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2009.06.10
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テーマ:本日の1冊(3685)
カテゴリ:カテゴリ未分類
「アンチ・オイディプス」という書名から想像できるように、ドゥルーズ=ガタリの批判はまず第一にフロイト理論の中心概念、エディプス・コンプレックスに向けられる。エディプス・コンプレックスという父・母・子供の三角形の鋳型は、本来多様である人間の欲望を型に嵌めてしまう、資本主義社会がもたらす個の多様性の抑圧の一環と、ドゥルーズ=ガタリは考える。

エディプス・コンプレックスとはどういう概念なのか。

その前に、エディプス(英 oedipus)の発音について。以下は僕の想像だが、この概念の元になったギリシア悲劇の主人公の名前は、ギリシア語での発音は「オイディプス」に近い。ラテン語になるとこれが「oedipus」と綴られ、英語では同じ綴りで「オイディプス」に近い発音になる。エディプス・コンプレックスという概念を作り出したフロイトは、多分ドイツ語で本を書いていたのだろうが、ドイツ語には「oe」という複母音がなく「oウムラウト」という文字になり、この発音が「エ」に近いことから、エディプス・コンプレックスという読み方が定着したのだろう。だから日本語では、精神分析の概念をさす場合には「エディプス」と書かれ、神話をさす場合には「オイディプス」と書かれているようだ。となると、ドゥルーズ=ガタリの本のタイトルは「アンチ・オイディプス」ではなく「アンチ・エディプス」とした方がよさそうなものである、なぜなら彼らの批判の対象はエディプス・コンプレックスであって、オイディプス神話そのものではないからだ。そもそも、同じ言葉を別々の発音をすること自体がおかしいのだが。という御託はこの位にしておく。

まずはオイディプス神話の概要。ギリシアのテーバイの王ライオスとイオカステの間に生まれた子がオイディプスだが、神託で子供が出来たらその子に殺されると預言されていたライオスは、その神託を恐れてオイディプスを捨てた。紆余曲折あってコリントス王のもとで育てられたオイディプスは、成長して彼らが実の両親ではないという風聞を耳にし、真偽を確かめるため(ライオスが受けたのと同じデルポの)神託を受けたところ、「故郷に近づくな、両親を殺すことになる」と預言される。コリントス王を実の両親だと思っていたオイディプスはコリントスには戻らず旅に出て、こともあろうにテーバイに向かう。旅の途中、路上で道を譲れ譲らないの争いから自分の馬を殺されたオイディプスは、逆上して相手方の従者と貴人を殺してしまう。それが実の父ライオスだったが、オイディプスには知る由もなかった。オイディプスはテーバイに入ったが、テーバイは怪獣スピンクス(スフィンクス)に悩まされていた。スピンクスを知恵比べで退治したオイディプスはテーバイの王となり、寡婦となっていた女王(実の母)イオカステを娶り、二人の息子と二人の娘をもうけたのだった。このあと真実を知らされたイオカステは自殺し、父の殺害と母との交わりを知ったオイディプスは罪悪感のあまり自ら両目を潰してしまう。

このストーリーに啓発されてフロイトが構築したのがエディプス・コンプレックスで、「異性の親に愛されたいとする欲望と、同性の親に愛着を抱きながらも、それを亡きものにしようとした罰として科せられる、内的負債を中心とした複合体」と定義される(福原泰平、「現代思想を読む辞典」今村仁司編に所収)。当初は男性を中心として考えられていたが、後に女性の場合にも適用された。その適用の仕方は(ここでは詳述しないが)僕から見ると牽強付会としか思えないのだが、あれこれこねくり回して確立していったこの概念は、その後の精神分析学会と精神分析医という職業の確立(捏造?)のために大きな役割を果たした。その最終的な形でのエディプス・コンプレックスは、男女に関わらず、子供の性的な成長の一段階で、口唇期、肛門期に続く三歳から五歳の時期に、普遍的に現れる、とされる。エディプス・コンプレックスがどれだけ僕達の脳内を汚染しているか、名作「サイコ」をはじめとする多くの映画がこの概念を取り入れていることや、マザコン、ファザコンといった日常語にも入っていることを思い出せば明らかだろう。

ドゥルーズ=ガタリは二つのタイプの集団を区別する、主体集団(英訳 subject group)と隷属集団(英訳 subjugated group)。僕の解釈では、隷属集団はある時代・組織・グループの、共通の枠組み・社会観・世界観・価値観などを与えられたまま受け入れている人たち、あるいは心の中のそういう傾向の部分。例えば、ネーション・ステートという感覚を疑うことなく生きていく人達、あるいはそういった心の傾向、あるいは宗教組織や政治党派に属して、その宗教理念や政治方針を自分の内面の一部として生きる人達、こういった人たちが隷属集団のメンバーといえる。主体集団はそういったものから相対的に自立している人たちや心の部分、ということになる。エディプス・コンプレックスというフロイトが作り上げた三角形の枠組みが抑圧的なのは、本来エントロピーが高く流動的である無意識の欲望をこの枠に嵌めてしまうからだ。この枠の中で思考する人は、治療者も患者も隷属集団に属しているということなのだろう。





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最終更新日  2009.07.22 08:16:43
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