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フランツ・カフカの小品に「ジャッカルとアラブ人」というのがある。ほんの数ページの作品だが、それをさらに要約してみよう。
「我々はオアシスで設営をした。仲間たちは寝ていた。長身のアラブ人の白い姿が目の前をよぎった。ラクダの世話を終えて自分の寝場所に行くところだ」と始まる砂漠の夜の話。語り手を含むヨーロッパ人は、アラブ人の隊商の助けで砂漠を旅しているようだ。遠くで吠えていたジャッカルの群れ、その長老がいつの間にか語り手の傍に寄ってきて、「あなたが来るのを数えられないくらい長い年月待っていました」と話しかけて来た。「母もその母も、ずっと遡って最初の母まで待っていました」とジャッカルは言う。語り手はジャッカルに言う、「私が北の方からここに来たのは全くの偶然だ。何が望みなんだ?」。「あなたが北から来たことは知ってます。あなた達は、アラブ人にない類の知性を持っています」と、ジャッカルはアラブ人への嫌悪を口にする、「尊大で、知性のかけらもなく、動物を殺して食べるくせに腐肉には眼もくれない」と。 語り手は、アラブ人に聞こえるからとジャッカルを制しながら、自らの意見を語る、「私の住む地域には関係のないことなので、とやかく言える筋合いじゃないが、あんた達の争いはずいぶんと昔からのことだね、その体の中を血となって流れているんだろう、だから血を見るまでは終わらないんじゃないか」。ジャッカルは同意するが、アラブ人を殺すのに自分たちの手を汚そうとは思っていない、と語り手に告げる。いつの間にか、語り手の周りには数多くのジャッカルが集まってきていて、語り手が動けないように二匹のジャッカルが衣服の後ろに噛みついていた。そして、長老は語り手にこう懇願するのだった、「世界を二分しているこの争いを終わらせてください。あなた様は、先祖が予言していた通りのお方です。アラブ人との面倒はもう沢山。地平線からあいつらを消し去ってください。あいつらのナイフで殺される羊たちの断末魔を聞きたくないんです、動物たちは天寿を全うして自然に死ぬべきです。我々が動物の死体をきれいに平らげ、骨をしゃぶり終えるまで、あいつらに邪魔されたくないんです。きれいにすること、それ以外望んでいません」。長老はさらに続けて、「あなた様にお願いします、このハサミであいつらの喉を掻き切って欲しいのです」と、錆におおわれたハサミを差し出すのだった。 突然アラブ人が鞭をもって現れ、これが茶番であることを告げる。どうやら、ヨーロッパ人が来るたびにこのハサミの茶番に出会うらしい。「こいつらにとっては、ヨーロッパ人なら誰でも構わない、みんな運命に選ばれた者なんです。狂信的な希望を持ってるんです、この獣たちは、全くの阿呆です。だからこいつらのことが可愛くて仕方がないんですけどね、我々にとっては犬なんですよ、あなた方の飼ってる犬より優れてますよ。いいですか、これを見てください」と、死んだラクダの肉をジャッカルたちの前に投げ出した。 肉が地面に落ちるや否やジャッカル達は声を上げた。彼らが腹這いになって躊躇いながらにじり寄るさまは、まるで縄で引っ張られているようだった。もうアラブ人のことも憎しみのことも頭にはなかった、ただ眼前の腐臭を放つ屍肉に囚われているだけだった。肉に噛り付くジャッカルにアラブ人が鞭を振るうと、彼らは一旦は引き下がるものの、血のプールから漂う匂いに抗することはできず、また戻ってくる。アラブ人が再度鞭を振り上げた時、私は彼の手を掴んで止めた。アラブ人は言った、「わかりましたよ。連中の仕事の邪魔はよしましょう。それにそろそろ出発の時刻です。まあご覧の通りです、こいつら素晴らしいと思いませんか?そして、私たちをなんと憎んでることか」。この作品は1917年にドイツのシオニストの月刊誌「Der Jude(ユダヤ人)」に発表された。同じ号に、カフカのもう一つの動物作品、「学会への報告」も掲載されている。カフカは、ヨーロッパのユダヤ人問題について何か言おうとしていたのだろうか?ユダヤ人の解放と迫害と結束がロシアを含むヨーロッパ社会のあちこちで起きていた時代だ、ユダヤ人カフカの意見が作品に染み出ていたとしても不思議はない。この作品をどう読むかについて、次回書くことにする。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2015.01.11 12:38:38
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