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一語楽天・美は乱調の蟻

2019.09.11
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テーマ:本日の1冊(3025)
カテゴリ:カテゴリ未分類
その頃の僕は解放感に溺れていて、まるで下手に折られた紙飛行機のように、行く先も分からず漂っていた。それというのも、地方の大学に入り下宿生活を始め、二重の枷から抜け出したところだったのだ。二重というのは、通学・授業・自宅での受験勉強を繰り返すだけの乾いた高校時代、そして三世代家族同居という息苦しさだ。一方、大学での部活や通い始めた英会話教室で知り合った年上の女性たちとの関わりで長い間閉ざされていた扉が未知の世界に開かれたのは刺激的だった。が同時に世界がいきなり複雑さを増したことも事実だった。

巷でははやり歌が流れていて、僕の未熟な感情を揺らしていた。年上の女は僕に囁く「だからわかって欲しいのとそっと絡んだ白い指」、そして夕月を仰ぎながら突然こう畳み掛けてくる「教えて欲しいの涙のわけを」と、しかし僕は泣いてはいないし、本牧の長い髪の少女に「どうぞ僕だけに心を打ち明けて」と懇願しても、彼女は小指を噛みながら呟くだけ「昨夜のことはもう聞かないで」と、そのくせ恋の滴に「濡れたままでいいのこのまま歩きたい」とすがってくる、だから佐知子というその女とは別れようとしたのだが「もう少しいて欲しい諦める約束の涙の乾くまで」と泣きつかれ、でも小さな喫茶店でデートした娘の「ギター爪弾く君の指先ちょっぴり震えて呟くようで可愛かったよ」、こんなことの繰り返しに疲れた僕は「このやるせないもやもやを誰かに告げようか、白い雲は流れて今日も夢はもつれて侘しく揺れる」と悲しくて悲しくてしょうがなかった。

いくつか家庭教師のアルバイトを抱えていて英語を教えていたが、なかの一軒で逆に日本の古典文学の個人授業を受ける、という幸運に出逢った。その地方都市の比較的富裕層の多い地域に新築を構えていたこの家族の、父親には会った記憶はない、母親は30代後半、長女は中学生だった。知人の紹介で面談に行った時に、母親が家族のことをあれこれ話してくれた。父親は会社の重役で家庭をあまり顧みず、母親の名前は「紫」と書いて「ゆかり」と読む、娘は「夕香」と書いて「ゆか」と読む、母親は大学で日本文学を専攻し、特に「源氏物語」の愛好者である。これくらいしか覚えていない。長女に英語を教え始めて何週間か経ち、母親から「紫」を「ゆかり」と読む理由を教えてもらった。それが僕にまたひとつ新しい世界を開いてくれた個人授業の始まりだった。

「紫」を「ゆかり」と読むのは、直接には源氏物語に由来している、と紫(ゆかり)さんが語ってくれた。

「紫のゆかり」という句が源氏物語の末摘花と若菜上で使われていて、両方とも光源氏が北山で見出した少女(のちの紫の上、むらさきのうえ)のことを指している。また菅原孝標の娘の「更級日記」には次のようなくだりがある。「かくのみ思ひくんじたるを、心も慰めむと、心苦しがりて、母、物語など求めて見せたまふに、げにおのずから慰みゆく、紫のゆかりを見て、続きの見まほしく覚ゆれど、人語らひなどもえせず」(このように私が塞ぎ込んでいるのを、気持ちを紛らわせようと気づかって、母が物語などを探し求めて見せてくれたので、なるほど自然と慰められていった、源氏物語の紫の上の部分を読んで、続きが読みたいと思ったが、人に相談して頼むこともできなかった)。1020、30年頃の出来事を綴ったもので、この時期には「紫の上」のことを「紫のゆかり」と呼ぶことが貴族社会の読者たちには定着していたようだ。

ではなぜ紫の上を指すのに「ゆかり」を付け加えるのだろう。「ゆかり」とは「縁」、「何らかのつながりや関係のあることまたは人」のことだ。

若紫の巻で光は、幼い紫の上の尼君から未来を託され、その直後「手に摘みていつしかも見む紫の根に通ひける野辺の若草」(手に摘んで早く逢いたいものだ、紫草の根に通いあう野辺の若草を)と詠む。この場合、紫は色と紫草をかけているので、紫草の根に通う若草を摘みたいな、と同時に紫色に通じるこの少女を早く自分のもとに連れて来たいなと言っている。やがて紫の上と呼ばれることになる少女の何が紫と関係があるんだろう。

紫さんの説明はこうだ。紫は藤の花の色、つまり藤壺宮を暗示している(桐の花も紫なので桐壺の更衣をここに含めるとも考えられる)。すべては帝、桐壺帝が位の低い桐壺更衣(こうい)を寵愛したことから始まった。桐壺更衣はみなから妬まれていたが、男御子(のちの光源氏)を産んだことで第一皇子の母・弘徽殿の女御からより目の敵にされ、しばらくして心身憔悴で亡くなった。帝は悲しみを癒すため、桐壷の面影を宿した藤壺女御(にょうご)を四の宮として迎えた。藤壺入内の時十六歳、光は十一歳だった。光は母に似た藤壺を慕ったが、やがて十二歳で元服すると藤壺の御簾(みす)の中には入れてもらえず、思いだけが独り立ちして膨らんでいった。

そして光十八の夏北山で、あの藤壺を髣髴とさせる少女に偶然出会ったのだった。
つらつきいとらうたげにて、眉のわたりうちけぶり、いはけなくかいやりたるひたひつき、髪ざしいみじくうつくし。ねびゆかむさまゆかしき人かな、と目とまり給ふ。さるは、限りなう心を尽くしきこゆる人にいとよう似たてまつれるがまもらるるなりけり、と思ふにも涙ぞ落つる。
(頬のあたりがとても愛くるしく、眉のあたりもほんのりとして、あどけなくかきあげた額の形、髪の具合も素晴らしく美しい。この少女が成長していく様子を見てみたいものだな、と目が釘付になった。というのも、わたしが一途に心から恋焦がれている女性にとても良く似ているから、じっと見つめてしまったのだろうと思うと、涙さえ出てくる。)
見事に描写された少女の容貌、しかし彼女と藤壺とのゆかりは容貌だけではなかった。少女と藤壺とは血縁で繋がっていたのだった。少女の面倒を見ている尼君は彼女の祖母で、実の母は他界している、父は兵部卿宮(ひょうぶきょうのみや)、そして兵部卿宮とは藤壺の同母兄だったのだ。少女は藤壺の姪ということになる。

桐壺、藤壺、そして紫の上という紫のゆかりがつながった。






最終更新日  2019.09.12 05:15:30
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