クリームな日々

2016/09/12(月)22:52

むのたけじの遺言は続く

報道(90)

先日亡くなったむのたけじさんの「再思三考」という聞き書きのコラムが朝日新聞の地方版に不定期で載っていた。9月2日にその記事を担当していた木瀬公二さん御本人の文が載ったので転載。 『 「追悼むのさん あの世から便り下さい」 むのたけじさんのお宅に初めてお邪魔したのは2005年10月だった。秋田県横手市の、「たいまつ新聞社」と書かれた看板が掲げられた家の玄関に立つていると、どどどどどっという、2階から駆け下りてくる大きな音が聞こえた。  むのさんは90歳になっていた。腰を曲げ、よぼよぼと現れると思っていた予想が完全に覆された。  その少し前、東京本社から横手支局に着任した私は、あいさつに伺いたいと電話をした。「聞きたいことがあれば来てもいいが、俺の顔を見に来るだけなら来なくていい。見せ物じゃないから」といわれた。おそるおそる行ったのだが、こちらも裏切られ、穏やかに招き入れられた。  以来、迷ったり分からないことがあったりすると押しかけて話を聞いた。まず「それについてお前はどう思い、どうしたらいいと思うか」と聞かれた。考えもせずに答えだけを求めるな、という姿勢を、最初に教えられたわけだ。  いつも大きな声で話してくれた。 200人近くが入れるマイクのない会場で、最前列の人が「すみませんが、もう少し小さな声でお願いします」と頼んでいたことがあった。  1時間が1時間半になることも珍しくなく、係員が止めにくる姿もよく見た。それを95歳まで立ったままやった。90歳を過ぎても自転車に乗っていた。 旧制中学時代の5年間、雨の日も雪の日も10キロ強の道のりを、歩いて通った脚力が支えた。 そのお供に持ち続けた英語の辞書は、頭脳を支えた。  年金制度が始まったとき、この金が戦争に使われる恐れがある、と加入しなかった。それもあり、余裕のある暮らしをしていたわけではない。しかし気前よく、人をもてなした。来客には地元の銘菓を用意し、メロンが一番おいしくなる温度になるのを見計らって出していた。来客との対話が始まると、居住まいを正し、武士の真剣勝負のような様相で向き合った。  5月9日に肺炎で入院した。 7月15日の退院は、みとりは家でという意味だった。そんな体調でも、亡くなるまでの約3ヶ月、オバマ大統領の広島訪問や都知事選、沖縄問題、参院選の結果など、見舞うたびに語り続けた。看護師が「その頭を少しわけてください」と言った。  8月23日、みとった次男の家に近い、さいたま市の斎場で密葬した。棺に、原稿用紙と鉛筆を入れた。あの世から便りをくださいという思いを込めて、はがきも入れた。  その返信が来ずとも、これまで11年、むのさんから聞き続けた話はたくさんある。まだ、記事にしていない話も多い。それらを、むのさんの遺言として、しばらくはこの欄で書いていきます。』

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