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2010/08/26(木)18:37

『ラブリーボーン』 (2009) / アメリカ・イギリス・ニュージーランド

洋画(ら行)(36)

原題: THE LOVELY BONES 監督 : ピーター・ジャクソン 原作 : アリス・シーボルド 出演 : マーク・ウォールバーグ 、 レイチェル・ワイズ 、 スーザン・サランドン 、 スタンリー・トゥッチ 、 マイケル・インペリオリ 、 シアーシャ・ローナン 試写会場 : よみうりホール 公式サイトはこちら。 <Story> ある冬の日、近所に住む男(スタンリー・トゥッチ)に殺されてしまった14歳の少女スージー(シアーシャ・ローナン)。 少女は天国から愛する家族を見守り続け、殺人者に対する家族の復讐心が癒えることを祈るが…。 [ 2010年1月29日公開 ] ラブリーボーン - goo 映画 <感想> 主人公のスージー・サーモンを、『つぐない』で13歳という史上7番目の若さでアカデミー助演女優賞にノミネートされて注目を集めたシアーシャ・ローナンが演じており、これだけでももう興味津々な作品。 試写に行ってきました。 予告でももう、「私は14歳で殺された」とあり、また映像もこの世のものではないような雰囲気でしたので、「死後の世界」!? などと観賞前は想像してました。 でも実際はそうではなく、スージー・サーモンは、自分がいた世界を、天国(というか、この世と天国との境目のような場所かも?)から見守っているという設定です。 自分が失意のままに死んで行ったあと、果たせなかった約束の行方ですとか、自分の大切な人たちがどのように暮らしているのかをそっと見ている。 大事な人たちが、思いも寄らぬ方向に行ってしまったり、自分の思ったように世の中がなっていかなかったりするのを、やきもきとしながら見ているスージーの姿は、仏教的な言い方をするならば、「成仏できてない」と表現すればよいのでしょうか。 「この世」と「あの世」があり、だけどそのどちらにもスージーは位置せず、中間に存在している。 あえて例えるのなら「三途の川」になるのだろうか。 彼女が佇んでいる四阿(あずまや)のような建物がある場所は、大抵水辺であったり、また水場の真っただ中だったり。 これはまるで三途の川ではないだろうか。  ここは天国よ・・・ という仲間(→ これも悲しい仲間たちでしたね)の声を聞きつつも、まだやり残したことがあると言うスージー。  この世に未練をたっぷり残したまま死んでしまった彼女にとって、それは短い彼女の人生に華を添えたことだった。 だからこそ自分の想いをきちんと伝えておきたかったのだろう。  それには彼女は自由にこの世とあの世を行き来できる必要があった。 そのための三途の川、あのシチュエーションかと思われる。 この登場人物の中で異彩を放っているのが、初恋の相手・レイ。 彼は「ムーア人」と呼ばれていたけれど、そのこともこの話の展開に関係があるようにも思う。  キリスト教文化のなかに、仏教やイスラム教(ムーア人に信者は多いそうです)の概念を取り入れているように感じたからだ。 こんなことを調べ始めたら、ちょっとした卒論のテーマくらいに十分なりそうなので(苦笑)、これは詳しい方にお任せしたいけど、テーマとしては非常に興味のあるところ。 「転生輪廻」という言葉があるが、それにこの状況は似ているように思う。 厳密に言うと、「輪廻」はないけど(→ これがあってしまったら、リンジーは違う結末だった)、「転生」に近い感覚(厳密には違うんだけどね)はあった。 すなわち、自分の存在を知らしめて危険を教えるカメリアである。  この原作は世界で1000万部の売り上げがあったそうですが、残念ながら私は全く知りませんでした。  欧米の概念にはない感覚を取り入れていくことが、世界の人たちにはとても新鮮なものの見方だったのではないかとも想像できます。 仏教圏の人たちには、転生輪廻は自然に植えつけられているような気もしますので、それほどこの小説はクローズアップされなかったようにも思うんですね。 この映画で注目を浴びていくことでしょうけど。 (C)2009DWSTUDIOSL.L.C.ALLRIGHTSRESERVED 映画に戻って、シアーシャ・ローナンちゃんはずいぶん美しくなりましたよね。 これからますますきれいになっていくんだろうなと思いながら観てました。 そしてスタンリー・トゥッチ! 先日観た『ジュリー&ジュリア』 の艶男? とはまるで違う、隠された狂気を演じていました。 スージーを追い込んでいくシーンはうすら寒く、リンジーとの緊迫感あるシーンは観応えありました。 両親役のマーク・ウォールバーグ 、 レイチェル・ワイズ 。 彼らも、それぞれ抱えた立場の心情をうまく出していました。 自分の家族が被害に遭うことが自分に与える変化、ダメージ。 それは、最初は受け止められると思っていても、いつどのように牙を剥いてくるのかわからない。 もちろんそれは家族への愛の裏返しなんですけど。 妹のリンジー役・ローズ・マックィーバも、話が進んでとても美しくなっていってびっくりしました。 最高だったのは、おばあちゃん・リン役のスーザン・サランドン。 こんなにナイスなおばあちゃんはいいなあ。  たぶん彼女自身もものすごくショックを受けているはずなのに、それを吹き飛ばすかのような言動。 それが1つ1つ前向き(それも、わざとらしくない)なのが、観ていて気分がいい。 そう言えば、リンのセリフにも仏教が登場しています。 ここで伏線を張ることによって結論づけているんでしょうか。 あと、スピリチュアルな存在としての同級生ルース。 彼女はいわば「巫女」的役割なんでしょうね。 さまよっているスージーの魂を媒介していました。 最後の持っていき方は人それぞれだと思うんですが、この概念に則して考えると見えてくるようにも思いました。 無念の死、非業の死を遂げた人々が持つ想い、そして残された家族が抱える想い。 それをどこまで昇華できるかということだと思います。 人によってはこういうテーマは納得がいかないと思われますが、これもまた、犯罪に巻き込まれた時の選択肢としてあり得るのではないでしょうか。 いつの時代にも、変質者はおり、犠牲者もいる。 その許しがたい事実をしっかりと覚えておくということが前提ですが。 彼女たちへのレクイエムのようでした。 更にそれを締めくくるオチとして、ここにも仏教の「輪廻」(というか、循環?)の概念が組み込まれているのは面白い。 ツケは自分で支払うということ、しかもそれを自然界が下すということ。 ここは短い場面でしたけど、これを読み取れると、この映画が持つ深みにもさらに触れられるような気がします。 ********************************* 今日の評価 : ★★★★ 4/5点  

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