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2006.01.30
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会沢正志斎が「国体」という言葉で、天祖からの大命を受けた天孫である天皇家の統治する祭政一致の神国日本、というようなものを指していたこと、これが幕末の志士達の尊王攘夷論の背景にあったこと、を前回紹介した。

しかし、明治初期には「国体」は必ずしもこういう意味では使われなかった。立花隆が「天皇と東大」(文芸春秋社 2005年)でこう書いている。
明治時代のはじめは、ファナティカルな天皇崇拝主義の影はきわめて薄く、国体の語は、国のあり方くらいのの意味あいのごく一般的な用語として用いられるのがむしろ普通だったということである。(p.76)
立花に依れば、明治初期には、国学も漢学も国家イデオロギーの覇権争いから一時脱落していた。後に「国体の本義」を出版して天皇中心の国体論を展開する文部省も、この頃はヨーロッパから学問を取り入れることを最優先としていた。

文部大丞(だいじょう)を務めていた加藤弘之は、明治8年(1875年)「国体新論」を発表し、国学者の国体論を批判した。加藤の論を意訳するとこうなる。国学者達が愛国の情から皇統一系を自慢するのはそれはそれでいいことだが、残念なことに国家・君民の真理がわかってない。国土はすべて天皇のもので人々はみな天皇の臣僕と考え、人々はただ天皇の御心のとおりに生き、善悪正邪を議論しないで、ただ勅命のとおりにするのが道だと説き、これらの姿を持って国体とし、それ故世界で一番優れているのだという、こんな考えは軽蔑すべきものだ。君主も人であり人民も人である。(立花、前掲書、p.82より意訳)

後に東京大学初代総長となった加藤弘之ら啓蒙思想派は、明治8年の時点では堂々と会沢正志斎流の国体論を批判していたのだ。天孫降臨伝説などは世界のいたるところにある、とまで言い切っている。古事記や日本書紀に書かれたことを疑っているのではないが、今日の人間界の道理には合わない、と断言する。

同じ年(明治8年)に初版が出た福澤諭吉の「文明論之概略」も国体に触れている。
・・・国体とは、一種族の人民相集まりて憂楽を共にし、他国人に対して自他の別を作り、自らお互ひに視ること他国人を視るよりも厚くし、自らお互ひに力を尽くすこと他国人の為にするよりも勉め、一政府の下に居て自ら支配し、他の政府の制御を受くるを好まず、禍福共に自ら担当して独立する者を云ふなり。西洋の語に「ナショナリチ」と名づくるもの、是なり。
西欧のネーション=ステートの基本になったナショナリティのことを、福澤は国体と呼んでいる。そして、国体あるいはナショナリティが発生する由縁を、「共に世態の沿革を経て懐古の情を同じふする者」と定義している。ここで、「情」という言葉が出てくるところが、いかにも日本的だ。歴史的な時間を共有しているという情感、みたいなものか。

加藤弘之にしろ福澤諭吉にしろ明治初期の啓蒙思想家達は、会沢正志斎風の国体をむしろ遠ざけようとしていた。しかし、啓蒙的な国体論は明治10年代には急激に超国家的国体論に呑み込まれていく。





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最終更新日  2006.01.31 16:45:55
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