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2016.09.04
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山川出版の新詳説日本史(1994年3月)によれば、「言文一致体で書かれた二葉亭四迷の『浮雲』は、(坪内)逍遥の提唱を文学作品として結実させたものでもあった(引用者注:「浮雲」第一篇は明治20年、1888年6月刊)」(p.289)とある。この教科書の索引で「言文一致」という言葉を見ると、「浮雲」についてしか使われていないようだ。つまり、言文一致体=浮雲=二葉亭、という等式になっているのだ。昭和30年(1955年)版の広辞苑の「言文一致」の項でも、「書く文章の体を話す言葉に一致させること。文章には文語を用いてきたのを明治初期、二葉亭四迷・山田美妙斎・尾崎紅葉などが、話言葉通りの文章を作品に試みて、それが今日一般の傾向となった」とある。山田美妙と尾崎紅葉の名が加えられているが、彼らの言文一致体の作品はすべて明治20年以降であるから、二葉亭の地位は揺るがず、彼が言文一致体を作り出したことは定説であるようだ。

ところが、実際には言文一致への歩みはこれよりずっと早くに始まっていた。

西洋式の官営郵便制度を建議(1871年)して発足させたことで知られる前島密は、越後の豪農の上野家から幕臣前島家の養子となった人だった。幕臣になったばかりの1866年(当時の名は來輔、くるすけ)、「漢字御廃止之議」を将軍・徳川慶喜に建白した。国家の大本は国民の教育で、教育を普及させるためには、わかりやすい文字を使う方がいいので、漢字を廃止して音声文字(かな)のみを使うことにしではどうでしょうか、という提案だった。漢字廃止論だった。

前島は医者を目指して蘭学を学んだこともあり、長崎では英語を教えていたともある。江戸中・後期に西欧の文化に触れ、西欧の言語を学んだ人たちは、西欧のアルファベットの簡便さに魅せられていたようだ。たとえば、算数家・経世学者の本田利明(「西域物語」、1798年)や山方蟠桃(「夢廼代」、1802年)は、かなり早い時期から、アルファベットの数の少なさに驚き、漢字の数の多さが国の為にならないのではないか、というような発想をしていた(注1)。

漢字批判は、国学者からも出されていた。契沖、賀茂真淵、本居宣長らは復古主義を唱えて、中国文化の悪影響を排除するため、漢字・漢語はできるだけ使わないことを主張した。国学者の復古主義と洋学者の西欧文化への憧憬が、明治の言文一致運動の背景にあったようだ。

注1 山本正秀著「近代文体発生の史的研究」(1965年、岩波書店)のpp.60-61を参考にした。





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最終更新日  2016.09.04 09:08:45
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