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猫(ねこ)とロックと楽天狂。

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Jun 2, 2014
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好きな曲というのは何度聴いても飽きることがない。

シアトリズムFFカーテンコールのリズポが40万を超えました。ただプレイしたことのない新しめのシリーズはなんだか流れにハリがなくノリながらやるのがむずかしいし、好きではないから練習しても嫌になってしまう。昨今のFFはもうこちらに委ねるものがない、単に動かせる映像のようなイメージだけれど実際はどうなんだろう。FF1~9までの曲はシーンごとのメリハリが効いていて、特に初期はほんとうに「THE ゲーム」という感じがする。そんなふうにシアトリズムをプレイしながら甦る各シリーズがなつかしく、あらためてサントラを聴きたくなったり、ゲーム自体もやりたくなってしまった。ちなみにわたくしのプレイタイトルにつきましてはゲームメーターをご参照あれ。

と、そんなふうにばかりしていられたらよいのだけれど。

ふと、自分の姿や思いは、人の目にどう映っているんだろうと、おもうこともある。
そしてそれがどうであれ、わたしにとって意味を持たないこともまた、知っている。
猫男爵が肉球キック然りのしかかってきてくれること、願いはいつも叶わなかった。
あんなこと、比喩なく、ぼかしなく、すべて正直に言葉にしてみたらどうなるかな。

ツイッターでのつぶやきも恨みつらみが顔を出すような望まないカタチになってしまいそうで、人生初の身体にメス!からなんとなーくあっちを開く気になれなくて、こっちに書いている。あっち=ツイッター、こっち=ウェブログ、文字数での使い分けというよりどろどろのきもちの問題みたいでいやなことだな。ここを残したのはバロンが在るからだけだというのに。木曜午後のシュジュツ日から有給も合わせて三日間半、何もする気になれずに(しちゃいけないんだけど)石像のように過ごしながら、しかし、ナンダコレとおもいつつ本日月曜日から出勤している。Macと向き合うデザイン課業はともかくうまく声を出せないので、人と向き合う外部からの電話を一番恐れていたけれど今日は無事乗り切った(社内の応答はどーにでもなる)。

上司にはこっそりと「休んでいるときにそれとなくみんなに言っておいたから、堂々絶って働いていいから」と言われ、カイシャにて働くセイシャインの最低限在るべき姿の概念を覆すお達しに、望んでいたわけでもないのだから喜びもなく、居づらいなかに辞めづらさまで付加されたようなきもちで、ただただ背後にあるすべての元凶を微妙に感じながら、またも過ごしておる日々です。元凶は「会社はじきに辞めます」と言いながら、じき=すぐに、という言葉の意味も知らずに用いたのか、何ヶ月経っても辞める気配なし、辞めたところですでに同じく辞めることを決めているわたしにはさして意味もないのだけれど、「辞めようと思ったらすぐに辞められる!」と言っていただろオマエ、という憶えもあり、また嘘をついたのだという事実だけが、またひとつ積み重なって、じわじわとありけり。

しかも病み上がり出勤早々に元凶へ電話を取り次ぐはめとなり、相当のゆるせなさ&苛立ちのかなしみどーんへ変わったものがこの身を占拠す。元凶が誠心誠意謝罪してくれれば、わたしの或る100は100のままでも、或る100は90になるかもしれない、そういうことですこしはラクになる部分があるはずなのに、その元凶というだれかはずーっと三年間、100か0になるようなことにしか興味がなくて、それはもう、自分で見えないことには興味がなく自分だけよければそれでいいっていう証なんだな。記憶違いでなければ、かつてはそういうひとではなかった気がするけれど、その変化に対しての怒りやかなしみを感じるのではなくて、ただ、こんなやつが人を愛し人を育んでいる面をオモテにしているのだとおもうとその理不尽にはらたつのり、ということです今は。

わたしの片耳が一時聴こえなくなった折には「俺のせいだから俺は何もしないほうがいい」と言って、なんだこいつはと小さくおもったものだけど、そうして終いには何もかも「今だけを見ています」と言うのだから、結局自分が生活で傷を負うことへの逃げがあっただけなのだろう。わたしが100を99、98、と一歩ずつ小さく歩んでいくなか、「最後まで付き合うよ」と言っていた元凶は「あのときはそうだった」と言うだけの、ほんとうにとんだ嘘つき野郎だった。わたしは嘘つきが嫌いだけれど、守れない約束を予めしてしまう罪より、約束になった言葉を意志する思いの見えないこと、そういうふうに言葉を用いる人間が昔から大嫌いで、だから、言ったことを「かつての約束がどうの」と穿るのではなくて、そのような意味で、「言葉」を何とおもっているのだと憤慨した、ハイ。

自分がたくさんのものを失ったとき、何ひとつ失っていないだれかに目に見えるもの何かひとつ失ってくださいと、ツイッターなら一番簡単だろうと願ったものの、やめるどころか膨らませてやりとりや絵を描きつづけていて、それに追いこまれてやめてしまったけれど、再開してもそれはわたしの遡った交流のなかに潜んでいて、衰えることない相変わらずのツイートが目に入り、しかもそれでアイコンも名前も変えていないことを知って、ほんとうに、ああこういうやつなんだなとおもった。なんというか、絶望した。ますたーべーしょんのような自己満足と快楽の中にある他人への思いなんて微塵も意味ないし、それを知れよ、との思いもまた蘇ったけれど、それを越えて今やつは楽しんでいるだけであろうなとまた憤慨した、ハイ。

そういうものぜんぶ、かなしみどーん、ってすり替えてくれるのだこの身は。
で、それが、やっぱりだんだん、重くなってくるのである。そうだよなそりゃ。
おれのからだはサルでもこころはザルじゃないんだからよ。なんだかな。うまい。

そんなアンニュイ〜な思いのせいなのか、シュジュツの前日に、そのだれかが、謝りに来る夢を見た。「わたしのしたことは全部置いて、自分のしたことについて謝りたい」と言って、ほんのすこしだけ荷が降ろされたようなどこかがあった。夢に出て来ることすらひさしぶりであったし、夢から覚めたとき、これが現実であってくれたらな、とおもったけれど、もちろんそんなことは一切なく元凶は元気な半袖で淡々と仕事をしていたので、麻酔の効かない頭で恨みつらみを思い描きながらメス!を乗り切った。もはや血を吐いているときなんか、吹っかけてやりたいくらいでね、まあ持ち帰ってやるほどの元気もないからやらないけどね……うん冗談……、じゃないよあんまり。そんくらい憤慨しているんだよ、ハイ。

三年も経つのに結局書いていることは変わらない、こういうことおもっているうちにしあわせはない、そんな、ごく一般的な感想を自らおもいながらも、ひとのきもちの奥深くは、進歩や衰退のようなわかりやすいものではないこともまた、よくおもう。しあわせという目に見えず人によりけりな値について、昔とおなじ形で感じられるかと言ったらたぶん違うだろうし、いちいち人間の在るべき姿のセオリーみたいな人や言動を振りまくものすべて今も必要ない。ホットケーキの匂いで目覚めるのはよいなあと思う、例えばそれだけが今も自分で選べるしあわせなんだな。もうそろそろ夜明けのコーヒーを飲むのアリかなと思うけど、三年で10キロの痩せ太りを繰り返したからだは人様に見せたくもない有様となってしまった。まあわたしのそういうしあわせについては、今後ご検討ください。これはまだ見ぬどこぞの方へ、笑

だれかがいなくて、カイシャもなければ、もうダイジョーブ。でも元凶は、ここにもいて、あそこにもいて、わたしの身体にもいて、世界に生きていて、息をしている。どうでもいいとは思わず、不幸を望んでいると言ったら、嘘にならない。自分が何をしてもしなくても傷つけていることを分かっていながら、何もしないことを選ぶのは怠慢だと見ていておもったし、それを伝えたからこそやれることはあったのに、自分を守る布石や堤防だけしっかり打って築くようなだれかに、気づいてないんじゃなくて、ずっと目を瞑ってきたんだろうなわたしは。それをかなしみに切り替える術を身につけて、まあそれが新たにこころを圧迫していると言えばそれまでなのだけど、そのかなしみに恨みつらみで切り口を入れながらなんとか、逃がしているようなかんじで、これでは昔と変わらずであるな。

昔のわたしに対して、大変だったなという憐憫はあっても、愚かだったなんて卑下するようなことは、思わない。なんでかね。くっそしねしねみたいな思いのウラに、今はもう小さくなって見えなくなったミクロななにかが、結局消滅せず残っているような気がして、だから、未だに、謝罪せよとおもうし、失ったものを返せないならオマエも失えって、おもうのかもしれないし、ゆるせないのかな。いや、逆かもしれないな。愛憎がなくなれば相手の進退はどうでもよくなるはずで、あとは自分の益のために相手をどうするかどうもしないかっていう選択になるとおもっていたんだけれども、その状態は愛憎の有無どれでもあてはまるものだし、なんだか考えれば考えるほど縫った場所からいけないものが出てきそうだ。

さて、そんなこんなでね、どーでもいいんです。ただ、ここを、そのだれかが見ていることなんてないけれどもね、それでも珍味盛りのひとつでも持って、すこしはその口で謝ってほしいです。わたしは見えるものひとつも奪わなかった。それは人間らしいようで人間らしくもないようで。その代わりに自分の人生がどんどん貶められて信天翁。元凶よ、オマエがしたことしてないことによって、そうなってしまった事実に対しては、向き合ってほしいよ。なんて、自分をくそと布石打っちゃっている輩であるしムリだろうな。それでオマエは人の親か。そう、いつでも怒っているよわたしは。

さて、表層までいつも憤慨しているわけはなく楽しきこともあり。

病院前日に友人が猫を飼い出したと言うので見に行きました。産み落とされてそのまま放置されていた野良の仔猫のようで。わたしは初めて猫を飼うときには何もかもが精一杯で、写真におさめたりなど記憶にも記録にも残すことがてんでできなかったものだから、バロンの幼き頃を思い出して身悶えてしまいました。そしてわたしがシュジュツをしておるあいだに二匹目を飼うことになるという怒濤の展開を、おいおい初めてで二匹も大丈夫かと危惧しておりますが、まあ友人の家を訪れる楽しみが増えたような感じで、わたしも僭越ながら協力していく所存です。

また、最近ゼリーしか食ってねえなという苛立ちで昨日はがんばっておそうめんをすすってみたわけですが、まあいつもの何倍も食べるのに時間はかかるわ嗜好通りにつゆにわさびを入れてしまって怒られるわでもうおれは、おれは、というオレオレな状況のわたくし。まあ流血も腫れもおさまりだいぶ元気。「快気祝いにはごはん食べに行こう!」という親友の言葉も目下の目標であり、シュジュツ前後で行くことができなかったシュロッダー・ヘッズやOGRE YOU ASSHOLEのライブをバネにして、来月頭のSISTER JETは仙台に遠征しようとおもっています。するもんね。第二回は乞うご期待的なおもいで置いて。

行きつけの店がいくつか出来て、こちらもお客を越えて贔屓にしてもらえたり、そんな小さなつながりが、今のたのしみでもあります。ここまでわざわざ来て読んでしまうようなひとともまた、小さなつながりを持てればいいな。ほんとうにね、小さなことを積み重ねて生きてます。それも、元凶への憤慨に結構簡単にバラバラにされてしまうのだけれど、でも、昔と違って重ね直すことができるようになった。だからこそ、ツイッターにもどってみたのかもしれないな。きっかけとなったcocaさんの絵も相変わらずすばらしく、見ていてうれしくなる。そういえば御本が出る頃だけれどもなんだかついったを開く気になれんからどうしようかな。通販サイトに出ているかな。

などなど脈絡つける気もなく、ドーナッツ否アンドーナッツの穴へごみなどを詰めてみた。

最後は比喩。

ではではまた







Last updated  Jun 2, 2014 11:32:50 PM
May 9, 2014
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8割で退職の意志、2割で継続の意思、もろもろ持ちながら考えるのもありかなって、保険有でのパート勤務ならしばらく可とも付け加え、後者は我ながら卑怯であるかな。お給料はがくっと下がるだろうけど、仕事量より堂々とコミュニケーションや何かを断てるのが重要で、あとは今よりすこしだけやすめる時間とお金のこと。先日ちょうど長期の仕事をひとつ終えて、「あなたにお願いしてほんとうによかった」とクライアントに言われたばかり、これで終いにできたらと思ってた。

お金を稼いでいるんだと思えば、安売りチラシのパレード仕事さえ耐えられたけど、とにかくそれ以外で、一部の無機質なひとを除いての、社内のなにを見聞きするのも苦だった。ゴールデンウイーク前に一度、辞める意思を伝えつつ、細かい時期は保留にしておいて、病院へ行ったりなんなりをこなしながら、もろもろを固めたいと告げ。アオイトリの場所で、それをおざなりにしないように自分へリプライを飛ばしながら、ちいさく見守ってくれていたひともいて、ほんとうにどうもありがとう。

上司にだけは、ここ数年での心身の疲弊具合と、語れるまでの真実は伝えていて、最低限の手続き上でしか周知することないように、一番よいように辞めさせてあげたいと、そう言ってくれていて、嘘でも誠でもそんな風に言ってもらえたことは、ほんとうにありがたかった。今日は、その保留分を決めた旨を伝えて、お昼に呼び出されたまではよし、なのに、なんだかかんだか、そこでまったく予想だにしないものが返って、面食らってしまった。

待遇はそのままに、仮の周知をして彼女の働きやすいように変えてあげてほしいと、上司はそのまた上司からこっそりと命を受けたらしく、この事実は三人だけの密談として、これでしばらく働いてみませんか、と言う。わたしはそれでいくと、今のお給料などそのままに、休むことへの周囲の目もかなりなくなり、堂々と定時に帰り(今も帰ってるけど)、堂々と仕事以外の交流を断てることになる。名ばかりの役職付きと最初はひんやり見ていた彼はそれなりにがんばっていて、今ではえらい立場からえらい提案をしてくるものである、驚愕した。

予想外の出来事にうんともすんとも言えず、考えてみて、ということで場を退散。代わりなんていくらでもいるでないか。扱いやすいひとを雇い直したらいいのでないか。新人や契約社員が入ったのだからひとりくらい減ってもよいではないか。びっくりだな。なんで???というのが、率直な感想で。その後仕事をしながら、ぐるぐる、早速リーダーから深夜仕事の話を振られたが、お断る。気持ちの面を汲んでもらって、ほんとうはお金のことより、働く時間や体調のこともあったんだけど、もうすこし、これでやってみようかな。けど、これじゃ周りも、自分も、変わらないんだよな。ぐるぐる。

デザイナーとして10年勤めて、いろんなことがあった。新人の頃はわけもわからずディレクターもコピーライターも兼務したり、宗教じみて狂った外部が会社に乗り込んできたり、そうして多くの中堅が辞めていった。一番やりがいを感じたのは、ある作家の展覧会のデザイン一式をコンセプトからつくるところ。気に入ってもらえて図録に名前まで残してもらった。大変な「仕事」もそれだけじゃない「事」もたくさんあった。で結局、わたしがナンバーワンと思いつくのは、光熱費の節約と割り切った仕事のスピードくらいなんだ。うん、そんなことなんだ。感慨ないな。もし、「就職」「働きやすさ」という観点だけで見るならば、こんなに優遇されてあなた何を言ってるの?と思う人もいるはず。ん、わたしもそう思う。

だけど、病欠の有給届を出す時の、出社しづらい休みの翌日のあの捺印、10000回押せるシャチハタのインクがとうとう薄れてきてね。もちろんそれだけの判子じゃないけれど、でも、何年もこんなに判を押さざるを得なかったんだなって、いろんなことかなしくなって「ああ」と、辞め時をおもったんだ。わたしが、なんのためにここにいて、なんのために仕事をするのか、それが明確に善悪なく信を持てるならどこだっていいとおもうのだけど、自分のこと考えてもらって、一瞬こころを取り戻して人間のようになって、でもまだぼんやり、あの、苦痛の人の檻の中と、必要とされる気持の中で、考えてしまっている。どうだろう、ほかにもあるのかもしれないな。

ゆかりおねえさんの今週の乙女座、

今週以降貴方が受けとる「ギフト」は、
貴方の労力や心遣いへの「報酬」の意味を持っています。
もし、多すぎるように感じられるなら、それは、誤解です。
貴方が貴方の影響力を過小評価している可能性が高いと思います。
ほか。

これはギフト、なんですかな。
ちがうとおもう。ではほかになにか?

明日はやすんでゆっくりします。
ではではまた

Last updated May 9, 2014 11:49:14 PM




と、昨晩は吐露書き記してねむりについたわけだけども。その後カイシャの夢をうっすら見てひんやりぼんやり目が覚めた。ああ、わたし、ラクになったんじゃないな、追いつめられたんだなと、思った。色んなところから隔絶して書いている今でさえ、なんだか落ち着きがない。

今日、いや、もう昨日なのか。親友がおいしいおそばを食べに行きましょうと言うので、連れて行ってもらった。古民家を改装したという味のある佇まいにとどまらず、食事も美味なものだった。お値段もすこし高めだけれど、その価値はあったな。美味しいものをゆったりじっくり食べられるのは、しあわせなことだなと思う。最近、というか、ここ数ヶ月、食べ物のことに関してだけは、ああうまいという感、まさに実感という「感」がきちんとあって、相変わらず求めてふらっと臨んでいる。

痛いことにはとっくに慣れているから、そういうことに関する恐怖はあまりない。だから、月末から予定している手術や、諸々身の痛みなんかは、なるようになると思っている。ただ、これからまた繰り返す病欠云々、そのための仕事の調整のこと、そういうことが、憂鬱だな。とても。人の目がどうとか、心を気遣っていただいたわけだけれど、もはやそういう問題でもないんだろうな。あの場にいる自分を含めたすべてに対して、どうしようもないきもちになってしまっているんだろうな。

新人のころ、或る会社の社長が「会社は仕事で選べ、人で選ぶな」と言っていて、とても共感した記憶がある。今でもその言を思い出しながら耐えている節も、あるかもしれない。でもそれは、「仕事が嫌いでも人間関係の居心地がいいから働く」ということを否定する意味合いでのことで、その逆の「人間関係が悪くても仕事がよいなら働く」ということを推奨しているわけでは、決してないような気もする。と、そんなことはいちいち指針にするつもりではないけれど、度々思ってしまうのです。

さて、新しいページを増やす気にもなれず、追記してしまった。
昔はこんなものをしたためているとバロンが後ろにやってきて、
下手くそな香箱を作って見張りがてらねむったりしたものだった。
あいつは手も合わせないわたしを、今もどこかで怒っているかな。
怒って逢いに来てくれたらいいな。ほんとうに。

明日のことは目覚めたらそれから。
ではではまた








Last updated  May 11, 2014 12:41:02 AM
Apr 16, 2014
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ここに書き溜めたものをすべて棄て、あちらでそれを標題のように詠んだ。離れてから今まで時間や言葉を用いることのなかったあの青い鳥の場所が、再びそれらを費やさせる。けれど、以前より見知ったひとたちを集め、そこに新しいひとをすこし加えて、それらに会いに行くような感覚も経て、暇つぶしよろしく馴れ合いSNS的感覚でもなく、おはようおやすみを越えて一種だれかの生活と交わるような、不思議な場所であることを感じる。あまりたくさんの人、感情や言葉と関わるのは負担なことと、数の「22」には猫の日死んだ日もろもろこだわりがあってしまうようで、今のところタイムラインはこれ以上増やせぬもようだけれども、心機一転でもしたら「222」でも目指してみるか(いやあもう充分やって)(昔だって100までが限界だったのだから)。

昨日はWindowsの移行作業程度で久しぶりにあまり仕事がなかったので、調べもの体よくネットサーフィンをしていた。最近通っている喫茶店の派生から珈琲のことを調べたり、なぜかそこから手巻きタバコに繋がったり。最近またタバコを吸おうかなと考えていて、今や存ぜぬ高値のことより、また何かを同じように始めるのがいやだなと思っていたので、自分で選んで一本ずつ作るという所作をとても魅力的に感じた。あとは、ずっと中断していた英語の勉強(とも言えるほどでもないが)も再開しようかな、と、おやこれだけ見るとポジティブで前向きな様相、だがそうでもない。下を向いていないだけ。どこも見ていないだけ。それでも気分が沈んで身体が固まって動けないことはほとんどなくなったし、だれに会いにも行けるようになった。

今までと違うところでの色々の限界を迎え、会社を辞めると決めてから、上司にはその旨を伝えるものの、昨今の己の異様な様子には気を配っていたようで、辞めてほしくないけど辞めてもいいし、辞めたいなら辞めやすいようにするし、いつまで考えててもいいし、ここ数年突然休んでしまう時の様々な理由も、根掘り葉掘り聞かずにいてくれ、今わたしは大勢の前には出られないし挨拶なんかもほとんどできなくなっているんだけど、それも今はそのままでもいいと言ってくれ、大概よき上司である(少なくともわたしの前では)(裏で何言ってるかは知らないし関係ない)(しかし絵文字の励ましはオドロイタナア)。今と同じ働き方は無理と考えているのだけど、パートのように働けるならというやり方もあって、迷いだしている。

この会社でのデザイナーがそんな感じで勤まるのか、フレックスタイムなら何とかなるのか(やりとりもあるし下版検版の作業もあるし)、湯治や整体などは別としてもまだ病院に通ったりせねばならない平日があったりするし、保険付きのパートならば給料半分位になっても実家住まいでなんとかやっていけるか、など、現実問題として、いろいろ考え、思い、考え、知人で、会社を辞めてスッキリしたひとがいたり、友人で、契約が終了しそうでアワアワしているひとがいたり、ただ、辞めた後のビジョンがまるでないまま辞めるのは非常に不安だということには行き着いて。昔ある会社の社長が、「働くことで迷ったら人でなく仕事で選べ」と言っていて、それに当てはめると、そんなに辞めるべきでもないとも感じてしまったり、まあからだは微妙なわけですが、

そんなことまで考えたくないほどに、したいことじゃなく、したくないことだけが、山積み
心身がそこそこ疲弊して、こんがらがって、がっしゃん。うああ未来がつらいわあ

で、一日が過ぎゆくしばらくであります。
ってここまで書いて耳から血が出てきたどうにかしてくれ。(耳たぶだから大丈夫だ)

わたしは、自分がこんな風になったのを、半分は自分のせいだと思っているし、半分は彼のだれかのせいだと思っているので、いっそどちらかに振り切れてしまえば、もうすこし道はラクだったのかなと思う。そしてその半分は、自分だけが笑顔になれる方法をとったから、そんなものと、バロンの死と、もろもろを抱えながら、いろいろな迷惑をかけながら、この三年、よく生きてきたなあと、思わなくもない。自分の持ち物全ては、他人のそれと比べて測ったりできるものではないし、同じ額面を頂戴しながら同じことが出来ないのは何故だとの仕事での理論は最もだけど、だれに雇われているでもない人生でのそこでは、こんなことに耐えられる人と耐えられない人がいるというのはあって然る、つらいもんはつらいししんどいもんはしんどい、それでその責任と対価を負うべきひとが負えばいいだけの話なのであるが、世の中理不尽であるなほんとうに。

よくここを訪れてここまで読んでくれるような殊勝なひとには気づいてもらったかもしれないけど、いや自分で気づいたんだけど、ちょっと文がもどってきているな。むかし彼氏の愚痴なんかを書いていた平和なころに。すべてを箇条書きにして分別していたあのころに。ひとを愛せるなんて知らずにいたあのころに。古いものを忘れながら新しいものはすり抜けていくような日々、そんなからっぽなことをつぶやいたけれど、忘れたいことと忘れたくないことはおなじところにあって、今もくすぶっているような感覚が確かにあり、しかしいずこの時間にも自分にも、もうもどれやしないのであって、「一度結んでしまった縁はもうなかったことにはできやせん」とは猫侍の第五話から、縁とは自分と他人を結ぶだけではないのだなと切感します(そんな単語はない)。

久しぶりにこのような恥ずかしめな書きものを記して、折角だからすぐにやって来るゴールデンなウイークのおはなしもしよう。昨年は那須へ行って民族衣装のおじさんと陽気な挨拶を取り交わしアルパカにウハウハしミュージアムでトリッキーな写真を撮りまくられたなどの残骸が一部ここにも残っているわけだが、その頃のルックスはパーマもじゃ頭でも今はすっきり羽生王子です(高良健吾のほうが正しいか)。山形のくらげ水族館に行きたかったんだけど運悪くリニューアル中みたいで、くっそトーキョーに行くか、わたしも森美術館でウォーホル展観たい、でもトーキョーこわいからひとりじゃ行けない、PASMOの冬眠は永眠になるかもしれない、ってな感じですまぬ結局いつも通り、積読本制覇、ゲームやり込みもいいな、ライブもあるし、そんな選択肢いくつか、何をしようかしら。

さて、スタンスの問題で、コメント欄をもとにもどそうか迷った。でも、おれのなかをただ覗き見するようなここでコミュニケーション必要なしっておもうしね、このままにしときます。すべてをポジネガでくくられそうでそういうの何だかすごくめんどくさい。そもそももそもそ何かあったらabout meでも簡単にメールを送れるし、とにかくこのままにしとくけど、どっちでもいいからこのままにしとくだけですから。うああ未来がつらいわあ。など。など。もう三年もしていない、恋もセックスも愛も特に要らないけど、機会があったらまたしてもいいかなと思えるような、あの頃の奇跡のような自分を取り戻すことだけは、叶えばいいなあと思っています。

ではではまた







Last updated  Apr 16, 2014 08:58:51 PM
Feb 21, 2014
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金曜日の夜に店のカウンターで酒を片手に書いたものを上書きしています。改めて読んでみるとちぐはぐで適度な酔い加減が露呈されており、ほぼ一日だけのアップでしたが読んだ方がいらっしゃらないことを祈ります。とは言っても、消さずになぜ加筆しているのかと言うと、この日記が、人に読ませるために書かれた気がしたからです。人に向けた魅せるもの、という意味ではないのですが、純粋に、自分のこころがそちらに向いていた、という意識です。それは、ここ数年、自然にはなかったことです。この土日や昨今のことも含めて、もしここに望んでいらっしゃった方がいるのなら、すこしだけ、恐らく長文になりますが、お付き合いくださるとうれしい。

久しぶりに母と諍い、翌日には違う理由ですが、父にも苦言を呈してしまいました。普段、夫婦喧嘩はおろか、家族間の諍いもほとんど皆無な家庭です。自分で言うのも何ですが、両親・他人のバランスがとれたよい関係だと思います。会社に居たくないのはもちろんのこと、仕事をしたくない理由も重なり、そこに目を瞑って仕事をつづけながら、今までだれかに与えられてしまった家に帰りたくない理由をようやく乗り越えて居心地を感じていたのを、また一気に帰りたくない方にもっていかれてしまい、気付いたら、時たま友人と訪れていた店にひとりで足を運んでいました。とにかく、居たくもないし、帰りたくなかった。こういうとき、行ける場所を見つけておくことはとても大事だと、切に思いました。

二十代では、人・会話・食事への添え物であったお酒ですが、歳を重ねて、それだけでいいと思えるものに出会い、また、ひとりの時間を楽しめるようになった、というより、切迫してひとりの時間が必要だった、ということもあるのですが、どちらにしろ、自分のお酒を飲む心持ちというものがすこし変わりました。一人飯や一人ライブにはとうの昔に慣れつつも、外での一人飲みだけができなかったのは敷居云々ではなく、今までのそういうお酒に対する、~のためという、演出道具のような認識が強かったからなのかもしれません。

とは言ってもすでに量は相当に飲めなくなっており、身体を壊してからはどんどん弱くなる一方で、年始にこっそり飲んだワインは一本で吐いてしまい、どんどんと飲む量は減っているのですが、こうなると一人飲みを楽しむにはむしろ好都合だと気づきました。昔この店を訪れた際に頼んだホットラムがことのほか美味しくて、すでにそれはメニューから消えてしまっていたのだけれど、それでも店員さんに声をかけてみると、材料があるからと言って作ってくれました。今回はクランベリーの風味で、これもとても美味しかった。鶏白レバーのパテも相変わらず絶品で、こういうとただオシャレなアラサ―感が満載だけど、白子ポン酢も食べてます。美味い。

ゆっくりと目の前のものを味わいながら、ただぼんやりとする。思えばそんな時間は、この数年いつどこにでもあったのに、そこにあるのはほんとうには求めていないざわめきかしずけさで、美味な「肴」もいつだってなかった気がします。これからは、ゆるっとしたきもちでいろいろ訪れようと思えました。これからの出費は、物欲よりも、こういうところにかけようと思いました。今年に入ってからも割とずっと忙しくて、湯治も施術もドーピングのように儚く。やめたいな、なくしたいな、ほとんど、すべて。そう思いながら痛む右手と酔いにふと、飽きるほど思いながら忘れた何かを見て、アスピドケロンの夢を、したためはじめ。それは、一番最後に回しますね。

見たくない、関わりたくない。これが九割以上になると、善し悪しあれ大きな抑止力になります。それが、今の自分が持つとてつもない刃物を、振りかざさない理由なのだと感じました。だれかを想ってのことでは決してないことを知りました。ほんとうに、ずっと、何も思い出にしたくなかったから、精神も病んだし、身体も壊しました。今では、そのときの感情も在り方も信も置いて、したことされたことの事実だけを見ていました。そこにまた、事実を置いて、それをするために、良いことだけを消し去るのに、三年かかりました。そのことを、相手にはほんとうに、それだけはわかってほしいと思います。

切り離せたと感じたから、ツイッタを再開しました。と言っても再開には理由もあって、ある方をフォローしたいきもちになったからです。cocaさんの絵は以前からずっと拝見していたのですが、久しぶりに動向を調べてみると新たにいろいろと描かれているようなので、見ていたいなと思ったのです。あの線を見ていると、不思議と凪ぎます。そうして、何となく、憶えのある名前もふらっと探しました。どうしてるかなあなど、よぎったことのある方々が、まだ生きていて(何と失礼な)、そして憶えていてくれたのが、感情を露わにはできないのですが、うれしかったと思います。あんなに忘れられたかったはずなのに、おかしなものです。

確かな何かを置きにくるひと、置きつつもさりげなくあるひと、数日タイムラインを眺めたりつぶやいたりしながら、思えば昔もこの二通りで構成されていたことを思い出しました。連なる情報過多の前者に戸惑うことありつつ笑ったり、しずかに流れる後者のTLに哀しくなったりほっとしたり。こんな感じだったって、ノスタルジックな思いが湧きました。またあの場に悩む日が来ないように、と思ったし、確信ではないものの、大丈夫だろうと、ふっと力が抜けたような再開で、まあさりげなくつながっていこうと思ってました。

と、そう思ったのも束の間、翌日、ツイッタの余計な機能にやられて、変わらずに生きているであろう、今生見たくないものを早々に目にしてしまい、淀みました。おそらくその荒れてしまったところは、今では一晩経てば忘れるはずなのですが、その日一日はやはりもやもやとし、絶対に忘れないところに蓄積されているものもまた増えたような感じがして、とても嫌な気分でいました。ぶらぶらとし、湯治へと向かう途中も何度か道を外しました(そういう道ではなく、またそういう道でもないのですが)。着くのに三倍の時間を要しました。

ただ、金曜日からほんとうにストッパーがなくなったように、ふらっとしたきもちが旺盛になり。いつもどおり湯治に向かい、湯とは反対方向へ歩いた先でふらっと入った喫茶店の雰囲気がすごくよくて、丁寧に豆を挽いてくれる珈琲も美味しくて(しかも安くて)、若きマスターとずっと話していたら、いつもなら面倒と思うのに、全然そんなことはなくて、いつまでもいられるような心地よさがあって、何かとてもよいものを見つけた感じがして、湯でもぼんやり、そのお店のことを考えていました。場所に恋をしたようなとでも言いますか、見えないものになら恋ができそうな、よい感じがしました。

そうして今日も出た先で、雪よけのためにいつもと違う道を通ると知らない店があり、小じんまりとした木調のお洒落な感じで、目的とは違うもののふらっと入ってみると、外観からは想像しない、ファンキーな髪型の年配のご婦人が店主で、これまた想像していない、インドカレーをいただきました。添えてあるキャベツがクセになる味で(クミンシードを使用しているそうです)、いろいろとお話をしながら、スラングがどうのとか、もとは東京の方だそうで、なかなかに経験をされた方だと感じました。最後にはタメ口になり、雪に感謝と見送られてそのとおりでした。ただその後本屋で延々立ち読みをしてしまい、湯治の効果をすでに失って今週乗り切れるのか心配です。仕事山積み笑

久しぶりに見た石井ゆかりさんの占い(わたしは彼女の言葉が好きだったのですが、今ではそれに心酔する人たちの多さとある種の嫌悪感が生まれて、しばらく見ていませんでした)。今年今月今週の乙女座のテーマには「繕う」とありました。それは表面的によく見せるための繕いではなく、ほころびを丁寧に繕うような意味合いで、書いてありました。ツイッターを再開したところから、今も、何となくそれが、わかるような気がしました。今どこかを、ゆっくり自分で、どうにかしている感じがあります。ひとのちからも借りながら、というところが、ミソのような気がします。見えないところで、助けていただいてます。たぶんきっと。

「破壊・再生・アスピドケロン」

先日某日枕元の殴り書き。こうしてキーワードを残しておくだけで、見た夢の内容もちゃんと憶えているものです。そこにはたかだか夢と笑えぬ、ここ数年感じたことのない動悸や感情がありました。現実でもそれを忘れたくなかったのかもしれません。新たな場所を見つける、だれかを認め生きて行く、希望的観測のようなイメージでした。「たいせつにされた」ことに、自分のこころがふるえた感もあって、そのきもちを忘れたくなかったと思うのに、もう忘れています。だから内容を書き起こしてみたんだけれど、文才がなかった。言葉にするとどこか脚色される感じもあって、読み返してすごく嫌になって、結局ぜんぶ消しました。

ゆるせないことがあります。それには理由がありました。表面的な当たり前すぎる理由と、それよりもっと深い、自分だけが理解できる理由でした。そういうことを忘れるのに、三年かかりました。今では、ゆるせないという事実だけが残って、それだけを見ています。きっとこれが、そこには愛も何もないただの「執着」なんだと思います。その事実を「身銭」で買い取ってもらえればいいとずっと思っています。そして、買い取るだけの責任はあるはずだと。そこから振れないと決めてこの一年、半年。喜怒哀楽はあるのだけど、浅い場所にしかありません。何か深いところと向き合うものは、すぐに飽きて見なくなる。何かすごく思うことがあっても、それはすぐに忘れる。

誕生日に、新車を購入しました。某社のツートンで、とても気に入りました。買ってからすぐに、バロン色と言われました。でもナンバーをバロンにしたことは、ほとんど誰も知りません。今はもぐおだろうと父に言われてから、だれにも話もしません。もぐおというのは、今年で二歳を過ぎた我が家のトンキニーズの名前です。やんちゃ坊主でかわいいけれど、猫はみんなかわいいものだし、特別な感じはあまりありません。もぐおがわたしにとって「我が家の猫」だとしたら、バロンは何だったのだろうと思いますが、上記のとおり、それを深く考えることはありません。

ねこの三年目の命日。それでも、時間とともに築かれてゆく見えるものは、きっちりシワだけのようでした。見えないもの。何も流れてなどいかないもの。消えてなどいかないもの。それの存在の重みだけは、感じました。今でもぼんやりしていると、じっとこちらを見ていた姿や、咳込んでいた姿とともに、奇形露にのたうち回って冷たくなった一連を思い出します。異常気象の暴風雪、真冬の真夜中。なくして、なくした連日のこと。その後につづく、ゆるせないだけのこと。このときばかりは忘れている感情という体積が、ぐっと押し出されたように苦しくなり、孤独感が残ります。この数年の残骸、不愉快で理不尽なものたちとともに。

アスピドケロンの背においては、相反する、死の要求と生の要求がありました。そこでわたしは、死を選んだのですが、死ぬなと止めた声と身体があって、そこで目が覚めました。あれは一体だれだったのだろうと思いました。ただとても懐かしいようで、夢の中なのにそんな匂いがしていました。思い出せもしないし、すでに切り離したことなのかもしれないし。それでもたぶん、その匂いをほんとうに忘れることはないんだろうと思います。

案の定、とても長くなってしまいました。見返さず。そろそろ帰るか。行くの方が正しいかもしれない。ほんとうに帰りたい場所は出来るのかしら。かつてあったはずのそんなところのことも、もう忘れてしまったような気がします。そして忘れているのに残っている。デスクトップは、薄めに同化させたバロンのまま。たぶんこれからも、このままだと思います。それと忘れたことの在りようも、おなじことなのかもしれません。







Last updated  Feb 23, 2014 05:25:00 PM
Jan 22, 2014
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「わかってくれる人に話したかった」という一言が陳腐に感じない関係性に「友達です」と締めくくったところに、このドラマには珍しく最後までじんわりした。ここに記したくなるほどに。うらやましいという気持ちが、湧いたのかもしれない。今日の『相棒』の話です。描写の仕方や小物の使い方までが好みで、また観たくなるような回だった。ホームズとワトソン。よかった。
そういえば昔、青い鳥のところに『相棒』好きの女の子がいたよなあと思い出す。顔も知らない彼女は、どんな顔をしていたのだろうか。顔を知らない人。顔を忘れた人。そういえば昔、わたしにも「わかってくれる人」がいたんだよなあって、思い出す。「友達」、「恋人」、「家族」、どれにもあてはまるようでどれにも当てはまらなかったし、でもどれにでもなれた。わかるっていう感覚は、理解することではないような気がします。言動で推察するものではなく、空気や色で感じるようなもの。かつてはそんなものがあった。そんな気がします。孤独と孤高の差はただ選んでいるか否かに尽きる。
久しぶりに、目に見えないものの話をしました。






Last updated  Jan 22, 2014 11:13:12 PM
Jan 6, 2014
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昨年末、ばかなことを考えていた。十枚だけ年末ジャンボを買って、ねこの写真に供えた。もしこれが当たっていたら、すべてをゆるしすべてをやめよう。外れていたらば、この手に得ることだけを考えよう。お告げと受けよう。そう思っていた。全く嬉々とせず、ようやく重い腰をあげて、調べたよ。そしたらなにか、半端な当たりがあったさ。ちょうどプラマイゼロじゃないか。あたりにもはずれにもならず。なんだこりゃ。そういうことでも賭けなきゃ動けそうにない気がして、だからこそだというのに、どういうつもりだよバロンよ。まだ得をしたり、ラクになっちゃいけないってのか。ねえ。なあ。ねえ。
この年末年始の休みが、自由な中身のない時間が、終わった。これから眠って、起きたらまた、ひとの顔をじゃがいものように見て、働く。中身をつくりだすように、欲にまみれて生きる。また繰り返すのか。うんざり。それはうんざりするよなあ。重たい荷物を独りで抱えている限り、一切を変えることができないと感じる。ゆるやかな身の底の不調が、訴えてくる。そんな風に自分のどこかがいつもはぐれて一致しない。ずっと。この汚い荷物に熨斗つけてせめて見た目きれいにしてほしい。もしくはもぎ取って破壊した上で賠償してほしい。ありゃ、おんなじことか。だれかよ。きっとできる。だれかよ。きみならできる。






Last updated  Jan 6, 2014 03:18:25 PM
Jan 1, 2014
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心のなかや頭のなかにある見えないことを形に、言葉にする作業をするのが、もう随分と久しぶりな気がする。それでもこうしてパソコンの前に座って、キーボードに手をかけると、すこしずつ指が流れ動いていくのだから不思議なもので。

美味しいお酒を飲める。嘘じゃない笑顔を向けられる人がいる。何かに何かを期待して信じて裏切られて闘ってなんじゃらほいとまどろっこしい感覚を味あわずに済む、こんな静かな、無感な年末年始、何年ぶりだろうって、思う。

いつのまにか、あけてました。おめでとうございました。
この台詞に実感ある元日が全然ないんだけど、それは生き方の問題なのかどうか。

最近、髪型を大きく変えました。雰囲気が様変わりして、会うひとすべてにすてきな言葉をいただきます。男嫌いしそうなマニッシュな感じで、この先どうしたいんだろうか。しかし、自分で言うのも何だが、結構似合っているような気もする。

お、いいじゃん。て、自分に対して思ったのとか、久しぶりすぎて、不思議。

自分で自分を好きになること。自分で選択肢を見つけて自分で選択すること。そういうことの中にあったら、例え褒められない何を選んでも後悔なんてしないもんで。思い返すと、ずっとそうだった。だから選んだつもりもないことだらけの中で、地に足がつかなくなって。

空を切るだけ。空振りで生まれた後悔と憎悪に、また振り回されてた。

昨年は、物欲と健康に関してすこぶるお金を消費(浪費)してました。目に見えるものに対して手に入れたり失ったりする繰り返しが、少なくとも一瞬の揺さぶりを感情として与えてくれてたし、でも自分の中に残るものって、結局何もないみたい。

ブツは目の前にあるのに心の中には何もないとか、たまに聞くけどホントだ。

車を買ったところから誕生日のことからそれから、言葉にする前に必要なあらゆる「感」を失ってしまって、そのままにずっとしてたし、それでいいと思ってたし、でも年始だし何か書いてみようと思ってここまで書いたんだけど、何か、何だろう。

手が止まってしまった。

いろいろ言葉にしたら、
わたしのここ数カ月ぜんぶ水の泡みたいな気がした。

何だろうね、わかんない。

ぷっつり途切れたブログ最終日を眺めて、
まったく同じことを今でも、同じようにそう思う。

感覚を伴わない涙は出てきた。

それでもこの時期の、
こんなに静かな、無感な状態は、何年ぶりだろう。

時たまそこはかとない孤独感に押されながら、
破壊と再生の瞬間をじっと待っている。

ような。


今年はできるものなら再び、信じたいものです。
それと、恋とか愛とか、とりあえず目を背けないように。

よろしくお願いします。

あとは、健康と。
欲ばってみる。








Last updated  Jan 1, 2014 02:57:06 AM
Aug 19, 2013
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バロンがしんで、いっしょにだれかもしんだようになって、あれから自分のどこかがそっくりそのまま止まっているようであるのは、知っている。それでもまた明日と起床して、日常に取り組み時に歪ませながら二年と幾月の日付を進ませてきた。そうやって、ふと時間というものがおそろしくて、たまらなくなる。過去として扱いを受けると、過ぎ去ったもうないものと一瞬にして流される。くせに、時間とともに流れていかないものは、多すぎる。つぶされそうで、重くて、それはきっと、苦しいし、それだけのことなのだ。苦しいことに、気づかないふりをできるようになってから、こころはカラというラクになり、からだはおかしくなりはじめる。何のために何をすることが正しいのだろうか。自分にもだれかにも、ほんとうに残酷なことができるチカラを持っていることが、そしてそれを使わないことが、愛でも忍耐でもなくただ怠惰のように思えた節はどこかでずっとあった。そのたび何かに飲まれそうで全身がふるえた。すべての底辺にあるのは愛憎などではなく、何かおおきなおそれであるような気がした。気づいてもどうにもならないことばかりで、もはや気づけもしないようなどうしようもない感覚があって、わたしにはもう何かを伝えられる相手もおらず、その何かすらもわからないような。おそれ。こころとからだがバラバラな感覚。心身害を与えるばかりで申し訳ないと、どちらにも属さぬどこかが言っているよう。おまえはだれだ。物欲の権化は、すこし前に新車を買った。納車は誕生日ごろ。誕生日なんて、こなくていいと思っている。車のお金、そっくり全額がだれかの痛みとともに届けば、終われるような気がした。ゆるせぬと抱えながら対してそれに何もできぬことは、後悔する自由さえないことと似ているようだ。そういえば、たすけてと、言えてもたすからないことを知ってから、いろんなことを忘れたのかもしれない。そんな気がした。






Last updated  Aug 19, 2013 01:31:52 AM
Aug 17, 2013
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盆。ひとの少ない仕事場でも変わらず、レイトショーで観たローンレンジャーに苦笑い、帰りの夜風が生ぬるくも涼やかで、今日も好意をすべては受け入れることなく、毎日からだは暑くて重くて、こころは含めたすべてを嘲笑に変える。どこの咳もなんの痛みもないのは、お酒を飲んでいるときだけ。わたしはたぶん苦しくはない。苦しんでくそみそになることは、もうなくなった。なのにこんなに、未だにどうしていいかわからなくて、かわいているのにぐちゃぐちゃな感じがたくさんあるよ。なにも要らないのに見えるものを頼る行動はなんだろう。昨日はじめて、バロンではなくて、もぐお氏が夢に出てきた。海賊船に乗っていっしょに旅をしていた。たのしい旅ではなかった。仲間や命、そういう宝をなくしていく旅のようだった。時間がすべてといっしょに進んでくれるわけではないんです。ゆるしたくない。ゆるせはしない。どっちも。どっちか。どうしてもゆずれない底には、なにがありますか。それをどうしたらよいですか。傷は自然に癒えることもあると言ったひと、傷をずっとたいせつに抱えていくと言ったひと、自分の傷でなかったり、本物の傷でないのに、そんなことを言うな。何を言っても信じられはしないし、何も言わないこともまた、不信になるだけです。そうやってこの二年と幾月で育ちました。では。帰ります。ねむります。身を投げるのは川の中ではなくベッドの上だけれど、そこではほんとうに帰れもしないしねむれもしない。苦しいってわかるうちは、まだ理解ができるのかもしれないです。たすけてとだれかに伝えられるうちは、まだ向き合えるのかもしれないです。いつでも息苦しさだけにしか気づけなくなって、ふとそう思いました。

キモサベ。






Last updated  Aug 17, 2013 12:41:43 AM
Aug 10, 2013
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明日は有給、土曜日はすっかり浮かない用をたす一日に様変わりしてしまったけれど、体調はずっと相変わらず、それでも今日は、重い扉がすこしだけ開いたような瞬間がありました。そのまましんでもいいのかと聞かれ、たぶんいいと思うと答えました。それを考えるのはもうやめないかと言われ、ここから先にいくのがこわいのかと問うと、つらいのとこわいのが似ているかもしれないと言いました。だれが一番つらいのだろうとつぶやき、それに、わたしのなかのわたしと答えました。そんな風になってしまってかなしいよと言われ、わたしはかなしくない、ただゆるせはしないと言った。何もしないことを恐れないことはゆるせないと言われ、わたしはただすべてがゆるせないと言いました。ゆるせないで合致しながら、しかし理由や展望は論じぬまま、それきりことばはありませんでした。さきほど観ていた二時間ドラマで、ふつうのひとは殺したいほど憎い相手がいるとき、その相手を殺せなくて自分を殺すのよ、と、電車のホームに突っ込むようなくだりがありました。自分を殺すとは、文字通り自殺することでした。確かに、こころだけの不完全なパターンだけれど、わたしは自分を殺しました。長いあいだ、時間が解決してくれることは、何ひとつありませんでした。ただそれだけをだれかが信じていると思うと、不信感と絶望感でいっぱいで、時間が与えてくれるのは、むしろそれだけでした。確実に自分の胸を刺して一年近く、飛び散ったものは点々とあるだけ、かなしみややさしさとは無縁の日常を送ってきました。毎日が毒と嫌悪と、それが、生きているということでした。こころの肩代わりをするように、この一年で更にからだのわるいところが増えたけれど、体重だけは食べてもどるようになりました。物欲や食欲に、頼ればついてくるものがあると知ったのは、このころでした。一年、二年、過ぎ去ればひとは月日を簡単にくくります。でも時間は、過ぎ去るばかりではなかった。「時間が滞りなく進んでいたとしても、いつでも川の流れのようにすべてを抱きこんでいくとは限らない。なかには留まりつづけるものもあるはずで、ときには逆らって退行しはじめることさえあるかもしれない」。このようなことばを本のなかに見つけたときから、もしかしたらだれかはそれをわかってくれるのではないかと、幻想を抱いたこともありました。ことばにしてもしなくても、相手に必要のないことは伝わらないものなのだと知るまでは。黙ったままの原因かつ諸悪の根元なんてものは、世間にはごまんといるんだろうなと、ふと思いました。見たいものしか見ないし、必要ないものはなかったことにする、そんな人間はたくさんいるなんてとっくに知っていたんだと、ふと思いました。ふと思ったことは、ふとで済まぬまま、わたしのなかに留まりつづけるのです。安物のワインをいただいております。アルコホルが連れてくるおそれに付き合い、すこしだけ涙を流してみました。それをここに記し、再び訪れて嫌悪感に駆られたとき、消そう。それまでだれも見ませんよう。つよさとよわさ。理不尽をゆるすつよさはいりません。理不尽と闘うよわさをください。もし闘わずに済むのなら、それが一番いい。もうたくさん闘ってきたから。ゆるさないことは、もしかしたら、愛なのかもしれないと、ふと思った。このことばが浮かんだのは、ほんとうに久しぶりだ。ふと、の、ことは、留まりつづけ、何かになってくれるだろうか。ならなくてもいい。目に見えないものは、もうわからないから。このグラスを空けたらねむろう。今日空けたワインの名前は、「ハートビート」だった。






Last updated  Aug 10, 2013 12:51:11 AM

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