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紀元後30年頃、イエスが処刑された時、ユダヤ人の多くはイエスのことをメシア・救世主とは思っていなかった。だからこそ、ピラトが過ぎ越しの祭りに一人の罪人を赦すと提案した時に、群衆はイエスの代わりに罪人バラバの恩赦を選んだ。ユダヤ群集のこの選択こそが、この後のキリスト教徒のユダヤに対する不信、さらには差別を生む直接の原因になったと考えられる。何しろ、キリスト教徒にとってはイエスこそがその信仰の対象なのだから、彼の死に手を貸したユダヤ人は神殺し(英deicide)の民に他ならない。
しかし、よく考えてみるとおかしな話だ。 イエスはもともとガリラヤから出てきたユダヤ人である。ガリラヤはエルサレムのあるユダヤ州には属してないが、サマリア、イドマヤなどを含めた広域のユダヤの一部であった。イエスの教えはユダヤ教の一派であるエッセネ派の影響を受けていたと考えられている。イエスはユダヤ教のラビ(英rabbi)だったのだ。 イエスはサドカイ派やパリサイ派のユダヤ教徒の考え方に異議を申し立てたが、イエスの運動は基本的にユダヤ教内のセクト争いだ。イエスが死んだ時点でキリスト教という教派は存在していなかった。生き残った信者たちの、特にペテロとパウロの布教活動の結果、徐々に自らのアイデンティティを確立し、非ユダヤ教徒を取り込む普遍的な宗教へと進化していった。 思うに、キリスト教がキリスト教として自立・確立し始めた時に、まるで父を憎む息子のように、ユダヤ教徒とは自分は違うんだぞ、と主張し始めた。「共通の土台を持つことによる近親憎悪」(樺山紘一)という風に単純化してしまうと、わかりやすいが、何かが抜け落ちる。ローマの国教になった、つまり権力を持ったというのは大きいと思うし、イスラム教を含めて一神教と言う属性も原因だろう。一神教はとにかく排他性が強すぎるのだ。 雄弁で知られる4世紀後半のキリスト教司教、クリソストム(Chrysostom)は、反ユダヤのスピーチを幾度も行ったことで知られている。(彼の8回の説教のテクストが残されている。) クリソストムがなぜこのように強い反ユダヤ感情を顕わにした説教をしたのかは、よくわかっていないようだ。彼が司教を勤めた4世紀のアンティオキアでは、ユダヤ人とキリスト教徒の関係は割と友好的だったようだ。説教の中でも、キリスト教徒の女性がユダヤ人の家に入って、商用のための宣誓をしたことに触れてある。これがクリソストムには気に入らなかった。 自分の息子や娘を悪魔の生贄にした、自然を怒らせた、・・・凶暴な獣よりも悪く、悪魔を礼拝する、今では子供たちを殺さないかもしれないが、より悪いことにキリストを殺した、過ぎ越しの祭りをキリスト教徒がユダヤ教徒と共に祝うことはキリストへの侮辱だ、イエスを殺害したその日にユダヤ人と一緒にすごすならば、最後の審判の日に神は言うであろう、「私の近くに来るな、お前は私を殺したものたちと交わったではないか」・・・神はユダヤの民を憎む、いや常に憎んできた、・・・ローマのしたことで、不幸な出来事だった、というユダヤ人の言い訳に耳を貸すな、・・・ユダヤの神殿がローマによって破壊されたのは神の怒りだ、神は神殿の再建を絶対に許さないであろう古代西洋最大のキリスト教思想家と呼ばれる、アウグスティヌスの場合はどうだったろう。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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