くりーむの幼児期1歩くようになったのは1才前。ひたすら歩き続ける子でした。このころはじめて「?」と思うことがありました。公園にいても、子どもを避けている感じがしたのです。よその子についてこられると必死で逃げたり。なんかへんだなと思っていました。ほうっておくとどこに行くかわからないので目の離せない子でした。始語はありました。「まんま」とか「まま」とか「うまい」とか。このころ哺乳瓶をくわえながらでないと寝られませんでした。 1才7ヶ月のとき、妹が生まれました。兄に比べてなんて育てやすいんだろうと感動したのを覚えています。妹が生まれて病室にきたとき、私が妹をだいているのをみて、くりーむはいやがって大声で泣きました。そのころからなんだか無表情になったような気がします。そのころ私たち夫婦は年子で生まれた妹をくりーむは受け入れられないのだと解釈していました。 2才くらいのときにとったビデオを見ると、くりーむは私に向かって「もういっかい、もういっかい」とでんぐり返しを催促していました。そのときくりーむはひとりでとんぼ返りを何度もしてみせました。中国雑技団じゃないしなぜとんぼ返りができたのか不思議ですが、嬉しそうに何度もやってみせていました。妹がまとわりついてくると、いやなようで、さりげなく離れているのも、映っていました。 2才くらいからひらがな、カタカナ、数字、アルファベットを覚えていました。それもいつのまにか。無知な私たちはなんて頭のいい子だと喜んでいたのです。 よその子達がどんどんおしゃべりなって行くのにくりーむは寡黙な男の子でした。よそのお友達の家に入れなくなったのもこのころです。社宅に住んでいたのでみんな似たり寄ったりなのに。それでも無理やり入ってしまえば、なんとかなるのですが、子どもたちとは遊ぶことなく、一人絵本を読んだり車で遊んだり。 3才を過ぎたころ幼稚園入園のための面接がありました。そこの園長はくりーむを自閉症ではと疑ったのですが、園長が投げたボールを拾って投げ返したり、園長の働きかけに何らかの形で答えたので、「自閉症かと思ったんですが違うようですね。」と面接も通ってしまいました。今思えば園長先生もカナータイプの自閉の知識しか持ち合わせていなかったのでしょう。 ところで乳児検診ですが、2歳児健診のころから、私は言葉が遅いことを保健士に相談していましたが、「男の子だし遅い子は結構いますよ、様子を見ましょう」ということで、私もその言葉を鵜呑みにしていました。というのも私の弟もかなり言葉がおそかったと母から聞いていたからです。 ジャンル別一覧
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