病あり 生のパトスと 思へども
病あり生のパトスと思へどもこれは8年ほど前に、相方のお父さんが人工透析を始めた頃に相方が詠んだ俳句である。そして、なぜか、この写真が添付されていた。パトス(pathos)とはアリストテレス倫理学で、欲情・怒り・恐怖・喜び・憎しみ・哀しみなどの快楽や苦痛を伴う一時的な感情のことだそうだ。反対語はエートス。人間が行為の反復によって獲得する持続的な性格や習性。パトスが受動的なのに対して、エートスは能動的なのだそうだ。病気や悩みは生きてる証拠とはいえ、やっぱり辛いよね…ってことなのかな?相方はお母さんっ子でお父さんとはあまり交流はないと公言してきた。そう言ってはいても、そこは親子。病気になれば心配するし、入院したとか倒れたとか連絡があれば慌てたことだろう。お父さんの病状がどんなものか、自分の目で確かめるまで、心配で心配で仕方がなかったと思う。生きている証拠とはいえ、辛いだろうな、おやじ…。そこで相方は早速お父さんのお見舞いに行くことにしたが、なんせ辺鄙なところ。「あら、それなら私が乗せてってあげる。」と、当時お付き合いしていたカノジョ。海ほたるを渡れば、うまくすれば1時間半だ。先月私達が行った時は電車とバスだったので3時間もかかったが、クルマで行けばその半分で行けるのだ。場所によっては電車のほうが早く着くところもあるが、なんせ田舎なので乗り継ぎが悪いのよね。かくして前カノはお父さん、そしてお姉さんともご対面とあいなった。そう、最初に千葉に行った時にお父さん不在でお姉さんに電話した。その時にお姉さんが言った「アノヒト」である。前カノが身内にもウケが悪かったのは、日常のカテゴリーの「千葉へ」で書いた。前カノのどこが身内に敬遠されたのかはわからない。聞いてないから。聞かなかったから、自分はどうすれば気に入られるかも暗中模索になり…お好きにどうぞ、煮るなり焼くなり、と一切のアレンジなく、自然体でお父さんとご対面。それがかえってよかった。お父さんは素の私を気に入ってくださった。病あり生のパトスと思へども相方は今年で還暦。今は「還暦」も厄年になったが、少し前ならお祝いである。お祝いということは「ここまで生きたね、おめでとう!」、昔は60まで生きられればエライことだったということ。長生きしたんだから、たくさんの人に出会って、いっぱい恋愛して当たり前。相手がどんなヒトだったとしてもね。それにカレシ/カノジョの前カレ前カノがどんな人でも、今の私達には関係ないこと。そういう過去を経て今の彼ら、私達があるんだから。そう、生のパトスと思へども。生きているんだから、いろんなことがあるさ!お父さんが人口透析を始めた頃の相方のブログを読んで、日頃父親とは不仲で行き来はないと公言していた相方も、本当はお父さんを心配している普通の息子なんだと思った。今度「どこか行こうか」と相方が持ちかけきたら、行先は千葉!私から言い出してお父さんにまた会いに行こうと思った。この前は、「相方が私を連れて行った」けど、次回からは「私が相方を連れて行く」。だって、お父さんに「Lynnならいつでもおいで」と言われたもん。相方が自分のブログにこの句を詠んだ時に念のために購入した黒いスーツは、幸いなことに着ずにすんだ。お父さんは元気になった。その黒いスーツは、近々着るかもしれないので、こちらの家に持ってきてある。一応クリーニングに出そうと思いカバーを外してみたら…あーら、びっくり。8年前に買ったというのにタグがついたまんま。8年間もカバーをかけたままハンガーラックに吊るしっぱなしだったのね。男の人の一人暮らしって、こんなものなんでしょうか…?