤ人に殺されたことを強調する余り(手を下したのはローマであるが)、反ユダヤの感情をも掻き立ててきたことだ。 パッション劇はもちろん福音書の中の話をもとに作られている。イエスの受難を描いた部分は(例えばマタイの26:1-28:20)「受難物語」(Passion Narrative)と呼ばれる。問題なのは、福音書の成立した紀元1世紀の後半頃はイエスの教えを信じる人達はユダヤ教の一派であったに過ぎない、と言うことだ。イエスが死刑にあったのはユダヤ教内部のセクト争いだった、と言うのが現在の通説である。 セクト争いの物語の文脈を無視して、その後のキリスト教の公認からユダヤ教との対立へという歴史を受難劇に重ね合わせるものだから、どうしても反ユダヤの視点が受難劇の語り口に入ってくることになる。狂人ヒットラーはパッション劇を1934年に観て、「ユダヤ人との闘争にこの劇は道具として使える」と思ったそうだ。 反ユダヤの歴史は深い。次回は、福音書の後に始まったキリスト教教父たちの反ユダヤの言説を取り上げてみる。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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