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2010/12/11(土)23:18

『442 日系部隊・アメリカ史上最強の陸軍』 (2010) / アメリカ・日本

洋画(や行)(11)

原題:442 -LIVE WITH HONOR, DIE WITH DIGNITY- 監督・企画:すずきじゅんいち 鑑賞劇場 : 横浜ニューテアトル 公式サイトはこちら。 <Story> 第二次大戦当時、日系人だけで構成された米軍部隊“442連隊"は米軍史上最も多くの勲章を受けた部隊として名を残している。 だが、彼らは父母の祖国・日本と戦うということと同時に、米国内の人種差別とも戦わなければならない苦悩を抱えていた。 1941年12月7日。日本軍がハワイ真珠湾を奇襲攻撃し、太平洋戦争が開始。 それは同時に、在米日系人にとっても苦難の幕開けでもあった。 国家から敵性国民として指定された約12万人の日系人が、全米10カ所の強制収容所に送られた。 軍籍にあった日系兵士も銃を取り上げられ、警戒と差別の目で見られ、国の為に戦うことも許されなかった。 だが、日系人たちによる政府への働きかけや、戦況の変化により結成されたハワイ日系人部隊“第100大隊"が目覚ましい活躍を挙げたことで、周囲の状況が変化。 日系人だけの部隊“442連隊"が誕生する。 442 日系部隊・アメリカ史上最強の陸軍?-?goo?映画 <感想> これ、先日の東京国際映画祭「日本映画・ある視点」部門でありまして、 大変気になっていたんですが、 鑑賞最終日の夜8時くらいからしか行けなくて、どうしようかと考えた挙句、 疲れるからってやめたんです。 でも、鑑賞した方の評判もみなさんよく、どうしても気になっちゃいましてねえ・・・ 横浜にも来るということなんで行って来ました。 やっぱり行ってよかった。。。 こちら、上質のドキュメンタリーです。 日本でも、この部隊の活躍を一般的に知る人ってあまり いないと思います。 教科書に載っていない歴史ですので、 よほど第2次世界大戦に興味がないと、一般人はこれは調べないでしょうね。 第442連隊戦闘団 wikipedia アメリカ日系人のみで構成された、第2次大戦中のアメリカ陸軍部隊のお話です。 彼らは見た目は日本人と遜色ない。 けれど祖国はアメリカ。 日本語はもちろん話せない。 志向ももちろん、母国アメリカで育ったが故、 そのように育ってしまっている。 そんな彼らが、第2次大戦と同時に投げ込まれた「敵国人」ではないかという 言われのない疑惑を晴らしたくて、 あるいは、祖国(彼らの場合はアメリカでしょう)に貢献したいという想いも込めて、 442日系部隊に参加する。 部隊の生き残りの方たちをインタビューする形式で映画は進む。 もうみなさん80代、90代というご高齢の方ばかり。 ほとんどの方たちがハワイ在住なのかな。 みなさん子孫に恵まれ、余生を送っている・・・ という穏やかな面が目立つのですが、 事実としては、このように優雅にお暮らしの方々ばかりではないということです(当然なのですが)。 戦後PTSDを患ってそのまま失意の人生を生きている人、 あるいは生活がうまく行かなかった人ももしかしたらおられるのかもしれません。 ともあれ、彼らの話は、戦時中の話にも関わらず総じて明るい感じなのが救われます。 ただし内容としてはあくまでも「戦争の話」ですので、人を殺した時の想いや、 戦友が死んでいった時の壮絶な話もある。 自分が敵を殺さないことにはどうしようもなかった訳ですけど、それを淡々と話すまでには、 相当の年月や、周囲の人たちの支持がないことには、 (恐らくですが)彼らもこうしてカメラの前で記憶を語ることはできなかったようにも 感じました。 当時の日系部隊は、初めはハワイ出身者と本土出身者との派閥に分かれて、 内部での争いが大変だったとありました。  ですが実際の戦闘の厳しさを前に、彼らは一体となり、 数々の戦歴を遺したとのこと。 アメリカ人なのにもかかわらず、「敵国人」とみなされた汚名を晴らすため、 彼らは部隊召集に応え、ヨーロッパ最前線へ送られてもそれに従う。 アメリカは彼らに「踏み絵」を要求したように思えてなりませんでした。 もしも彼らがアメリカに反旗を翻したとしても、ヨーロッパ最前線なら生きて還る確率も 低いだろうし、そのままでもよい・・・ そんな思惑も透けて見えます。 ところが彼らの行動は、アメリカの予想を上回るもので、 アメリカの部隊が散々手こずっていた作戦をやすやすと成功させていきます。 ヨーロッパでの連合国軍勝利を裏で支えていたのは、彼らだったと言えましょう。 死傷率31.4%という数字が物語る彼らの身体を張った戦いぶりにも関わらず、 ローマ入りをさせてもらえなかったということも、 不本意ですが当時の政情では致し方なかったかもしれません。 枢軸国の1つである日本人と外見が見分けがつかない日系アメリカ人が、凱旋するということに対して配慮したのかもしれませんが、 敵国人の血が混ざっている部隊に手柄を独占されるのはよしとしない方針も あったと思います。 全体を通じて思うことは、彼らの功績に対して、 彼らは十分に評価されてないのだなということです。 それは日米両方からだいうこと。 アメリカにしてみれば、近年になって勲章が格上げされたりはしたものの、 市民レベルではまだまだ「ジャップ」と思っている人も多いようにも感じるし、 日本ではそれこそ「日本人なのに枢軸国を攻めた」と思う人もいるだろうし。 そんな彼らに対して、東条英機が送った言葉、 「アメリカが祖国なら、アメリカ人として戦え」ということは、 彼らの境遇を慮ったものと言えるでしょう。 自分の中に血が流れている国家を敵に回すのは辛いことですが、 彼らにとってはこの上もない称賛だったのではないでしょうか。 双方の国の狭間になることは難しく、 ご本人たちも艱難辛苦の人生をよくここまで生きてこられたと思うと、 こちらも感慨深くなります。 自分たちに与えられた境遇の中で精一杯のことをしていく、 その精神には、先代から受け継がれた、 日本人に伝わる美学 ~勤勉とか努力など~ が影響しているのでしょう。 その「こころ」で、自分たちの誇りを証明した彼ら。 その苦しみから解放されることは生涯ないのかもしれませんが、 安らかに人生を生きていただきたいという想いでいっぱいになります。 今日の評価 : ★★★★☆ 4.5/5点

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