立教200年を言祝ぐ
<←黒住教本部・大教殿内にて執り行われる立教200年大祝祭の本祭典。これだけ大勢の参拝者が集うのを見るのは初めてです> 岡山県岡山市に本部を置く教派神道・黒住教は、1814年の旧暦11月11日の冬至の日に教祖・黒住宗忠(1780〜1850)が天照大神と一体になる神秘体験を得たとされる"天命直授"を教団立教の時と定めており、今年で立教200年を迎えます。日本人が教祖となって設立した宗教団体で200年もの歴史を迎えるのはこれが初めてだとか・・・ 黒住教では一昨年くらいから立教200年に向けての準備を進めており、今年の10月11日から今月3日まで計10回に渡って立教200年大祝祭が岡山の黒住教本部にて挙行されました。 管理人の地元の西条教会所でも第8回となる今月1日の祝祭に団体で参拝することになり、今後生きてる間に同じような機会が来ることはまずないので(笑)、管理人もお道づれ(信徒)の端くれとして参加させてもらうことにしました。参加旅費は11,000円で、決して小さい金額ではないですが、食事代・お供え代も込みの値段なので、自分で行って参拝することを考えると多少は安上がりです。 そんなわけで去る1日、あいにくの雨天となってしまいましたが、管理人は年休を取って黒住教本部まで出かけてきました。思えば、岡山の本部に参拝するのはかなり久しぶりで、せっかくなので生前元気な頃によく本部まで参拝していた親父の写真も持参することにしました。 早朝0630に西条市総合文化会館前から貸切バスに乗り込み、松山自動車道と瀬戸中央自動車道を経由して一路岡山へ。それほど大きくない西条教会所からどれくらい来るのか気になってましたが、蓋を開けてみれば40人余りの参加者がいました。もっとも、同日に参拝した他の教会所からはバス数台に分乗してきた所もあったりで、規模の差を感じます(笑) 途中豊浜SAで休憩を挟み、0900過ぎに黒住教本部のある岡山市北区の神道山に到着。参道を登って本部大教殿に上がり、席が設えられた御神前に座って本祭典の開式を待ちます。ちなみに、今回の第8回の参拝者は1,100人余りとのこと。過去何度か親父と一緒に本部での春季・秋季の祖霊祭に参拝したことがありますが、それとは比較にならない大勢の人出でした。 そして1030からいよいよ大祝祭の本祭典開始。今回の祭典では教祖宗忠から6代目に当たる黒住宗晴教主と、そのご長男である黒住宗道副教主が列席し、宗道副教主が斎主を務められましたが、もしかして将来の教主禅譲への布石かとか邪推してみたり(笑)普段はお祓いをサボってばかりのダメな管理人ですが(爆)、今回は神妙に大祓詞を奉唱させていただきました。 祭典の終了後は直会(なおらい)のお弁当他をいただき、場所を神道山内のふれあい広場に移して園遊会に出席。天候は相変わらずの雨模様でしたが、園遊会は特設テントにて無事催され、本部の茶屋の名物料理である大元鍋やおでん等のお振る舞いや郷土芸能の発表会、子供向けのビンゴゲーム大会など予想以上に盛り沢山の内容でした。 宴もたけなわになったところで、管理人は西条教会所の所長さん他参加者数名と一緒に、これまで行ったことがなかった本部の宝物館『まることセンター』を見学。宝物館には教祖宗忠の真筆や教団縁の方々の書や美術品等が展示されており、今回は立教200年の特別展として京都の神楽岡・宗忠神社が所有する孝明天皇御衣等を展示する御神宝展も行われていました。軍ヲタの管理人的に興味深かったのは、展示品の中に東郷平八郎・旧海軍元帥による『天照大御神』『宗忠神社』の書があったことです。後で調べてみると、東郷元帥の母君と夫人が黒住教のお道づれだったそうで、元帥自身も日露戦争の日本海海戦において戦艦『三笠』の艦上にて教祖宗忠の御神詠『身も我も心も捨てて天地(あめつち)の たったひとつの誠ばかりに』を吟じたと伝えられています。あと、宝物館には芸術家の横尾忠則氏のオブジェ作品も展示されており、こちらもご夫人が黒住教のお道づれというご縁があるそうです。 宝物館の見学を終えた頃には園遊会も終了し、管理人を含む西条教会所の一行は1500頃に本部を離脱。最後に岡山市内にある大元・宗忠神社に参拝して参拝者全員で記念撮影、西条へ帰投と相成りました。 管理人にとっては久しぶりの本部参拝でしたが、なかなか楽しい一日でした。これで残るは本来の立教200年といえる12月の冬至大祭だけですが、昼勤と被ってて参拝できそうにないので、せめて自宅からお祈りを捧げることにします。