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2020.01.31
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カテゴリ:カテゴリ未分類
イメージというと視覚的な画像中心のイメージと考えがちだ。しかし、もっと漠然とした非視覚的な感覚を含むイメージがあるのは確かだろう。これを想像力と呼んでしまうと、それこそなんかイメージが違う。想像力には自分の意志で主体的に作り上げる意識的な作用という感じがある。僕が考えてるイメージは、主体が能動的にかかわらないところ、意識下とでも言おうか、そこで発生している現象も含んでいるので、想像力という言葉は使いたくない。以下、漠然とした全体的なイメージあるいは単にイメージと呼ぶことにする。

だれでも、人生で出会った幾人かの人々の情報が記憶されている。ところが少なくとも僕の場合、そのうちの幾人かはイメージ的にペアまたはグループを形成しているようなのだ。Aという最近の知り合いとBという20年前の友人のイメージが心の中で重なっている。容姿が似ているかというとそうでもなく、具体的に指摘することができないが、自分がこの二人に抱いている全体的なイメージが重なるとしか言いようがない。イメージが似ているだけではない、僕がB君に抱いていた親近感は、自然とA君に引き継がれている。あるいは逆に、僕が好感を抱いているのでイメージも似てきてしまったのだろうか。母親や父親に似た人に恋をする、という話をよく聞くが、これもイメージの重なり現象かも知れない。もし母(父)親を好きだったのなら、全体的なイメージの似た人を好きになるのは不思議ではないだろう。

認知言語学には、視覚野を概念化する(conceptualize)という仮説があるそうで、視覚で捉えられた情報を一つの容器としてその中に関連した情報を詰め込む、ということのようだ。僕の考えでは、この「容器」は視覚野でなくてもいいわけで、視覚情報がキーになる場合もあるだろうし、もっと漠然とした場合もあり、記憶の連合装置と考えた方がよくないか。この連合装置を脳が呼び出す時には、何らかのアクセス・ボタンあるいはラベルが必要になる。それは視覚野が主となる人もいるだろうが、音声記憶(声や話し方)でもいいし嗅覚野(匂い)、あるいはそれらの組み合わせでもいいはずだ。たとえば、それは人の名前でもいい、それも聴覚(名前の発音)、視覚(書かれた名前)、感情(名前の漢字・ひらがなが呼び起すある種の感情)、それらの組み合わせということだってある。友人・知人といった人間関係は視覚イメージだけではない総合的なイメージで管理されている。その総合的な情報を格納してあるのが、この「容器」と考えられる。

比喩とか類推も漠然としたイメージに基づいているに違いない。フロイトが夢分析で用いた方法はイメージの転換だ。すべてを性的なものに還元してしまう彼の方法は間違っているにしても、夢に現れてくるシーンが、現実のある事象のイメージを基にした類推であることは間違いないと思う。この時のイメージが視覚的なものを伴わない場合が多いことも、経験上確かだ。何とも言えない感覚のこともあり、ぼんやりとした想念のこともある。

創作活動(造形芸術、作曲、演奏)には漠然としたイメージは絶対に必要だろう。イメージなしに創作するという方法が現代ではあるのかも知れないが、やはり何らかのイメージを持って作り出すというのが普通だ。創作は芸術に限らない。政治を含めた組織を「創作」する時にもイメージは必要で、これはビジョンと呼ばれることが多いかもしれない。ビジョンを持たない組織で働くのは、愛のない結婚生活よりもっと虚しい(かも知れない)。

抽象的な内容の文章や詩歌を読む時は、漠然としたイメージを持つことが必要だと思う。具体的な事柄をベタに書いてある文章だと、一つ一つの言葉の意味が比較的確定しているし、論理的な道筋さえちゃんとしていればなんとか読み進むことができる。これに対して、抽象的な概念が並んでいる思想・哲学書とか、言葉の意味が特別に定義されている理工科学書、あるいは具体的な事象が使われていても比喩や転換で繋がれた詩歌の場合には、通常の論理的な読みでは理解できないことが多い。この場合、読みながら漠然としたイメージを持つことが、僕には欠かせない。イメージがないと理解不能なのだ。具体的な例を次回載せることにする。

一つ注意したいのは、生まれてきたイメージは必ずしも正解ではないという点だ。そりゃそうだろう、思い込みや思い違いなんていうのはいくらでもある。知人に抱くイメージがとんでもない間違いだったと思い知らされるとか、国政に関するビジョンがその首長の個人的な経歴に起因する偏狭な世界観で形作られたとか、難解な文章の読み違いとか、不正解なことは多い。漠然としたイメージ形成はつまり諸刃の剣だ、なければ人類の進化はなかっただろうし、あればあったで世界は誤解と思い込みに充ち溢れることになった。と、これは言い過ぎか?





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最終更新日  2020.01.31 08:51:39
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