クリームな日々

2016/08/07(日)01:46

転載「むのたけじの伝言。再思三考」

平和(27)

2016,8,5朝日第二岩手版より 「また8月15日がやってきますね。 昨年は戦後70年で熱気がありましたが、9年後の戦後80年はそうならないでしょうね。  敗戦の年に生まれた人が80歳。戦争を体験したといえるのは90歳以上で、戦地に行ったとなるともっと上だ。平均寿命を考えれば、語れる人がいなくなっている。  過去にこういう大変なヘマをやって尻ぬぐいが出来ないで恥ずかしい思いをしている、と語れる大人がいなくなる。歴史の引継ぎのタイムリミットに来ている。そう捉えて、真剣にお年寄りの体験に耳を傾けようと思った人が多かったから、戦後70年は熱気を帯びたのでしょう。  戦争体験をつなぐ最後の世代として、その動きを昨年で終わらせるわけにはいかない。だから発言を続けていくしかないんです。  それで語っておくとね、太平洋戦争開戦の約半年前の6月23日に松岡洋右外相に単独インタビューしたことがあるの。日独伊三国同盟の成立を祝ってヒトラーとムソリーニに会い、かえりにモスクワでスターリンに会って日ソ中立条約を締結して帰ってきた約2ヵ月後でした。  話を聴こうと早朝から記者が80人くらい松岡邸に集まっていたが出てこない。2時間くらい経って各社の記者が帰り始めた。私は帰らずにいたら、奥から大きな声で「新聞記者どもはみんな帰ったようだな」。私が残っているのが分かると「そいつを呼べ」って。  それから庭を歩きながらしゃべりだした。穏やかだったりすごい剣幕でまくし立てたり。彼の精神のどこかがおかしかったんだろうね。後で読んでも、訳が分からない記事になりました。「わしの心は虚だ空だ」なんて。  首相の近衛文麿にも聴かなくってはならない状況が生まれた。国会議事堂近くの立派な会館に50~60人の記者が詰めかけた。ひょいと気づいたら、私が近衛の真ん前に座っていた。それで質問することになった。「日中戦争に関して話をお伺いしたい」と尋ねた。  彼は顔をぴくつかせて機嫌が悪くなった。何も返事しないの。しばらくして「ちょっと用事を思い出しました」と下がって、それっきり。  日本の首脳たちも、戦争に関してどうしたらよいのかとおろおろしていたんですよ。当初はしっかりした考えがあったんでしょうが、激戦が近づいたら混乱した。そう思えました。  政治そのものを政治の専門家に任せておくからこうなるんだ。おかしいと思ったら、まず我々がわいわいがやがや騒げばいいのよ。それしかできないし、それが一番有効な意思表示なんだ。おかしいと思ったら、騒ぎ続けましょう。」 他の地域の方がたにも是非読んでいただきたいと思いました。

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